カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第40回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第40回「日本は大転換期―驚異的な経済成長」が、発行されました。
前回から、第2次世界大戦後の、日本社会の変化を見ています。今回は、経済成長を振り返っています。戦後日本の経済成長を、表と折れ線グラフで示しました。これは、いつも私が使っている図表です。今回も、小黒 桂 君(内閣府のエコノミスト)の協力を得ました。

昭和後期の「高度成長期」と「安定成長期」、平成時代の「失われた20年」と「復活中の現在」の4期に分けました。それぞれの時期の平均経済成長率は、15,5%、8,2%、-0,2%、1,7%です。こう分けると、時代がよくわかるので、優れものだと自賛しています。「復活中の現在」は進行中であり、このようになるかはまだ定まっていませんが。
表の方は、元は故貝塚啓明・東大教授に教えていただき、それを私なりに延長し改変しました。グラフの方は、かつて経済企画庁が使っていたものを、延長し改変しています。

あわせて、農村の変化を説明しました。農業就業者数は、明治初年には全就業者数の8割を占めていました。1920年に5割になり、1950年でも45%でした。漁業と林業を加えて49%。戦後まで、日本人の半分は農業だったのです。現在は、わずか3%です。

連載「公共を創る」第39回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第39回「日本は大転換期―行政が前提とした社会の変化」が、発行されました。今回から、第3章「転換期にある社会」に入ります。
第1章では、大震災の復興で体験した、これまでの復旧行政では住民や地域の要望に応えることができなかったことを解説しました。第2章では、住民の要望に応えるためには、世間ではどのような要素が必要なのかを分析しました。そこでは、これまでの行政の守備範囲では十分でないことを指摘しました。
第3章では、これからの行政の在り方を考えるために、行政が前提としていた日本社会の変化を考えます。かつて、世界から高く評価された日本の経済成長と官僚機構は、バブル崩壊後すっかり評価を落としました。その原因を考えます。

その第1回は、1日本は大転換期(1)成長から成熟へ、です。ここでは、第2次世界大戦後の日本を、昭和後期と平成時代の2期に分けて、それぞれの時期の変化を見ます。昭和後期は経済成長の時代であり、平成時代は停滞の時代です。それによって、私たちの身の回りが大きく変わり、意識も変わりました。個人の暮らし、家族の形、世間が変わったのです。

これらの変化は、新聞や年表に載るような出来事の歴史ではありません。数十年かかって変わるものであり、日々の暮らしではまた毎日のニュースでは、気づかないことです。もちろん、どの時代にも社会は変化するのですが、この75年間、戦後半世紀の変化は、まことに驚異的でした。
私はそれを、「長い弥生時代の終わり」と表現しています。日本列島に住んだご先祖様の暮らしを大きく分けると、狩猟時代(縄文時代)、稲作時代(弥生時代)、そして産業化時代と3つに分けることができます。すると、稲作を中心とした時代は、戦後まで続いていたのです。それまで約半数の人が、稲作に従事していました。その意味で、「長い弥生時代」は、戦後まで続いていたのです。
飛鳥時代、平安時代、江戸時代と歴史の教科書で習いますが、政治権力でなく日本人のなりわいから見ると、そのように区分できます。この変化に、私たちの暮らし方や意識はついて行っているのか。それを、考えます。

昨年4月末に連載を開始してから、1年が経ちました。早いものですね。「まあ、1年くらい続くかな」と目算を立てて始めたのですが、半分を過ぎたくらいでしょうか。
行政文書や論文のような硬い文章でなく、読み物として平易にまた私の体験を入れて書いているので、長くなっていることもあります。その点を評価してくださっている読者もいます。
今回の冒頭に、これまでの目次をつけておきました。このホームページをごらんの方は、こちらに載っているので不要ですが。ホームページのホームページの目次も長くなったので、2ページに分けました。

連載「公共を創る」第38回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第38回「社会的共通資本 住民参加で文化資本を変える」が、発行されました。

引き続き、社会的共通資本を考えています。その中でも、これまで余り認識されてこなかった、文化資本の重要性を指摘しました。政府や企業が意識してつくるものではないので、私たちの課題、政策の対象として扱われなかったのです。

