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社会の変化と政策の転換

6月1日の読売新聞「列島再生。住み方の転換」で、公営住宅が取り上げられていました。少子高齢化と人口減少に直面して、政府や自治体が進めてきた住宅政策が曲がり角に来ていることです。
公営住宅は、所得の少ない若い夫婦と子ども世帯を想定し、入居者の収入が増え、子どもが大きくなったら出ていくという考えで、設計されていました。しかし、退去者は増えず、気がつくと団地は高齢者で一杯になっていました。都内に約26万戸ある都営住宅では、名義人が65歳以上の高齢者が、全体の半分を超えたとのことです。
公営住宅は、若い夫婦が住宅を持つまでの場所ではなくなり、自宅を持たなかった高齢者の住まいになっています。夫婦と子ども2人というモデル家族がモデルでなくなり、最も多いのが1人暮らしです。そして、高齢者の独り暮らしが多くなりました。社会の変化が、政策の転換を迫っている例です。

誤りをわびる

岩波書店のPR誌『図書』6月号の宮下志朗さんの文章に教えられ、河野与一著『学問の曲がり角』(新編2000年、岩波文庫)で、次の文章を探しました。
出版物についている正誤表についてです。印刷術発明以前には、正誤表はなく、手書き本では、間違ったら訂正していたのです。印刷本も最初は一部ずつ、間違っていたか所をペンで直していました。そのうちに、いい加減な印刷が増え、訂正の費用もかさみ、本も汚くなるので、誰かが正誤表を付けることを考えました。
1478年に、ヴェネツィアで印刷された本についている正誤表に、次の文句が書かれています。
「読者よ、職工の不注意から来た誤植を、お怒りにならないように。我々もそう始終注意ばかりしているわけには行きません。すっかり見直して、これだけ訂正したところを買って下さい。」

良いですねえ、このおわびは。「二度と起こらないように注意します」というのが、おわびの定番ですが。人間とは間違う動物である・・。毎日の仕事では、いろんな失敗が起きます。それを全てなくそうとすると、たいへんな労力と時間が必要になります。「8対2の法則」によれば、8割の完成度に達した後、残りの2割を達成するには、同じくらいの労力が必要になります。
もちろん、二度と起こしてはいけない間違いもあります。

経団連での説明・企業への期待)

今日は、日本経団連にお招きを頂き、復興の現状と課題を、お話ししてきました。企業には、救助の段階で、無償の支援やインフラの早期復旧など、たいへん貢献してもらいました。このホームページでも、紹介したとおりです。
復興の段階になって、各種の工事を担っていただくほか、商業サービスの再開、雇用の場の再建をお願いしています。(2012年5月21日)

先日21日に、経団連でお話しした概要が、経団連のホームページ「経団連タイムス」に載りました。こうして広く見てもらえるのは、ありがたいですね。
また、同日に別の部会で行われた、RCF復興支援チームの藤沢烈代表理事の「NPOから見た復興支援のあり方」も載っています。藤沢さんには、復興庁のNPO連携班も勤めてもらっています。

欧米語に少ない擬音

5月31日朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記・日本語の海へ」は、擬音と擬態語(オノマトペ)でした。
世界30か国以上で翻訳されている、尾田栄一郎さんの「ワンピース」。主人公が敵に向かって走り出す場面で、「グアッ」と音が書かれている部分が、英語版ではそのままアルファベットで、GWAAAと記載されています。敵を蹴る場面で「タンッ」という音も、フランス語版では「タンッ」と日本語のままで、「KICK」と補足してあるのだそうです。
欧米語では、オノマトペの多くを、動詞で言い換えるとのこと。ニコニコは、英語ではsmileになります。
玄関のチャイムが鳴ると、わが家では「チャイム」とは言わずに「ピンポンが鳴った」と言います。相手の答が正しいときの返答は、少し発音が違う「ピンポーン」です。間違っていたら、「ブ、ブー」。これは、多くの人が使っています。
お店の前にある、お金を入れると、プラスチックのカプセルに入ったおもちゃなどが出てくる機械は、「ガチャガチャ」ですよね。インターネットで検索すると「カプセルトイ」と言うのだそうですが、ほとんどの人は、「ガチャガチャ」と呼ぶでしょう。将来、これらの言葉は、国語事典に載るのでしょうか。

部下を怒鳴る上司

朝日新聞日曜別刷り「be」に、吉田潤喜さんの話が載っていました。アメリカに渡り、不法移民から、ソースを売って億万長者になった人です。その苦労と成功の物語は、別途、読んでいただくとして、私が紹介したいのは、日本についての、次のような発言です。

・・テレビを見ていたら「カリスマ経営者」といわれる人物が、これ見よがしに社員を罵倒しているのを見て、「アホか」と思った。あの弱肉強食、生き馬の目を抜く米国のビジネスの現場でさえ、部下のことを人前で怒鳴ったりしない。注意したいことがあったら、一杯誘う。
あんな人間がカリスマだ、リーダーシップだともてはやされる社会は、どこか間違っている・・