関西学院大学シンポジウム「霞ヶ関は今」に出演

今日11月13日は、関西学院大学丸の内講座特別シンポジウム「霞ヶ関は今」に出演しました。黒江哲郎・元防衛次官、矢野康治・元財務次官と一緒です。会場には80人、オンラインで130人の方が聞いてくださいました。

次のようなことを、話してきました。
私が公務員になった40数年前に比べ、官僚に対する社会の評価が大きく低下しました。官の比重が軽くなってきたという面はあるでしょうが。原因の一つは、1990年代の度を過ぎた接待などで「官僚バッシング」が起きたこと。もう一つは、社会の課題に的確に答えていないことです。30年間の経済の停滞、社会の不安に答えていないのです。
かつて、官僚の評価が高かったのは、清廉潔癖であることと、国家の発展に大きく貢献したからでしょう。その二つを、損なってしまったのです。このような状態を後輩たちに残して、申し訳ないと感じています。

優秀な若者が、官僚を選ばなくなったことも問題です。
その理由の一つは、やりがいがないことでしょう。仕事が増えているのに職員数が増えず、業務量が増えています。かつては係長がやっていた仕事を課長補佐がしているという声があります。それで、政策を考えることが少なくなっているようです。
もう一つは、給料など処遇が悪いことです。国会待機などに時間が取られ、働き方改革が実現していません。そして、大学時代の友人に比べ、給料がはるかに少ないのです。

官僚は、日本の将来を考える、ほかにない集団です。この集団を、上手に使ってほしいです。
参考「日本記者クラブ登壇「政と官」」(2021年5月27日)

失敗を畏れず、失敗から学ぶ

日経新聞・私の履歴書、ヘンリー・クラビス・KKR共同創業者兼会長。10月28日の「失敗に学ぶ」から。

・・・プライベート・エクイティ(PE)投資は素晴らしいアイデアだと思ったが、我々が始めた頃は誰も手掛けておらず、成功の保証もなかった。
始めるにあたり、失敗をいとわないことは必須だった。起業家なら誰もがそう言うだろう。「私は間違えたことがない」。こう言う投資家がいたら、その人は記憶が飛んでいるか投資歴が浅いか、真実を見失っているかだ。
KKRの最も偉大なイノベーションで、率直にいって会社を最も変えた決断も、悲惨な失敗と背中合わせだった・・・
・・・失敗で何を学ぶかも重要だ。「失敗したらさっさと認め、何を学んだのかまで周囲に話してしまえ」。ジョージは社内でこう勧めている。

失敗を認めない風土は危うい。「深刻な問題がある」。1990年代に金融危機が日本を襲う前、邦銀のCEOに切り出された。「問題って何ですか?」と私。「実は大量の不良債権がある」と彼。衝撃を受けた。その後の自滅は歴史が示す通りだ。
失敗に早く向き合って治せば軽傷で済んだのだ。ゴミをじゅうたんの下に隠し続けると、じゅうたんはゴミで膨らみ掃除も難しくなる。

失敗を容認しないと、企業の成長に必要なイノベーションも起きない。ジョージは「悪いアイデアより悪いのがノーアイデアだ」と警告する。
若い人には特に、失敗とそれを克服する機会を与えた方が良い。いずれ失敗するのだ。苦労を重ねるうち、良い判断の数は失敗を上回っていく。
失敗を語ってもいい文化は、新しいことに気持ちよく挑戦する風土を生み出す。ジョージと私は、「うまく行ったら手掛けた人の手柄。行かなかったら私たち2人だけの責任だ」と言って現場の雰囲気を和らげてきた。これからそれは、共同CEOを私たちから継いだ2人の仕事だ・・・
仕事ができる人は「ありがとう」を言える人

回復していない日本経済

このホームページでしばしば紹介している川北英隆・京都大学教授のブログ。世界の山歩きから近場の小さな山まで、その記録を楽しみに読んでいます。
でも、先生の本業は、株式市場や債券市場です。最近も「賃上げへの期待と現実」(11月4日)と「株価も失われた30年」(11月11日)を書いておられます。

