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震災をきっかけに変える社会


3月9日朝日新聞オピニオン欄、臂(ひじ)徹さん(おらが大槌夢広場事務局長)の発言から。
・・・過疎や貧困など社会問題解決を仕事とする「ソーシャルビジネス」の人材の密度は、今の被災地で、日本にかつてなかったくらい高くなっています。
元々、消防団や自治組織など「社会的責任」の意識が高い地域に、外から事業化のノウハウを持つソーシャルビジネスの人材が来た・・
官民の関係も変わりました。役場は復旧作業で手いっぱいで創造的な仕事はできないし、支援に来たNPOの対応をほとんどできず、「おらが」がその受け皿として、おびただしい人脈を築いた。元々官尊民卑な土地でもあったし、行政は町民を信用していませんでしたが、震災後は、町民が日本のどの地域にもないくらい「知恵袋」を持ち、成長しています・・
震災だけでは社会は変わりません。でも、変える力と継続があれば変えることができます。若い力に期待しています。

3.11二周年

今日は3月11日、発災から2年です。国立劇場では、政府主催の2周年追悼式が行われました。また、夕方には、総理の記者会見もありました。新聞やテレビは、記念の記事や番組で一杯でした。
NHKはインターネットで、記者の報告を連載しています。
2年前の3月11日を忘れてはなりませんが、私たちの仕事は復興を進め、被災者の生活をできるだけ早く元に戻すことです。
先日からこのページに書いていますが、多くのところで工事が始まっています。また、住宅建設の地区別予定も、示しました。原発被災地での復旧は、遅れています。賠償の支払いを急いでもらい、除染と復旧を進めなければなりません。来年の3月には、「これだけ進みました」とお示しできるように、関係者の協力を得てがんばりましょう。

経済同友会講演、2年間の総括

今日は、経済同友会に呼んでいただき、仙台で講演をしてきました。これまで2年間に政府は何をしたか、現地はどこまで復旧したか、これからの課題は何かなど、2年間の総括をしました。
発災直後の被災者支援から引き続き復興に携わっている者として、経過を整理し評価するのは、私の責務です(ただし、原発事故対応は私の所管外でしたので、別の方にお願いします)。
そのような観点から、レジュメと資料を作り直しました。レジュメの方は、これまでと余り変わっていませんが、資料を作り替えました。これまでにたくさんのデータが蓄積されているのですが、その時々のものなので、2年分を振り返るという視点からは、見にくいです。たくさんのデータを再整理して、簡単にわかるようにする必要があります。職員の協力を得て、作りました。順次、復興庁のホームページでも、公開します(まだ未定稿なので、確認が必要です)。
全体像を見るのは、案外難しいです。どのような視点から見るのか。そのためには、どのようなデータを選ぶか。インフラ復旧、仮設住宅や高台移転の進捗状況だけでは、今回の大災害の復旧は見えてきません。国土の復旧だけでなく、住民の生活の再建という視点が必要なのです。
そして、今回の大災害が日本社会に与えた変化や、復興に当たってどのような社会を作り上げるのか、といった日本社会論の視点などもあります。これは、数字では表すことはできません。合わせて、これまでにない災害に対して、国家行政(官僚)に問われていること(前例通りでは解決しないこと)。自治体、企業、NPO、住民の役割とは、などなど。視点は、たくさんあります。
今日のお話は、焦点を絞りつつも、欲張った内容になりました(いつものことですが)。マスコミにも公開されているので、「やや控えめに」お話ししました。歯切れが悪くなります。かえって疲れますねえ(苦笑)。

大震災は日本を変えるか、2

私が「変わらなかった」と主張するのは、次のようなことからです。
現実として、日本社会は変わりませんでした。明治維新や戦後改革のような、社会構造や国民の意識に大きな変化はありませんでした。
一つには、被災地域と人口が限られていたからです。大きな災害でしたが、東北3県の人口は全人口の5.5%でした。
変わったとすると、被災地での絆が強まったとか、ボランティア活動や企業の社会的責任がより認識されるようになったことが、挙げられます。また、防波堤だけでは守ることはできない、自分の命は自分で守る、逃げるということがわかりました。
この災害をきっかけに社会が変わるためには、「変える努力」が必要だと思います。統治者が変わるような革命は、民主主義の日本では想定しにくいです。
しかし、社会がじわじわと変わることはあります。少子高齢化で、家族の形態は変わりました。介護保険で、高齢者の面倒を見る形も変わりました。それらと同じように、ボランティア活動の広がりが日本社会を変えていくでしょう。若い起業家が増えることで、産業や若者の労働観が変わるでしょう。
アメリカで、寄付文化やボランティアが活発なのは、キリスト教文化とともに、ベトナム戦争反対と若者の反乱(カウンター・カルチャー)によって、優秀な若者がエスタブリッシュメントに対抗して新しい生き方を選んだからだと聞いたことがあります。
日本社会を変える。そのためには、「若者の挑戦」が必要です。待っていても、革命は起きません。

官僚の仕事は未来との対話

かつて、イギリスの歴史家E・H・カーは、「歴史は、現在と過去との対話である」と表現しました(『歴史とは何か』1962年、岩波新書)。その言葉を借りると、私たち官僚の仕事は、「未来との対話である」とも言えます。
現在の社会が抱える問題に対し、それをどのように解決していくか。目標を立てて、それを解決する政策を進めていきます。課題を設定し、解決策を見いだし、現在ある財源、職員、ノウハウ、情報を動員します。
私たちが見据えなければならないのは、未来であり、責任を取らなければならないのは、将来の国民に対してです。歴史家や学者は過去を分析しますが、官僚は未来を作らなければなりません。
その際に、工程表を作り、関係者を巻き込んでいきます。「できる官僚」とは、それを上手にできるプロデューサーやディレクターでしょう。目標と時間軸と手法を提示して、作戦を実行することです。いつまでに何をするか。それには、どれだけの人や方法を利用できるか。
復興の仕事をしていて、自分の役割を見なおし、そんなことを考えています。