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連載「公共を創る」第183回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第183回「政府の役割の再定義ー「蟻と鷹の目」で見た幹部官僚の職責」が、発行されました。

1991年にバブル経済が崩壊し、それから30年以上にわたって日本社会が停滞しました。明治維新や戦後改革のように、危機は転換の好機でもあるのですが、この30年間は不況にばかり目を奪われ、この国の転換ができませんでした。企業はリストラという名の従業員解雇に走り、新しい事業への転換ができませんでした。政府にあっては、職員削減、非正規への置き換えと、経費削減路線で、新しい課題への重点の移行ができませんでした。企業経営者と幹部官僚の責任は重いです。

幹部官僚の職責を考える際に、蟻の目(所管範囲で)と鷹の目(所管を越えて)に分けてみてみます。所管範囲では、この間の幹部官僚たちに実績を問えば、「与えられた任務を果たした」と答えるでしょう。しかし、国民はそれに納得しないでしょう。何をしたかでなく、何をしなかったか(新しい課題に取り組まなかったこと)で、国民は批判すると思います。

もう一つは、幹部官僚が所管を越えて、広く日本のあり方を考えることです。日本の方向を決めるのは政治の役割です。しかし、現在の日本では首相や各党は、日本の未来を示し議論することに熱心ではないようです。

回想「第1次地方分権改革・三位一体改革期の政策決定過程」

地方公共団体金融機構の「平成5年度若手研究者のための地方財政研究助成事業」、原田悠希・東海大学政治経済学部政治学科特任講師の「社会保障制度に関する政府間財政関係の改革-第1次地方分権改革・三位一体改革期の政策決定過程分析-」の研究過程で、当時のことを聞かれました。その記録が載りました。
私が話したのは1992年と2004年のことです。もう20~30年も経つのですね。歴史になったということでしょうか。聞き取りのうち、それらの改革について、私が役に立ったと思っている二か所を引用しておきます。

・・・地方分権については、五十嵐先生や中澤先生から呼ばれて「手伝って欲しい」ということでした。我々自治省は分権を進める立場ですから、願ってもない話です。ただ、地方分権の中身の話となると私の能力を超えるので、当時行政課にいた1年年次違いの佐藤文俊君に、声をかけて手伝ってもらいました。だから、分権推進法などの中身は、五十嵐先生と佐藤君が考えたといえます。
私がお役に立てたのは進め方の部分で、地方分権推進法案をどうやって国会を通していくかということを、先生と一緒に考えました。地方分権というと、大蔵省を筆頭に各省庁が反対をするわけです。また、野党の社会党から法案を出すと、与党の自民党は良い顔をしない。そうした中で、推進法の前に分権推進の決議をするという案を二人で考えました。「こういう手順で本当に動くかどうかはやってみないと分かりませんね」と五十嵐先生と話をしていたことを思い出しますが、とりあえず決議をやってみようということになりました。
実際には、この決議に「地方分権を積極的に推進するための法制定」が盛り込まれたことで国会の約束になり、推進法が制定され、物事が進みだしたのだと思います。行政改革とは違って地方分権推進については反対勢力も多かった中で、決議を先に出したというのは一つの工夫だったと思います・・・

・・・官房総務課長になってから三位一体改革で関与したことの中に、国庫補助負担金の廃止リストの案を地方六団体に提案して貰うという案を考えたということがあります。小泉純一郎総理から廃止対象補助金を各省に出しなさいと指示を出しても、各省は抵抗して出してきませんでした。麻生総務大臣は小泉総理と、閣議の後など、しばしば一対一で総理執務室で話をされていました。三位一体改革に限らず、様々な案件に関してだと想像します。ある日、各省から補助金廃止のリストが出てこないことが論点になって、このままでは前に進まないけれどどうするのかという宿題を、麻生総務大臣が小泉総理から貰ってこられました。
総理との会談後に、麻生大臣から私が大臣室に呼ばれて、この話になりました。私はとっさの思いつきで、「地方団体に案を出して貰うという方策はどうでしょうか」と進言しました。麻生大臣が目でニヤッと笑われたのを覚えています。
この案の意図するところは、補助金を貰っている地方団体が不要だというものについては、各省がそれ以上抵抗できない。もし地方団体の側が廃止リストの案を出せなかったら、補助金廃止を主張する地方団体は口先だけということになって、それ以上は進まない。どちらに転んでも小泉総理としては自分はやるべきことをやった、進まなかったのは自分のせいではないと言える。この案を麻生大臣が小泉総理のところに持って行って、2004(平成16)年5月28日の経済財政諮問会議で小泉総理が地方団体に案を出して貰うということを発言されました・・・

