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生活を支える毛細血管

4日付けの東京の新聞に、東京ガスの広告が、載っていました。紙面一面に黒い地が拡がり、その上に毛細血管のように、青い網目が広がっています。よく見ると、東京湾とその周辺の地図のようです。しかし、道路地図ではありません。網の目は、東京近郊のガス導管網です。
説明されれば「なるほど」と思いますが、ふだんは気にせずに、お世話になっているのですね。
このHPでも、かつて「家は配管だらけ」を書きました。ガス管のほかに、電線、電話線、インターネット・CATV回線、上下水道。ネットワークというと、道路や鉄道を考えますが、それらは各家庭までつながっていません。
それに対し、ガス管や電線は、各家庭までつながっています。すごい網の目が、張り巡らされているのですね。

交通事故死者数の減少

一年間の交通事故死者数が、5,000人を下回りました。3日の各新聞が、伝えています。1952年以来、57年ぶりだそうです。ピークは1970年で、その1万7千人に比べると、3割にまで減っています。1980年代に1万人程度になり、2000年代になって徐々に減少していました。
道路の改良や信号の設置、車の安全性能の向上、シートベルト着用、交通違反の厳罰化などが、効果を発揮したのだと思います。また、交通マナーの向上も、事故の減少につながっていると考えられます。
社会全体での事故ですから、特効薬はありません。しかし、対策を積み重ねることで、減らすことはできます。半世紀も、かかりましたが。
もちろん、未だに5千人もの人が、亡くなっておられます。その人や家族にとっては、1万人であろうが5千人であろうが、かけがえのない一人です。また、年間の自殺者は、10年以上、3万人を上回ったままです。

新年のご挨拶

あけまして、おめでとうございます。
皆様、良いお正月をお迎えのことと、存じます。
わが家も家族そろって、元気に新年を迎えることができました。おせち料理のほかに、私の誕生祝いの鯛をいただき、届いた年賀状の整理をして、初詣に行ってきました。
今年が、良い年でありますように。

明るい日本に、誰がするのか

ところで、マスコミや識者が、しきりに「日本は暗い」「先行きが見えない」とおっしゃいます。近年の、はやり言葉です。しかし、私は、これが日本を暗くしている原因の一つだと、考えています。
もちろん、社会や政治の問題を指摘するのが、その人たちの仕事です。でも、悲観的なことばかりを言っていても、事態は好転しません。そして、良い面を取り上げずに、バランスを欠いた問題指摘は、国民に間違ったメッセージを送ります。
日本の経済が停滞していることは、事実です。しかし、世界第2位の経済力を持ち、中国に抜かれても第3位です。一人当たりGDPはかつての第2位から低下しましたが、なお19位です。他国と比較するなら、日本のどこが優れていて、どこが劣っているのか、そして何をすべきかを議論すべきでしょう。
現在の日本の不況は、外需とともに、内需の弱さによります。国民が多くの金融資産を持ちながら、消費をしないのです。それは、先行きが不透明と思っているからでしょう。悲観論は、それを、ことさらにあおっているのです。
自由、平等、安全、健康長寿、清潔、便利さ、社会資本、努力が報われるといった面で、日本は世界最高水準の国です。もちろん理想と比べれば、足らないところもあります。でも、そんなにだめな国なのでしょうか、日本は。
つい10数年前まで、ナンバーワンの国と自信を持ちながら、突然真っ暗かのようなことをいう。日本人も日本社会も、その間に、突然変異などしていません。自虐的な評論の方を、疑うべきです。
子育てをする時に、子どもの欠点ばかりを指摘するのが、良い子育てでしょうか。欠点は指摘しつつも、長所を褒める。褒めることが、子育てや部下育てのコツでしょう。
昨日の大晦日、久しぶりに、NHKテレビの「紅白歌合戦」を見ました。ごらんになった方も多いと思います。若い歌手の元気な歌と踊りを、どう思われましたか。
日本は、まだまだ捨てたものではありません。「今どきの若い者は・・」という言葉より、「いつも評論家は・・」という言葉の方が、当たっているかもしれません。批判と欠点の指摘ばかりを繰り返し、悲観論をまき散らす評論家は、やめにしませんか。
コップの水を見て、「もう半分しかない」とみるのか、「まだ半分ある」とみるのか、という議論があります。前者は、財産を食いつぶしつつある2代目の繰り言であり、後者は、次なる挑戦をしようとする前向きの姿勢でしょう。
悲観論だけでは、何も生みません。もちろん、裏付けのない楽観論も、空虚です。「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」は、フランスの哲学者アランの言葉だそうです。

年末のご挨拶

今日は大晦日、平成21年も終わりです。皆さんにとって、今年は、どのような年だったでしょうか。
私は、9月に総理秘書官をやめ、総務省に復帰、消防大学校長になりました。この間、多くの方にお世話になったことを、改めて感謝します。
何人もの方から、「仕事が大きく変わり、大変でしょう」と、声をかけていただきます。でも、公務員という中での「転勤」です。そんなにびっくりするような、変化ではありません。それぞれの場所で、日本を良くするために、頑張ります。
秘書官をやめた後、いろんな方が、訪ねてきてくださったり、慰労会をしてくださいました。これまで、たくさんの人と知り合いになったことを、改めて認識しました。31年間の公務員生活で、いろいろな場所を経験させてもらったことを、感謝しなければなりません。私のような仕事は、一人ではできないのです。多くの方を知っていることは、年賀状の枚数と同じく、私の財産です。
変化といえば、時間に余裕ができました。読みたかった本も、読む時間ができました。もっとも、次々と関心が広がるので、新しい本を買い込んでは、積ん読状態です(いつもながらの反省)。
家族も、この一年、元気に過ごすことができました。
皆さんも、良いお年をお迎えください。