岡本全勝 のすべての投稿

民主主義と資本主義、最悪だがこれ以上のものはない

2013年12月31日の朝日新聞オピニオン欄、大沢真幸さんの「2013、不可能性の時代を生きる」から。
私たちは、なぜ「次」の言葉を見いだせないのでしょうか、という問に対して。
・・原因は大きく言って二つあります。一つは、いつか確実に沈むとわかっていながら、資本主義という船を下りることができないからです。「民主主義は最悪の制度だが、これ以上の制度はない」という趣旨の、チャーチル元英首相の発言がありますが、これは資本主義にこそ当てはまります。
資本主義はとてつもない格差を生み、善でも美でもないことを人間に要求する。この船は必ず沈む。だけど他に船はない。社会主義という船はもっと危なそうだし、外は嵐だから下船したら即死だと。だからみんな必死にしがみついていて、一見すると、資本主義が信奉されているかのようにしか見えない。笑えない喜劇のような現状です・・

社会と民主主義をつくる「参加による習慣」

宇野重規先生の『民主主義のつくり方』(2013年、筑摩選書)を紹介します。宇野先生は、トクヴィル研究で有名です。先生は、この本を、『トクヴィル、平等と不平等の理論家』(2007年、講談社選書メチエ)、『〈私〉時代のデモクラシー』(2010年、岩波新書)とともに、デモクラシー3部作と言っておられます。詳しくは、本を読んでいただくとして。
『〈私〉時代のデモクラシー』については、このホームページでも紹介しました(2010年5月5日)。近代は、自由と平等を達成し、それが社会の不安と不満を生みました。身分や所属する団体による不平等を撤廃することを目指し、それを達成して見えてきたものは、あらゆることを自分で判断しなければならないという負担であり、その選択に責任を持たなければならないという不安です。また、中間集団の希薄化は、個人の砂状化とともに、政治への回路をなくしてしまいます。では、ばらばらになった個人〈私〉は、どのようにして〈私たち〉をつくりだすのか。それに答えようとするのが、本書です。
この本では、プラグマティズムの考えを手がかりに、皆でつくる「習慣」が、個人と社会をつなぎ、社会をつくることを論じています。そこにあるのは、所与のものとして与えられるのではなく、市民・民衆・個人が参加しながら作り上げなければならないという事実・原理です。
このホームページをお読みの方は、お気づきでしょうが、これは地方自治の原点です。拙著『新地方自治入門』では、豊かさを達成した地方行政の目標が、モノを増やすことから、関係を充実することへと変わることとともに、住民がサービスを受ける客体から、参加する主体になるべきであると主張しました。参加は、国家規模では難しいですが、自治体や近所付き合い、サークルやNPOなど中間集団では容易です。
私は、津波が全てを流し去った町を復興する際に、官(行政)・私(企業)・共(町内会やNPOなど中間集団)の3つが必要なこと、そして住民合意の際にコミュニティが重要であると指摘しています。「被災地から見える町とは何か」(2012年8月31日、共同通信社のサイト「47ニュース、ふるさと発信」)。

美術館巡り

東京は、今日も良い天気。家にばかり閉じこもっているわけにはいかないので、今日は美術館へ。
まずは、六本木のサントリー美術館で、平等院鳳凰堂の「飛天の美」へ。展示品もさることながら、「こんな手があるのか」と、感心しました。
模刻ですが「雲中供養菩薩像」を、触ることができるのです。通常は「展示品に手を触れないでください」と注意書きがありますが、これは違うのです。さらに、この仏さんには、お坊さんによって魂が入っていて、ありがたみが違います(作品番号071-10。「結縁像」と書いてあります)。そして極めつけは、この仏像そのものが、鳳凰堂のお堂の中に飾られるのです。展覧会のサイトには、詳しく載っていないようです。
「え~、私がなで回して、手の脂のついた仏さんを飾って、ええのかね」と、ちょっと恐縮します。もっとも、既にたくさんの人が触っていて、光っている部分もあります。あぶら抜きの加工をして、塗装するのでしょうか。南20番という仏さんなので、今度京都に行ったら、確認しなければなりません。
仏さんの同じ部分をなでると、病気が治るといって、触らせてもらえる仏さんもありますが、今回のはかなり繊細な木造彫刻です。仏さんへの功徳としては、写経をして納めるとか、瓦に名前を書いてもらえるといった、参加型の寄付がありますが、これは初めての体験でした。入場料1,300円と、並んで待つだけの価値はありました。「私も触りたい」と思われた方は、お急ぎください。1月13日までです。
勢いに乗って、上野の西洋美術館の「モネ展」へ。ここも、結構な混雑でした。モネの睡蓮は好きで、かつてパリから、大きなポスターを買って、持って帰ってきました。額に入れて職場でも飾っていたのですが、現在は自宅で寝ています。

平成26年元旦

あけまして、おめでとうございます。みなさん、良いお年をお迎えのこと存じます。東京は、暖かな元旦です。
我が家も、家族そろって、健康で正月を迎えました。近所の神社にお参りをして、娘夫婦も訪ねてきて。奈良の両親には、電話で挨拶を済ませ、届いた年賀状を整理してと、いつものお正月です。
今年もたくさんの年賀状をいただき、ありがとうございます。励ましの言葉や、近況報告が書き添えてあって、それぞれにうれしいですね。「ホームページ、毎朝見ています」や「最近、堅くて、おもしろくなくなりましたね」とかか。はい、ご指摘の通りです。
交通機関、病院、消防、警察など、年末年始の休みもなく働いておられる人たちに、感謝します。電気、ガス、水道などライフラインが支障なく使えるのも、運転しておられる職員のおかげです。
今年が、皆さんにとって良い年でありますように。

産業振興、政府はどこまで関与すべきか

12月29日の日経新聞、「ベンチャー育成、官がどこまで」に、政府の成長戦略として、官が主導するファンドによる新企業育成の議論が載っていました(官民ファンド)。政府が産業にどこまで、どのように関与するのかは、大きな課題です。
国家が経済成長をするために、産業政策がとられます。かつては、欧米先進国に追いつくために、先進的な産業を導入し保護育成しました。他方で、衰退する産業を保護しました。これは、技術指導、補助金、低利融資、税制、参入規制などの手法を組み合わせました。
また、一時的に破綻に瀕した個別企業を救済したこともあります。企業再生や銀行救済などです。このほか、日本の生活文化を海外に売り込むための、「クールジャパン機構」も作られています。
かつてのような特定産業の保護育成は、終わったようです。今、話題なっているファンドは、どの産業と決めずに新産業・ベンチャーを育成しようというものです。追いつき型経済発展の時代が終わったら、自らで新しい分野を開拓する必要があります。既存企業が新しい分野に進出するほか、ベンチャー育成は、その一つです。
放っておいてもどんどん新企業が出てくれば良いのですが、近年の日本は廃業が多く開業が少ないとのことです。起業家精神を喚起し、どのような条件を整えると、新企業がたくさん出てくるのか。その際どこまで、政府が関与するかです。
ところで、銀行がこのような挑戦者に融資をしてくれるほかに、保険の役割もあります。新しく見込める商品やサービスに、リスクの補償をするのです(例えば、2013年7月18日、日経新聞「ニッポン金融力会議。新産業、保険で後押し」)。そのような観点からも、保険の役割は重要です。目的とともに、手法も大切です。