連載「公共を創る」執筆状況

久しぶりに、連載「公共を創る」の執筆状況報告です。かつては、しょっちゅうぼやいていたのですが、最近書いていませんでしたね。調べると、前回は10月10日でした。
それから約半年、執筆が順調に進んでいたわけではありません。相変わらず、締め切りに追われる日々を送っています。ひとまず、4月25日発行分を編集長に渡して、今週は乗り切りました。

原稿の内容は、私の経験や考えてきたことを基に、全体構想に沿って文章にするのですから、「大発見」というような難しいことではありません。問題は、執筆に専念する時間が取れないことです。
本業があり、お呼びがかかる講演の準備や、ほかに引き受けている原稿などもあります。原稿執筆は集中すればはかどるのですが、ほかの案件で細切れになり進まないのです。時間があっても、暴走する好奇心でいろいろなことに手を出してしまいます。あれも読みたい、これもしたい・・。『明るい公務員講座』で、だめな仕事の進め方としてお教えしたことです。反省。

でも、締め切りがあるので、穴を空けないように自らに鞭を打ち、暖かくなってきたので時には早起きして頑張っています。
忙しい中、手を入れてくれる右筆のおかげで、締め切りを守ることができています。

いつの日にか「今週は原稿締め切りがないぞ」と、心安らかな土曜日を迎えたいです。と、土曜の朝に書いています。ホームページ加筆も、時間がかかるのですよね。苦笑。
そして土日には、原稿執筆より重要な孫の相手があります。キョーコさんの料理で飲む日本酒はおいしいし、これからはビールもおいしいです。

連載「公共を創る」第182回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第182回「政府の役割の再定義ー幹部官僚の職責」が、発行されました。
組織には、管理職とは違った職責を求められる幹部が必要になります。今回から、幹部官僚の育成と選抜について議論します。

管理職は自らが長を務める課や室が何をすべきかを考え、部下の職員に指示を与えるとともに、その仕事ぶりを管理します。その課長は、職務に関する指針を幹部官僚から与えられます。課長たちが部下を動かしていくためには、幹部官僚がその方向性を指示しなければならないのです。
では幹部官僚が示す方向性は、誰がどのようにして決めるのでしょうか。もちろん大臣からの指示もありますが、それだけではありません。幹部官僚の任務は、その方向性を考え、特に新しい課題への取り組み方針を立案し、大臣と調整して組織の目標に据えることです。幹部官僚には、管理職とは違った任務があるのです。

経済成長期に高く評価された官僚機構は、成熟社会になって評価を大きく落としました。その理由は、「豊かで便利な社会という目標を達成した後に、次の目標を設定できなかったこと」と「約30年にもわたる経済停滞が続き、格差と孤独・孤立に伴う不安が生まれていたのに対応できなかったこと」です。
この30年間に幹部官僚だった人たちは、それぞれの立場で職責を果たしてきたと弁明するでしょう。しかし幹部官僚は、自分の所管だけに対応していればよいわけではないのです。結果として日本社会は良くならなかった、それどころか悪くなったのですから、官僚機構への評価は低くならざるを得ないでしょう。

北日本新聞に載りました

4月1日の北日本新聞1面「とやま再起動 人口減とともに」「復興へ歩む インタビュー編」に、私の発言が載りました。「小集落復活に反省点」です。

能登半島地震からの復興に際し、東日本大震災での経験を話しました。記者の質問は、小さな集落を復旧することの是非についてです。
どこにどのような家を再建するかは、住民の意志が尊重されるべきですが、集落の復旧となると難しい点もあります。
私が話したのは、小さな集落では維持が難しいということです。商店や病院、学校が近くにないと不便です。その集落から町の中心部まで車で出かけるより、町の中心近くに家を建てて、そこから漁港などに通って仕事をしてもらう方が、住む人にとって便利なのです。
参考「復興事業の教訓、集落の集約」「復興事業の教訓、人口の減少