岡本全勝 のすべての投稿

東日本大震災に対する特別交付税の対応

月刊『地方財務』2012年8月号(ぎょうせい)に、黒田武一郎・総務省財政課長(現・審議官)が、「特別交付税の機能についての考察―東日本大震災に係る対応を中心として―」を書いておられます。55ページにわたる大論文です。
地方交付税の解説というと、多くは普通交付税について書かれています。この論文では、とかく忘れられがちな特別交付税の機能について書かれたものです。
さらに、今回の東日本大震災に際しては、これまでにない対応を、いくつもしてもらいました。通常なら基礎数値の報告を待ってから算定するものを、それを待たずに行ったこと(町役場が流された町は、それどころではなかったです)。災害復旧の場合は、地方債でひとまず手当てして、その元利償還金を後に交付税で措置するものを、現ナマの交付税で手当てしたこと。国庫補助事業の地方負担分をほぼすべて手当てしたこと(被災地では自己財源がありません)。東京都にも配ったこと(これは制度ができて以来、初めてのはずです)。単年度でなく、複数年度を考慮した配分にしたことなど。
担当課長として、その際の考え方を整理した論文です。後世に残るものでしょう。ありがとう。
「とかく官僚や行政は、前例通りで融通が利かない」と批判されますが、これを見ていただくと、そうでないことがわかってもらえます。このような大胆で臨機応変な措置をしていただいた総務省と財務省に、感謝します。でも、マスコミって、こんなことは書いてくれないのですよね。

低線量放射能への不安、足を踏みつけた場合の対応

8月15日の朝日新聞「ニッポン前へ委員会」、神里達博大阪大学准教授の発言から。
震災がれきの広域処理をめぐって、拒否反応があることに関して。
・・実は、この問題の背景には、現代社会におけるリスク問題に特有の「二つの不在」が作用していると考えられる。
まず一つは、「知識の不在」である。現代の行政は原則として、科学的事実に基づいて客観的に遂行される。ところが、あるレベルを下回る放射線の健康影響については、科学的知見そのものが不足している・・
もう一つは、「責任論の不在」である。たとえば電車内で足を踏まれたとき、相手からの「すみません」の一言があるかないかは、大きい。もし、謝罪の言葉よりも先に「あなたの足にかかった圧力は弱いので、けがの恐れはありません、ご安心ください」などと言われたら、かなり温厚な人でも怒るだろう。だが、今回の原発事故に伴う放射能汚染の問題では、まさにそのような状況が続いている。程度の差はあれ、「足を踏まれた人」は間違いなく大勢いるのに、謝罪する者は事実上、現れていない。人々はきっとそのことに、どうにも納得がいかないのである・・

科学者の知見の活用

イギリスやEUには、政府に首席科学顧問(Government Chief Scientific Adviser)が置かれているとのことです。イギリスのThe Government Office for Scienceのホームページ。どのような仕事をしているかは、リンク先をご覧ください。
8月2日の朝日新聞オピニオン欄は、EUの首席科学顧問のアン・グローバーさんのインタビューを載せていました。

原発事故について。
・・私は英国の首席科学顧問のジョン・ベディントン氏と一緒に対応にあたりました。情報収集はきわめて困難だった。理由の一つは、日本に首席科学顧問がいないから。もしいたら、即座に科学者のネットワークができ、情報交換や情報の批判的検討もできた。日本にとっても、助けになったと思います。世界中から最良の知識を持った科学者を探し出し、力を貸してもらえたでしょう・・

ベディントン氏が、事故直後に東京の英国学校長に学校閉鎖の必要はないと明言したことについて。
・・私たちは誰もが意見を言える場を作り、影響について議論しました。ベディントン氏がその情報を政府に持って行き、首相が証拠に基づいて決断したわけです・・

英国で狂牛病が広がったとき、政府は当初、人には感染しないと言ったが、後になって間違いだとわかった。このときは、英国の科学者も信頼を失った。どうやって、信頼を取り戻したのかについて。
・・私は、間違いを認めることによってだと思います。正直さがとても大事です。そして透明性です。当初は人に感染する証拠がなかった。それは事実です。その後の研究で、感染しうるとわかった。それで、我々は間違っていたと正直に伝えたわけです・・

