カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

国勢調査ができない国

1月30日の朝日新聞に、「ボスニア・ヘルツェゴビナ、国勢調査また延期へ」という記事が載っていました。1991年に実施して以来、国勢調査ができないのです。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1992年から95年まで、激しい内戦が続きました。1995年の和平合意による現憲法は、3つの民族の均衡を定めています。議会や政府は、ボシュニャク(モスレム)人、セルビア人、クロアチア人の3民族から均等に選ばれることとなっています。国勢調査で、3民族の人口比が異なる結果が出ると、この憲法と政府の正当性が疑われることになります。
しかし、国勢調査がないと、人口も年齢分布もわかりません。いろいろと困難なことがあるでしょうね。何か別の手法で、国民を把握しているのでしょう。でないと、税金徴収や行政サービスができません。

日本で、ソマリアの海賊を裁く

1月12日の朝日新聞夕刊に、「本邦初、海賊法廷」という記事が載っていました。2011年、ソマリア沖で日本のタンカーが襲われた事件で、「ソマリア人海賊」の裁判が、東京地方裁判所で始まるのです。
この事件が日本で裁かれることについては、2011年9月11日の記事で紹介しました。 また、ドイツでの海賊判決も、紹介しました(2012年10月21日の記事)。
今回の事件は、場所は公海上、船はバハマ船籍、乗組員に日本人はいません。海賊をどこで裁くかの国際的ルールがなく、どこも引き受けないので、船の所有者の国で裁判をします。

日本政治、研究者の成果

若手研究者による成果が、次々と出版されています。インターネットで検索すれば、探すことはできるのでしょうが、各分野での動向を簡単に俯瞰することは難しいです。学会誌では、通常1年遅れになります。それらを紹介する月刊誌がある分野も、少ないでしょう。研究者の方々は、それぞれのネットワークで調べておられるのでしょうね。
砂原庸介准教授が、ブログで、日本政治研究の若手のこの1年の成果を紹介してくれています(2012年12月22日の記事)。それぞれ「分厚い」ことと、数が多いことから、なかなか目を通すことができません。私が若かった頃は、現在の日本政治を取り上げた研究は、こんなに多くなかったです。喜ぶべきことです。
政治家、官僚、マスコミが、これらの成果をどのように現実政治で活かしていくか。それが課題です。特に、税財政、社会保障、環境といった「政策分野別」の成果は、それぞれの政策共同体(各省、関係する政治家やマスコミ)で生かされるでしょうが、統治のあり方、内閣のあり方、制度改革など「基本制度の設計と運用」について、専門職や政策共同体がないのです。

国際秩序をつくる

細谷雄一著『国際秩序―18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(2012年、中公新書)が、勉強になりました。18世紀から現在までの国際関係を、「国際秩序」がどう変化してきたかという観点から分析しています。これまた、新書とは思えない重い内容です。
先生は、列強間の「均衡」「協調」「共同体」という3つの原理でこの間の歴史を説明し、ほぼこの順に進んできた、関係者が進めてきたと、主張されます。もっとも、均衡のない協調や共同体は不安定であることも、指摘しておられます。切れ味の良い分析で、なるほどと思います。もちろん、簡潔な原理で分析すると、いくつも例外が出てきます。それは仕方のないことでしょう。
多くの封建領主たちがいた中世から、主権国家が統一される際には、力による統一がほとんどでした。日本にあっても、戦国の群雄割拠を統一したのは、信長と秀吉の武力による軍事統一でした。現在の国際社会は、200近い主権国家によってなりたっています。言ってみれば、天下統一前の群雄割拠状態です。武力でなく、この主権国家間の平和を維持し、さらに「統合」を進めるにはどうしたらよいか。これが、現代の国際政治の課題です。国際連盟や国際連合を作ったら、戦争はなくなるか。なくなりませんでした。
しかし、ヨーロッパ共同体の試みや、各種の国際機関や組織、そして国際的な取り決めが、戦争を防ぎ統合を進めています。これは、国家間の政治家による、政治的な意図的な統合です。
他方で、経済や文化のグローバル化が、それら政治家の意図とは別に、社会・経済そして市民レベルでの相互依存と統合を進めています。相互依存が進むことで、国際社会から背を向けては、やっていけないのです。市場経済や国際金融市場から脱退しては、その国の経済発展はありません。インターネットから外れたら、科学技術の発展から取り残されます。
1929年の大恐慌時と、2008年の世界金融危機時の違いが、象徴的です。前者では主要国が囲い込みに入り、不況をさらに深刻化させました。後者では、中国を含めて世界各国が協調して、危機を乗り越えました。
ところで中国は、今や巨額のアメリカ国債を保有しています。売りに出せば、アメリカ国債が暴落し、アメリカに大きな打撃を与えることができます。しかし、それをすると、中国が持っているアメリカ国債が減価することでもあり、容易には売り出すことはできません。そのほか、あるモノの輸出を止めることは、相手国への脅威になりますが、自国の産業にも打撃を与えます。一時的には相手を困らせても、相互依存は武器として使いにくいのです。
軍事力による政府間の均衡から、経済などによる非政府主体も含めた協調関係への変化です。それは政治を、国家間の力(パワー)としてみる見方から、金融・経済などのつながりと場としてみる見方への転換でもあります。コヘイン、ナイ著『パワーと相互依存』(邦訳2012年、ミネルヴァ書房)が、古典的書物です。
私は、さらに経済や文化の統合が進み、戦争のできない国際秩序ができると考えています。もちろん、そんなに平坦な道のりではないでしょう。軍事力を増強し、圧力をかける国がいることも事実です。他国を占領するためでなく、国内対策のために対外硬に出てくる国もあります。それぞれの国で、民主化と自由主義が進まないと、国際的統合は進みません。

経済こそパワーの源、その2

昨日の続きです。岡本行夫さんの発言から。
・・もう一つ、日本は「世界への貢献」だの「アジアと欧米の架け橋」だの、旗印を掲げて何もしない標語外交と決別すべきだ。
中国との「戦略的互恵関係」もそうだ。互恵と言いながら、中国は尖閣、東シナ海のガス田を含め、自分たちの利益がかかることで、ただの一度も譲ったことはない。
日本はこうした標語を作ると、思考停止と不作為に陥る。それが最も楽だからだ。
尖閣は明白に日本の領土だが、中国の宣伝はすざまじい。一方、日本は領土問題は存在しないとして、何もしてこなかった。その結果、国際世論はどっちもどっちだという見方になってきている・・
詳しくは、原文をお読みください。