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北魏宮女とその時代

果てしない余生 ある北魏宮女とその時代』(2024年、人文書院)を読みました。ある書評に取り上げられていて、面白そうだったので、図書館で借りました。著者は北京大学の教授で、原著は2022年刊です。

古代中国の北魏(386年~535年)時代の話です。歴史で習った雲崗や龍門といった巨大石窟、北魏様式のあの北魏です。
その後宮に仕えたある女性の人生を取り上げていますが、記述の多くは北魏の政治、皇族や高官の権力闘争を描きます。その資料は、出土したたくさんの墓誌です。近年も次々と発見されているようです。こんなことまでわかるのかと思うくらい、たくさん出土しています。史書に書かれていないこと、特に女性については、史書に出てこないのですが、墓碑にはいろんな情報が書かれています。

北魏では子が皇太子となると、その生母が死を賜る「子貴母死」の制がありました。外戚が権力を振るわないようにです。ところが、皇后がこの制度を利用して、自らの権力を高めます。皇太子の母を殺した上で、自分または息のかかった女性が皇太子を育てて、母親代わりとなるのです。そして、親族を登用します。
皇帝は自らの地位を安泰にするために、親族を殺します。また、殺されます。それが通常という、怖い世界です。

文章は読みやすいのですが、なにせたくさんの人が登場し、似たような名前なのでこんがらがります。

消費減税論の7つの問題

4月25日の日経新聞大機小機は、「消費減税論への7つの問い」でした。
「物価高や米関税措置への対策として、「時限的な消費税減税」を求める声がある。時事通信社の4月世論調査では、賛成が68.4%と反対の14.0%を大きく上回った。夏の参議院選挙を前に、この議論は与野党を巻き込んで盛り上がることだろう。消費減税は現実的な選択肢となり得るのか。7つのチェックポイントを考えてみた」として、次の7つが挙げられています。

すこしでも経済の仕組みを理解している人なら、わかることです。このような議論を無視して「減税」を主張することは、国民を馬鹿にしているようにも思えます。

(1)今はインフレである。景気刺激のための減税はインフレを加速する。
「困っている人を助ける」ことが目的ならば受給対象を絞った給付金が適切なのではないか。
(2)今の日本経済は、需要が足りないというよりは供給力不足が問題。
コメが典型的で、作る人が足りなくて値段が上がっている。消費減税という政策は、人手不足という課題に対して全く無力である。
(3)いつから税率を下げるのか。
消費税率を変えるには法改正が必要であり、国会が今すぐ取り掛かったとしても年内実施は容易ではない。
(4)時限的な消費減税を実施する場合は「いつ元に戻すのか」。
(5)消費減税の際には、増税時と同じコストがかかる。
商店は値札を替えねばならず、会計ソフトなども更新することになる。納税する事業者の負担がある。
(6)消費減税によって個人消費が増えるという保証はない。
コロナ禍の際の10万円の給付金さえ、ほとんどは貯蓄に回った。
(7)確実なのは、減税によって国の財政赤字がさらに悪化すること。

叙勲

今朝29日の新聞で報道されましたが、このたびの叙勲で、瑞宝重光章をいただくことになりました。ありがたいことです。
たくさんの方々から、お祝いの言葉をいただきました。ありがとうございます。

私一人で、ここまで来られたわけではありません。仕事で世話になった人たちや、家族の支えがあってこそです。改めて感謝します。
ただし、私が最後に携わった東日本大震災からの復興は、津波被害についてはほぼ完了しましたが、福島の原発被害からの復興はまだ道半ばです。道筋をつけたつもりですが、まだまだ先が長い戦いです。後輩たちが仕事を引き継いで、国としての責任を果たしてくれると信じています。
福島中央テレビニュース

野中郁次郎さん、外国への発信

4月18日の日経新聞夕刊追想録は野中郁次郎さんの「経営とは生きざま」でした。

・・・野中氏といえば、「失敗の本質」や「知識創造企業」(いずれも共著)があまりにも有名だ。だが、もう一つ他の経営学者と違ったのは著書の外国語訳にこだわった点だ。
教壇に立ち始めた1970年代は日本の経営学も米研究の「解釈学」といわれていた。だが、日本にも暗黙知と呼ばれるものに裏打ちされた優れた知識創造の経営はあった。それを発信し続けた・・・

法学にしろ政治学にしろ、日本の社会科学の多くは、欧米の学問の「輸入業」でした。欧米への発信だけでなく、アジアへの発信もしてこなかったのではないでしょうか。

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』2

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』の続きです。
91ページ以降に、「ディセルタシオンの誕生ー市民の論理と思考法」が書かれています。これは、日本の作文教育、学校教育だけでなく、法学部での教育と比較して、深く考えさせられます。

・・・ディセルタシオンは、自律して考え判断できるフランス市民(国民)育成のために18世紀末に起こったフランス革命後、100年余りの試行錯誤の中から創られた。フランス革命は人権宣言を理念的な柱とし、法の下の平等、人民による人民のための政治を宣言して「政治的主体としての市民(国民)」を誕生させた。これ以降、フランスは統治者である国民の育成という大事業に取り組むことになる。そのため公教育の目的は、憲法をも真理として扱わず事実として教え、完成している法律の称賛ではなく、「この法律を評価したり、訂正したりする能力を人々に附与すること」を求めることとした。近代の学校が国家を支える労働者と国家防衛のための兵士の育成を第一の目的としたのに対し、フランスはフランス革命の理念の実現を公教育の第一の目的にしたのである・・・

・・・実際にディセルタシオンの登場によって「暗記と模倣」が中心だった伝統的な教育は、生徒自らが構想し批評する教育へと大きく変化した・・・
・・・こうした歴史に照らしてディセルタシオンの構造を見ると、政治領域には欠かせない「既存の法律を評価したり訂正したりする能力」を育成し、「自立的に考え破断すること」「批判的にものを見ること」が論文構造に否応なく組み込まれていることが確認できる・・・
参考「できあがったものか、つくるものか