原稿は続くよどこまでも~、その2

原稿は続くよどこまでも~」の続きです。もちろん、この表題は「線路は続くよ どこまでも~」のメロディーで読んでください。

執筆に際しては、具体事例と抽象的考察とを組み合わせることに、気を遣っています。具体事例だけだと主張にならず、抽象的主張だけだと理解してもらえません。
大学の先生の公共政策論や社会論は、その分析の鋭さに感心するのですが、私たちの実生活と離れている場合も多いです。日本社会、近代社会を分析し記述すると、抽象的にならざるを得ないのでしょうが。「その分析とご指摘はもっともですが、明日から私たちはどのようにしたらよいのでしょうか?」と質問したくなります。
私の論考は、復興や行政の現場で体験し考えたことなので、現場密着型です。しかし、そこから問題点と今後の方向性を提示しなければなりません。「公共を創る」と銘打ったのですから。

読み物として、読者に読んでもらえるような工夫も必要です。学術論文ではありません。
専門誌への連載という「制約」もあります。1回に載せる分量を、ほぼ同量にそろえる必要があります。きっちりと3ページとか4ページに収める必要はないのですが。今回は1ページ分で、次回は5ページ分になるのは、編集長が困ります。
で、まとめて送った原稿を、数回に分割してもらいます。ほぼ均等にならないときは、文章の構成を再考します。とはいえ、そんなにうまく行かないので、途中で切って「続く」と入れてもらいます。

頑張った甲斐あって、第1章3(1)と(2)をほぼ書き上げました。(3)を書いて、第1章を完成させます。書きためて余裕を持っておかないと、毎週締め切りに追われるようでは、精神衛生上よくありませんからね。

原稿は続くよどこまでも~

連載「公共を創る」の執筆を続けています。なかなか集中力が続かず、少しずつ書いて積み上げています。新幹線の中はもちろん、朝早起きしたり、夜異業種交流会の後にと、少しずつ書いています。楽天イーグルスの調子が悪いのも、良くないですね。

全体構成で言うと、第1章1と2は脱稿し、順次掲載されています。ここまでは、私の経験であり、文章にまとめたこともあります。また、その後も、講演会などで話をする際に考えを整理しているので、使える元があります。

第1章3から、1と2を基に考察に入っています。理論編です。これは、難しいです。慶應大学での講義などを踏まえて、書いています。しかし、「未知への挑戦」の部分もあり、難渋します。
自信が無いところは、その分野の専門家に意見を聞きます。できた原案は、右筆に見てもらって、手を入れてもらっています。文章にしてみて、「私の言いたかったことはこれだったんだ」と思うことがあります。考えが整理できたと言うことでしょう。

私の執筆は、『明るい公務員講座 仕事の達人編』に書いたように、いつもブロックの積み上げ方式です。しかし、どのように並べたら、読者にわかりやすいか。論旨が通るか。これが難しいですね。一つの素材が、いくつかの章に関係します。どこで取り上げるのが良いか、悩みます。
時に、いろんなことに発想が及びます。「あれも書いておこう、これも書こう」とです。でも、話題を広げすぎると、趣旨がぼけてしまいます。で、せっかく書いた文章を、泣く泣くばっさり削除します。
この項続く

連載「公共を創る」第9回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第9回「町を再建するーまちとは何か 町をつくり直す難しさ」が、発行されました。
前回まで、緊急対応時の被災者支援で、これまでにない対策を打ったことを説明しました。そして、行政の役割が広がっていることを考えました。今回からは次の段階、すなわち復旧・復興の段階での、行政の役割の変化について考えます。

津波によって流された町や、原発事故による避難指示で住民がいなくなった町が出ました。津波被災地は、再度津波が来る恐れや、地盤が沈下していることから、そのままの復旧はできません。がれきを片付ければ復旧作業に入ることができた、阪神・淡路大震災とは条件が違ったのです。
町を復旧するのではなく、ほかの場所に移ってはどうか。国が、計画をつくって復旧してはどうかなど、様々な意見が出ました。しかし、住民や自治体の希望に応える形で、高台移転、土地のかさ上げ、元の町の復興を選び、それを支援することにしました。町を作り直すことは、様々な困難がありました。

カタカナ英語の弊害「ブラック企業」

7月4日の朝日新聞オピニオン欄「私の視点」、尾鍋智子・桃山学院大学国際教養学部准教授「造語と言語感覚 「ブラック」使い方再考を」に、ハッとさせられました。

・・・最近のマスコミの言語感覚に首をかしげることが多いのは、私だけだろうか。最も不快な表現は「ブラック企業」のブラックだ。
なぜ不快なのか。「黒は悪」という短絡的稚拙さへの恥ずかしさや、「劣悪」「闇」で代替可能という思い、「ブラック企業」が和製英語の最新語としてリストに加わりそうなことへの憂鬱もある。だが、カタカナのブラックと英語のBlackが持つ意味の違いは、さらに重要な問題をはらんでいる。
Black is beautiful.「ブラックは美しい」は、1960年代に米国の公民権運動で使われた代表的標語だった。ブラックという色が悪いという偏見を、黒人自らがまず打ち砕き、人種差別と闘おうとした力強い言葉である・・・
・・・ブラック企業とは労働環境の劣悪さを指すようだが、完全な和製英語である。公民権運動を経た欧米においては、「ブラックは悪」というニュアンスでの新たな造語は許されないからだ・・・

カタカナ英語が、とんでもない間違いを生む例です。私も無意識に使っていました。反省します。この言葉を安易に使っているマスコミにも、問題がありますね。何か良い日本語を、考えなければなりません。マスコミがどのように対応するかを、期待してみていましょう。

JR九州、鉄道の売り上げは34%

7月2日の読売新聞経済欄「経営者に聞く」は、青柳俊彦・JR九州社長の「多角化 地元と共に走る」でした。

・・・〈業績は徐々に上向き、2016年10月には青柳社長の下で東京証券取引所1部への株式上場を果たした〉
民営化当時、赤字だったJR北海道、四国、九州の3社は「三島さんとう会社」と呼ばれました。この呼び方は奇異に感じました。「本州だって島じゃないか」と思ったものです。上場した時は「三島会社でも上場できるんだぞ」と感慨もひとしおでした。民営化した頃、三島会社が上場できるとは誰も思っていなかったはずですから。
〈19年3月期連結決算で売上高は過去最高を更新した。売上高のうち鉄道事業の割合は34%にとどまる。流通・外食が24%、建設が21%、駅ビル・不動産が16%を占める。今や首都圏などでもホテルやマンション、オフィスビル、飲食店、ドラッグストアなどを手掛ける〉・・・

・・・〈18年3月、九州全域で1日あたり117本を減便し、列車の運行本数を1日3011本にした。民営化後、最大規模の減便だった〉
当社管内の在来線はほとんどが赤字です。乗客はさらに減る傾向にあります。「公共交通機関なんだから、赤字でもちゃんと運行しなさいよ」と地元からご意見をいただきますが、赤字のままでは事業を長く継続することはできないのです・・・