カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

セクハラ、セ・パ交流戦

職場でのセクハラ(セクシャルハラスメント)や、パワハラ(パワーハラスメント)が、しばしばニュースになります。「私には関係ない」と思っていると、危ないですよ。
人事院のサイトに、「セクハラの診断書」があります。「理解度チェック」と「意識度チェック」。試してみてください。
自分自身が気がつかないうちに、部下に対してセクハラやパワハラをしている危険があります。さらに、前にも書きましたが(2013年2月2日)、職場で、セクハラやパワハラ、個人情報保護、部下のメンタルヘルスなどの事故が起こらないように気配りをする必要があります。いずれも、私たちが習ってこなかった項目です。良い教科書もないようです。
先日、駅のプラットフォームで、会社員たちが大きな声で会話していました。
A:あの部長って、パワハラがひどいよな。
B:そうだなあ。
C:彼は、セ・パ交流戦だから。
A:何それ?
C:セクハラもひどいから。
A:それで、セ・パ交流戦か。

敵は後ろに・続き

アメリカ政府の債務上限額を引き上げることと、新年度予算を巡って、大統領・民主党対共和党が対立しています。ニュースが大きく伝えています。
野党共和党が多数を握っている下院のベイナー議長(共和党)が、ここまで強硬路線を貫き、話合いが進みませんでした。しかし、債務不履行を回避するために、上院が主導して、与野党が打開策をまとめました。その過程を、17日の読売新聞は、次のように伝えています。
・・米議会は16日、上院の与野党トップ主導で危機回避策の合意に向けた協議が進んだ。下院で過半数を握る野党・共和党の指導部は、党内の強硬派に押されて妥協案をまとめられず、当事者能力を失った。予算を巡る危機を盾に取り、オバマ政権に妥協を迫る下院共和党の戦術は失敗に終わりつつある・・
・・共和党の下院議員232人のうち、強硬派議員は40~80人程度だ。それでも、ベイナー議長は党分裂を避けるために強硬派への配慮を続けた結果、現実的な妥協案を作れなかった。
オバマ大統領は15日の米テレビへのインタビューで、ベイナー議長が過去にも、大統領との交渉で合意しても、党内の反発で覆してきたと指摘し、「彼は党指導部をまとめられない」と突き放した・・。
「敵は後ろにいる」の好例ですので、紹介します。ベイナー議長の敵は、前にいる大統領と民主党でなく、自らの共和党内にいました。

責任者は何と戦うか、その11。自分と戦う、2

さて、自分との戦いに、もう一つの場面があります。評価と判断を間違わないことの前に、それを作る環境を整えることです。
責任者は上に行けば行くほど、忙しくなります。しかし、1日は24時間しかありません。限られた時間を、どのように割り振るか。何を自分で処理し、何を部下に任せるか。そして、誰に任せるか。この判断です。
全ての書類に目を通し、全ての会議に出席し、全ての面会希望者に会い、全ての電話に応対する。全能の神ならぬ身、そんなことはできません。すると、秘書官・補佐官に、その割り振りを委ねなければなりません。
また、全ての分野に通暁することも、全知の神ならぬ身、それは困難です。その分野に詳しい者に、処理を委ねるか、問題点の整理を行わせます。誰に、それを任せるか。
さらに、すり寄ってくる人たちの内、意見の違う人の提案を退けなければなりません。八方美人はできません。
時間の割り振り、仕事の割り振りと切り捨て、取り巻きの割り振りと切り捨て。これもまた、難しい決断です。

責任者は何と戦うか、その10。自分と戦う

「責任者は何と戦うか」シリーズは、8月末から始まって、断続的に続いてきました。取り上げた敵は、事態の把握、周囲の評価、決める仕組み、身内、議会と世論、敵を見抜く、部下と続いてきました。
最後は、自分との戦いです。これまで取り上げた「敵」をご覧になって分かるように、私は、責任者の敵は正面にいるのではなく、実は後ろ(身内)にいるのだということを、主張したかったのです。そして、最後で最大の身内は、自分自身です。先に取り上げた敵のうち、事態の把握、周囲の評価、敵を見抜くことなどは、本人が正しい評価と判断ができていないことなのです。
周囲の意見に惑わされ、あるいはこれまでの固定観念や思い込みに縛られ、客観的な状況評価を誤り、正しい判断ができないこと。都合の良い解釈に従って、あるいは私情に左右され、厳しい決断ができないこと。困難をおそれ、決断を先延ばしにすることなどです。対立する意見の採択について、判断を先送りしたり、両論併記をしたり。
何度か、日露戦争と太平洋戦争を例に出しました。2つの結果を分けた指導者の違いは何か。それは、明治の指導者たちは、「日本は危うい」と危機感を持っていたのに対して、昭和の指導者たちは、「日本は強い」と驕りを持っていたことでしょう。そして、希望的観測に基づく戦略、負けた実績を隠す大本営発表が続きます。事実に基づく冷静な判断ができなくなっています。さらに、適性を考え司令官を更迭した明治海軍に対し、失敗した作戦の責任を取らせない昭和陸軍と海軍。
もちろん、「勝てば官軍負ければ賊軍」とやらで、勝った場合は全てが良く評価され、負けると全てが悪く評価されることも、考慮しなければなりません。
責任者は、その場限りの対処でなく、また保身でなく、「何が正しいことか」を決断しなければなりません。そしてその決断は、時には孤独なものです。威勢は良いが後先を考えない強硬派や、単なるゴマスリの取り巻きに、惑わされてはなりません。「評価は未来がする」と腹をくくり、歴史の審判を待つのでしょう。

処理能力を超える仕事と興味

1週間も、1か月も早いです。今日は、9月28日土曜日。あっという間に、1週間が終わり、9月も終わりです。
今日も、週末の定例行事、すなわち職場でたまった資料を片付けながら、ぼやいていました。ぼやきの内容は、いつもと同じです。「なんで、平日に、すべてが片付かないのだろう」「何で、こんなに時間が経つのが早いのだろう・・」。進歩がありません、反省。
勤務時間中に、「連続波状攻撃」をかけてきて、私に自由時間をくれない職員たちが悪いのか(八つ当たり、苦笑)。それとも、好奇心が大きすぎて、いろんな資料をため込む私が悪いのか。毎朝、1時間早く出勤して、自分の時間を持つようにしているのですが、メールへの返事を書いたり、急ぎの仕事を処理するだけで、過ぎてしまいます。夜は、残業はしない主義、というか異業種交流会などで忙しく・・。毎回、同じことを書いています。進歩無し。
急ぎでないので、「後で読もう」とか、「後で勉強しよう」と取ってある、切り抜きやコピーが、いけませんね。
急ぎの仕事や案件は、その場で即決します。あるいは、締め切りがあるので、何とか結論を出します。締め切りのない課題や、勉強資料の処理が、ずるずると後送りにされるのです。
半封筒から取り出すと、2か月や3か月前の切り抜きが、出てきます。時間があったら読もうと、鞄に入れて持ち歩いているので、半封筒もよれよれになっています。
資料には、ちゃんと赤線が引いてあったり。「う~ん、そういえば、これも考えようと思っていたな」「これも、ホームページで紹介しようと思っていたのに・・」
まあ、そのうちに時宜を失して、鮮度を失ったり、私の関心がなくなったら、それら資料は「化石」として捨てるのですが。同様に、パソコンには、書きかけの文章がたまり、書斎には読みかけの本がたまり・・。往生際が悪いです、はい。