カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

先進民主国家体制の危機、3

・・・欧米民主諸国の危険は、それが死滅することではなく、硬直化していくことだ。予算圧力、政治的膠着、そして人口動態が作り出す圧力という、気の萎えるほどの大きな課題が指し示す未来は、崩壊ではなく、むしろ低成長と停滞が続くことだ。
泥縄式に危機をやり過ごせば、相対的な豊かさはかろうじて維持できるかもしれない。だが、ゆっくりと着実に先進国は世界の周辺へと追いやられていくことになるだろう・・
「改革する力を持たない先進国の産業民主主義のモデルがかつて存在した」。世界経済を支配していた時代を経て、先進国が成長率がわずか0.8%という時代を今後20年にわたって経験すれば、そうした解釈が出てくるだろう・・
アメリカ人、ヨーロッパ人が力を結集できなければ、彼らの未来がどのようなものになるかを知るのは簡単だ。日本に目を向ければ、容易に想像がつく・・・

最後の文章は、厳しい指摘です。外国人による日本評をありがたく承る必要はありませんが、オピニオンリーダーがこのように見ていること、そして影響力の大きい雑誌に載っていることを認識する必要はあります。
ところで、日本でもてはやされる「外国人による日本論」は、高く評価して自尊心をくすぐるものと、低い評価で日本はダメだという2種類に分類できます。そして、いずれもが、日本人(読者)が自ら考えていることと同じ論調のものをありがたがる=利用するのだと、考えています。すなわち、高い評価の場合はそれで自己満足し、低い評価の場合は「そうだよな」と言いつつ、内心では「いや日本は良い国なんだ」と自負しています。いずれにしろ、その「忠告」を受け入れ改革するつもりはありません。一種の「消費財」です。

先進民主国家体制の危機、2

・・・「新たな民主主義の危機」にわれわれは直面しているのだろうか。アメリカの大衆は間違いなくそう感じている。いまや市民は政治家と政府機関に対して、1975年当時以上に大きな怒りを感じている。1964年に実施された世論調査によれば、「常に、あるいはほとんどの場合、ワシントンは正しい判断をする」という見方に、アメリカ人の76%が同意すると答えていた。だが、70年代末までには、そう答える人は40%代後半へと低下し、2008年には30%へ、そして2010年には実に19%へと低下していた・・・

先進民主国家体制の危機

フォーリン・アフェアーズ・リポート』2013年2月号、ファリード・ザカリア執筆「先進民主国家体制の危機―改革と投資を阻む硬直した政治」から。
・・・「民主主義の危機」という言葉を耳にするのは、今回が初めてではないだろう。1970年代半ばまでには欧米経済の成長は鈍化し、インフレが急速に進行していた。ベトナム戦争とウォーターゲート事件は人々の政治システムへの信頼を損ない、新たに力を得た社会活動家が、既存の体制への反対を表明しだしていた。
1975年の三極委員会リポート「民主主義の危機」で、米欧日の著名な研究者たちは、先進世界の民主国家政府は非常に大きな問題を前に、機能できなくなっていると指摘した。この報告でアメリカの分析を担当した政治学者のサミュエル・ハンチントンは、特に憂鬱な近未来を予測した。
だが、その後すべてがうまくいくようになったことを、われわれは知っている。インフレは落ち着きをみせ、アメリカ経済はブームに沸き返り、システムへの信頼も回復された。10年後に崩壊したのは、資本主義と西側ではなく、共産主義とソビエトだった。欧米の先行きを悲観する人の声もなりを潜めるようになった。
だが、それから20年もしないうちに、先進民主世界は再び暗い雲に覆われ、悲観主義が漂うようになった。経済成長が停滞し、ユーロが危機にさらされているヨーロッパでは、欧州連合(EU)そのものが解体するのではないかという声も聞かれる。日本ではこの10年間で8人の首相が誕生し、政治システムは分裂している。経済も停滞したままで、さらに衰退の道を歩みつつある。だが、これまで果たしてきたグローバルな役割からみて、おそらくもっともやっかいで危機的な状況にあるのはアメリカだろう・・・

憲法を改正する力、民主主義

読売新聞2月10日「地球を読む」は、北岡伸一先生の「憲法改正の道筋」でした。
・・私は憲法改正に賛成である。護憲論には強い違和感がある。自分たちのルールを自分たちで作り、作り直すことは、民主主義の基本である。これを否定する護憲論は、民主主義の否定だと思っている。
しかも現行憲法は、占領軍が原案を書き、その監視のもとで成立した。戦争は懲り懲りだと思っていた国民は、戦争放棄などの内容を歓迎したが、十分な検討を経た上での賛成ではなかったし、占領下、強い言論統制のもとで憲法を作ることは国際法違反である。
とはいえ、制定から60年余、憲法は定着した。私は、制定経緯だけを理由に改正すべきだとは考えない。不都合なところがあるから改正が必要なのであり、そうしたところは順次変えていけばいいと考えている。その際、実効性が乏しく、リスクの大きい改正方針は避けるべきだと思う・・
ごく一部を引用したので、原文をお読みください。

政治の役割、国家嚮導行為

高橋信行著『統合と国家―国家嚮導行為の諸相』(2012年、有斐閣)を、本屋で見つけました。
「国家嚮導行為」とは、「政治的計画や予算、外交、国防といった、国家の進むべき基本方針に関わる創造的・積極的な作用」と定義されています。そして、国家が国家として存在するためには、国家がその時々の課題に応じて積極的に政策を遂行することで、国民を国家につなぎ止め、統一がもたらされるという考えです。

連載「行政構造改革―日本の行政と官僚の未来」で、政治家と官僚の役割分担を論じた際に、政治家や政治の役割を書きました。そして、「立法は国会に、行政は内閣に、司法は裁判所に分担される」という三権分立の考えが、政治の役割を忘れさせていることを指摘しました(連載第三章一1統治の中の政治)。
「国会=法律の決定」→「内閣=法の執行」では、誰が政策の立案をするかが抜けています。「法律の決定」の前に、「政策の立案」が必要なのです。すると「政策の立案」→「法律の決定」→「法の執行」という流れになります。そして、現代国家では、政策の立案の多くは内閣が行います。高橋和之先生の「内閣によるアクション―野党と国会によるコントロール」を、わかりやすい説明として紹介しました。
また、政治目標(政治課題)の設定と政策の統合が、与党と内閣の大きな責務であること。この「政策の立案」の多くを官僚に委ねることが、官僚主導です。官僚への批判と官僚主導の問題は、官僚が政治家の仕事を代行していたことを指摘しました(第二章四1政治の責任)。
連載を中断し(総理秘書官になって、とても時間がとれませんでした)、時間が経ってしまいました。月刊誌で14回、200ページを超えるまで書いたのですが。ライフワークと考えているので、勉強を重ね、いずれ本にしたいと考えています。官邸でも現在の職場でも、政策の立案や政と官の役割を、日々体験させてもらっています。経験や知識は増えているのですが、今の仕事の状況では、執筆はいつになるやら(決意表明ばかりで、反省)。
高橋先生の本は、公法学からのアプローチですが、私の視点からも勉強になりそうです。もっとも、読み終えるには、時間がかかりそうないので、読んでいない時点で紹介しておきます。