全体を通して責任を持つ

8月12日の日経新聞「経済史を歩く」は「トヨタ・カローラ発売(1966年)、大衆車の時代開く」でした。今日紹介するのは、大衆車についてではなく、組織管理・製造管理についてです。
そこに、開発の指揮を執った長谷川龍雄さんが紹介されています。
・・長谷川さんは、カローラ以前に「パブリカ」という車の開発責任者を務めた。このクルマは長谷川さんの合理的な性格を反映して、ムダを徹底して省いた。その結果、豪華さに欠ける寂しいクルマになり、技術的にはよかったがあまり売れなかった。このときの経験がカローラで生きた・・
こうして、ライバル車である日産のサニーを各仕様で少しずつ上回るカローラがつくられ、消費者の心をつかんだのです。
・・カローラは単によく売れた車というだけでなく、トヨタという企業の骨格を決定づけるほどの重要さを持った。トヨタは新車開発に関して主査(チーフ・エンジニア)という役職を設け、1人の人間が設計からデザイン、値決めまで全て関与する仕組みを今も継続しているが、その「主査制度」が定着した一つのきっかけがカローラ開発における長谷川の成功だった。
主査は開発室で新車の図面を引くのが仕事ではない。販売店などを訪ねて、お客がどんなクルマをほしがっているかを肌で感じ取り、それを新車に盛り込む。トヨタ元会長の豊田英二は「主査はいいクルマをつくるために、社内の誰に対しても直接意見をぶつける権利があり、義務がある」と言明した・・

大会社に限らず少し事業が大きくなると、組織は縦割りにならざるを得ません。自動車製造だと、たぶん企画、設計、材料調達、製造ライン設計、製造、運搬、販売、それらを通した会計管理、人事管理が必要です。当然それぞれに責任者(課長や部長)がいます。そしてその上に役員がいるのでしょう。
しかし、そのような階統制(ヒエラルヒー)による管理監督では、必ずしもうまくいかないことがあります。それぞれは正しいことをやっているのですが、全体を通して見るとおかしなことになっている場合です。目標や哲学が共有されていたら、防ぐことができます。しかし共有するための会議を重ねているようでは、これまた非効率です。船頭が多いと船は山に登ります。
この主査制度は、よく考えた仕組みですね。ただし、その人にかかる責任は、大きなものになります。
組織における「集中と分散」「集権と分権」は、永遠の課題です。

アメリカが広めたもの・資本主義経済、自由主義、多国間統治

8月10日の日経新聞経済教室、ジョン・アイケンベリー教授の「自由の秩序、文明を超えて」から。
・・
世界秩序は米国一極支配から、新しい時代への「大いなる転換」を遂げつつある。では、新しい世界秩序は、どのような形になるのだろうか。
中国の台頭と米国の衰退で、リーダーシップの交代が起きるという見方や、数世紀に及んだ欧米主導の世界秩序から、アジアの力と価値観に基づく秩序への転換が起きるとの見方もある。また、勢力伸長の著しい非欧米諸国(インド、ブラジル、南アフリカ、トルコ、インドネシアなど)が指導的地位と権威を争う、多極体制への転換が起きるとの見方のほか、新しい世界秩序は形成されず無秩序と混沌に陥るという、悲観的な見方もある。
そこに共通するのは、米国は長い衰退期に入り、同国が構築し過去半世紀にわたり率いてきた自由主義志向の世界秩序は過去のものになったとの認識だ。だがこうした見方は、本質を見誤っている。現在進行中の大いなる転換は、米国が主導してきた戦後秩序の衰退でなく、むしろ成功を意味する・・
今日大いなる転換が進行しているのは、米国主導の旧秩序が所期の目的を果たしたからにほかならない。その目的とは、多国間統治の枠組みの中での貿易、成長、相互依存の促進である。戦後秩序の設計者は、軍事・経済ブロック、帝国主義、重商主義、勢力争いで特徴づけられる1930年代への逆戻りを食い止めようとした。そして自由主義的な世界秩序を確立し、多国間のルールと組織や民主国家の連帯により、その秩序を強化すべく努力した。
今日の国際政治の「問題」、すなわち非欧米諸国の台頭にどう対応するか、増え続ける相互依存型の問題への取り組みでどう協力するかという問題は、この自由主義的世界秩序が過去半世紀うまく機能したからこそ生じたといえる・・
現在の転換は、「アジアの台頭」や「多極体制への回帰」とみるべきではなく、自由民主主義と資本主義の世界的な拡大とみなすべきだ・・詳しくは原文英文をお読みください。

アメリカをはじめとする西欧先進諸国に追いついた日本も、追いつきつつある中国を含む新興諸国も、アメリカなどが設定した経済思想と仕組み、貿易や金融の仕組み、国際関係の仕組みを利用しこそすれ、それに対抗するあるいはそれを超える思想と仕組みを打ち出してはいません。生活も娯楽もです。アメリカ文明に代わる「日本文明」や「中国文明」は、今のところありません。

また、スーザン・ストレンジが提唱した「関係的権力」と「構造的権力」が思い浮かびます。前者は、相手にいうことをきかせる力です。後者は、世界の政治経済構造をかたちづくり決定する力です。『国際政治経済学入門』(邦訳1994年、東洋経済新報社)。
スポーツにたとえれば、決められたルールで決められた「土俵」の上で戦います。どちらかのチームが勝ちます。それが関係的権力です。そのルールと土俵を設定して、自らの考えたルールで他のチームも戦わせるのが構造的権力です。少し単純化が過ぎますが。