岡本全勝 のすべての投稿

委員会設置が生む無責任?

古くなりましたが、4月29日の日経新聞文化欄は、蓮見重彦元東大総長の「会議が多すぎはしまいか」でした。
・・実際、解決すべき問題が生じると、ほとんどの組織は、ほぼ例外なしに、特別な委員会を設置して審議を付託する。数ヶ月、ときには数年をかけたその審議が答申案としてまとまると、その委員会の設置を決定した会議でそれを改めて検討することになる。だが、合意の形成や問題の解決のために、何人もの人間が何時間も拘束されて議論せねばならぬものだろうか。そのための膨大な時間と労力の浪費を、誠実な努力だと勘違いするのはそろそろやめねばなるまい。会議は、いま、さまざまな組織の責任の放棄によって機能しているとしか思えぬからである。
・・「東日本大震災」という曖昧な語彙をその名称に含んだ委員会が、内閣府の「東日本大震災復興構想会議」や衆参両院の「東日本大震災復興特別委員会」をはじめ、それぞれの地方自治体や関係する学会などによっていくつも設置され、その総数は民間のものを加えればおそらく百は下るまいと思う。このときならぬ「復興」をめぐる委員会の増殖ははたして祝福すべきことか、それとも憂慮すべき事態なのか。
おそらく、「東日本大震災」の「復興」を議論するさまざまな「特別委員会」から、数えきれないほどの分厚い報告書が提出されるのだろうが、これはいささか不気味な事態ではなかろうか。考慮に値する提言を採用するべく報告書にくまなく目を通すことなど物理的にほぼ不可能だし、「大震災」からの「復興」を論じるのに「特別委員会」の設置がふさわしいことかどうかさえ、誰ひとりとして真剣に問おうとはしていないからでもある・・
個人のリーダーシップとやらもそうであるように、会議には会議の限界というものがある・・
詳しくは、原文をお読みください。

フクシマ危機時のアメリカ政府の意思決定

月刊『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2012年4月号に、前アメリカ国家情報会議の幹部であったジェフリー・ベーダー氏が「フクシマ危機を前にホワイトハウスはどう動いたか―米市民の保護か日米間への配慮か」を書いています。東京電力福島第一原発事故の際に、アメリカ政府はどう考えどう行動したか。日本政府から、情報が十分に伝わらない(日本政府も持っていない)場合に、どのように対応したかが、書かれています。
日本にいるアメリカ市民を対象とした避難地域の設定をする際に、日本政府が設定した半径12マイルではなく、半径50マイルの避難地域を設定したこと(ここには、アメリカ人がほとんどいなかった)。しかし、東京にいるアメリカ市民(約9万人)とその近郊にある横田と横須賀のアメリカ軍とその家族への避難指示は、難しい課題であったこと。すなわち、アメリカ大使館関係者や米軍の家族は避難を望み、一方でアメリカ政府が避難勧告を出すことの日本社会へ与える「非常に大きな衝撃=パニック」の可能性をどう考えるかという難問。そして、最悪のシナリオを考え、緊急避難計画を立案すること、それが漏れた場合の対処。
勉強になります。また、その担当者が、そのプロセスを公表することも。詳しくは、原文をお読みください(『フォーリン・アフェアーズ』は英語誌ですが、私は日本語訳の『フォーリン・アフェアーズ・リポート』で読んでいます。といっても、読まないうちに次の号が届きます。反省)。

スーパーで考える、哲学と接客

今日の東京は、良い天気でした。近所のスーパーマーケットに、「お客様の声」という掲示板があります。買い物客が投書した「意見書」と、それに対する「店の回答」が貼ってあります。キョーコさんが「勉強になるわよ」と言っていたので、見てきました。
一つ目の投書は、「福島県産の卵ばかり置いてあります。被災地を応援しようということは理解できますが、そうでない人もいます。前のように西日本の卵も置いてください」でした。店の答は「福島県産の他に、××県(西日本の県)の卵も置いてあります」でした。
もう一つの投書は、「近くの別のスーパーでは、同じ品がより安いです。レシートを貼っておきます(実際に、レシートが貼ってあります)。お宅の従業員もあの店で買っているのを、よく見かけます」という趣旨でした。どう答えるのかなと見たら、「仕入部に伝えます。一度、お目にかかってお話を聞かせてください」でした。

外国人が日本で買っていく物

外国人観光客が、日本で買っていく物はなんだと思いますか。日経新聞電子版の「映像ニュース」が伝えていました。「映像ニュース」の「話題・特集」から、「秋葉原で外国人に人気の商品」(前編)(後編)をご覧ください。
かつて日本人のヨーロッパ旅行の土産は、お酒、たばこ、チョコレートでした。その後、ブランドものの鞄やネクタイ、時計などに変わりました。アジアの人たちが日本で買っていく物には、意外なものがあります。
あなたなら、外国からのお客さんに何を勧めますか。私は文化的なものだと、東京国立博物館のミュージアムショップが、外国の方におもしろいのではないかと、紹介していました。他には、スーパーマーケット、ドラッグストア、文房具店などが、日本人の現在の暮らしを見てもらえるので、お勧めかなと思っています。
「これぞ日本だ」というものが思い浮かびませんが、和菓子屋さんも良いですよね。もっとも、生菓子は持ち帰ることはできませんが。

日本の移民対策

宮島喬御茶ノ水大学名誉教授が、東大出版会PR誌『UP』5月号に、「地方の時代と国際化」(連載「四半世紀の国際化、多文化化をみつめて」第4回)を書いておられます。先生は、日本での移民(定住外国人)問題について発言をしてこられました。
・・欧米でも移民の受け入れに地方の果たす役割は大きい。カナダでは・・ドイツでは・・イギリスも・・。
しかし同時に、受け入れの理念、政策、移民の権利や給付につき国が基本方針を示すのは当然で、たいていその主務官庁も決まっている。担当の大臣はメディアにも頻繁に登場し、国の方針を語る。だが、日本では国家の顔がよく見えない。訪れる外国人研究者から「移民の統合政策を担当するミニストリーはどこか」と尋ねられて、答えに困るのである・・

この問題については、「2009年11月15日の記事」で取り上げ、内閣府に定住外国人施策推進室が設置されたことを紹介しました。しかし、まだ世間での認知は薄く、先生の指摘のような状態が続いています。マスコミの政治部記者でも、何割が知っているでしょうか。
ここには、定住外国人(移民)にどう対応するかという方針の問題と、それを政治の課題として扱うかどうかという二つの問題があります。もちろん二つは関連しています。そして、課題を解決するためには政策をつくるだけでなく、それを所管する専門組織が重要です。「あまり受けない問題」は、とかく置き去りにされがちです。これを日本の中央政治と行政の「機能不全」というのは、言い過ぎでしょうか。
外国での事象には「移民」という言葉を使いながら、日本国内での事象には「移民」をあまり使わず、「定住外国人」と呼ぶことが多いのも、何かしら意図があるように思えます。