そして、この国のかたち、私たちの暮らしの在り方、社会の慣習といったものは、単体で存在するのではなく、相互に関連して存在しています。一つの系(システム)をなしています。残業を禁止するだけは、働き方改革は進みません。仕事の仕方の改革、早く退社した場合の「居場所」が必要です。

少し話が飛躍しますが、国際秩序がどのようにつくられているかを、紹介しました。統一的政府がない国際社会で、紛争はありつつ全面対決せず、一定の秩序が成り立っています。その理由です。関係的権力だけでなく、構造的権力が機能しています。場の力です。
それを見ると、政府が統治するガバメント以上に、関係者が共同してつくりあげるガバナンスが重要だとわかります。ガバメントは施設資本、制度資本をつくりますが、関係資本や文化資本はガバナンスです。

これで第2章を終え、次回4月からは、第3章「転換期にある社会」に入ります。

連載「公共を創る」目次2

連載「公共を創る」目次から続く。
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第3章 日本は大転換期
1 成長から成熟へ
2020年
4月2日 39日本は大転換期―行政が前提とした社会の変化
4月9日 40日本は大転換期―驚異的な経済成長
4月16日 41日本は大転換期―経済成長が変えた暮らしと地域
4月23日 42日本は大転換期―経済発展で「一億総中流」の社会に
5月14日 43日本は大転換期―崩壊したバブルとその後続いた経済停滞
5月28日 44日本は大転換期―製造業から情報産業へ
6月11日 45日本は大転換期―スマホの普及で新たな商売・犯罪も
6月25日 46日本は大転換期―家族の変化でコンビニと外食産業が発展
7月2日 47日本は大転換期―平成で進んだ男女共同参画
7月9日 48日本は大転換期―利便性と引き換えに負の面も
7月16日 49日本は大転換期―平成の地方分権改革
7月30日 50日本は大転換期―うまくいかなかった平成時代

2 成熟社会の生き方は
(1)豊かな社会の不安
8月6日 51日本は大転換期―成熟社会で見えてきた問題
8月20日 52日本は大転換期―人口減少で社会の仕組みも変化
8月27日 53日本は大転換期―自由の獲得で重みを増した自己責任
9月3日 54日本は大転換期―憧れを手に入れ現れた閉塞感
(2)満足による停滞
9月10日 55日本は大転換期―満足しても現れる問題
9月17日 56日本は大転換期―成熟社会で浮き彫りになった労働の問題
9月24日 57日本は大転換期―成熟社会で見えた教育の問題と限界
10月1日 58日本は大転換期―学校外の子育て機能の低下
10月15日 59日本は大転換期―教育に税金を使わない日本
(3)生き方の模索
10月22日 60日本は大転換期―急速に変化した個人の暮らし
10月29日 61日本は大転換期―増加する結婚しない若者たち
11月12日 62日本は大転換期―進む少子化と家族の人数の減少
11月19日 63日本は大転換期―平成で大きく変わった夫婦の関係
11月26日 64日本は大転換期―成熟時代に求められる「居場所」のつくり方
12月3日 65日本は大転換期―個人と社会をつなぐ「付き合い」
12月10日 66日本は大転換期―孤独の増加が生む社会の不安定
12月24日 67日本は大転換期―社会の意識と個人の意識
2021年
1月7日 68日本は大転換期―どうつくるか、新しい時代の通念と道徳
1月14日 69日本は大転換期―善の基準を教える村と宗教の機能低下
1月21日 70日本は大転換期―成熟社会の達成でなくなった日本の目標
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連載「公共を創る」第37回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第37回「社会的共通資本 働き方改革の重要性」が、発行されました。

前回から、この国のかたちを変えるために何をすれば良いか、いくつかの論点を取り上げています。
その一つは、政治参加、社会参加です。日本人は、決められたことには、従います。ところが、不満があっても、それを変えるために動こうとはしないのです。リスクを取ることも避けます。
その二は、働き方改革です。私は、これまでの働き方が、この国のかたちの結節点だと考えています。ここを変えないと、日本社会は変わらない。ここを変えれば、私たちの暮らしと日本社会は大きく変わると思います。

今回は、その続きで、仕事の仕方を変えなければならないことを指摘しました。「明るい公務員講座」での主張とも共通します。
その三は、多様性と変化への覚悟です。昭和の成功体験を忘れることができない。変化を避けているので、指摘されつつ、改革は進んでいません。
これを主張したいがために、この連載を書いています。