・・・図表を2つ示す。製造業と非製造業(銀行や保険を除く)の労働分配率である。
つまり企業が生み出した付加価値(営業利益+人件費+減価償却費≒名目国内総生産=名目GDP)のうち、人件費として支払った比率の推移である。ついでに企業が営業利益として支払った、というか懐に入れた「利益分配率」も同じ図に示した。期間は1960年度から2023年度までである。
この2つの図から、製造業も非製造業も、足元で労働分配率を低下させ、それによって利益分配率を高めていることが判明する。つまり「賃上げ」はできるだけ抑制し、それによって企業自身の取り分を増やす行動である。1990年代以降を見れば確認できるだろう。
この傾向が著しいのが非製造業の大企業(資本金10億円以上の企業)である。製造業の大企業でも、コロナ禍が収束し円安が進んだ2021年以降、この傾向が急速に進んでいる・・・
・・・言い換えれば、2000年初頭まで、非製造業の大企業は設備投資に力を注いでいた。通信会社の携帯電話事業、コンビニの店舗網拡大が典型例だろう。しかしこれらの事業も成熟段階を迎え、設備投資がピークアウトし、それにともなって減価償却費の比率も低下したのである。付け加えれば、日本の場合、アメリカのIT関連企業のようなプラットフォーマー的事業展開は乏しいから、設備投資も大きくない。

まとめれば、大企業は政府の要請に応えるように、渋々ながら賃上げをしている。利益が増えていることも背景にあろう。一方、高い人件費を支払い、優れた人材を多く集め、世界的な競争に打って出よう、事業や産業を革新しようとの気概に乏しい。
ということで、賃上げと景気の好循環に入るのはまだまだ不足が目立つ。ということで、日本の景気は、依然としてアメリカなどの海外経済次第である。2024年度に入っても、状況はそれほど変わっていないだろう・・・

「株式市場は10年前に回復したが、経済は依然として回復しておらず、「失われた40年」になりかねない」という主張について。
・・・論点は2012年後半から上昇してきた株価を「蘇った」と見るのか、そうではなく「単に元に戻っただけ」と見るのかである。依然として上場企業の半分前後のPBR(株価純資産倍率)が1倍を割れている現在(言い換えれば解散価値を下回っている現在)、「失われた時代を乗り切った」と断じるのは言い過ぎだろう。もちろん、素晴らしい企業が日本にあることを否定しはしないので、曇天の中に青空が見え始めたと言うのが正しいのかもしれない。
そもそも先進国の経済は企業活動と一心同体であり、その企業群の中心に上場企業が位置する。とすれば、経済と上場企業が、片や失われた30年に陥り、片や失われた30年から抜け出したというのは変な論理である。

株価と株価の裏側にある企業業績が回復したように見えるのは、企業が人件費を節約しまくり、古い設備を使いまわしたからであり、大人しい従業員が文句を言わずに生活費を削って対応したからである。さらに足元では円安が急速に進み、その結果として企業業績が伸びたように見えている。しかし世界基準(たとえばドルベース)で日本の企業業績を評価するのなら、見掛け倒しでしかない。
付け加えれば、過去に活躍した企業のうち、今も世界で活躍し、注目され続けている企業が日本にどれだけ残っているのか。多くの日本企業は名前さえ忘れ去られようとしている。逆に新しく登場し、世界的に注目を浴びつつある企業が日本にどれだけあるのか。これも少ないだろう・・・

新型コロナウイルスの教訓、アメリカと日本

10月25日の読売新聞「米科学政策と日本の行方(下)」に「新たな感染症 対策急務 医療格差 コロナの教訓」が載っていました。

・・・新型コロナウイルス感染症への対策で、米国はワクチンや治療薬の開発を強力に進めた。一方、コロナ禍による死者は日本に比べ圧倒的に多かった。

米国のコロナ対策の「顔」となった米国立アレルギー感染症研究所長(当時)のアンソニー・ファウチ氏は、トランプ前大統領との対立も目立った。トランプ氏は、根拠のない治療法を推奨するなど、科学軽視の姿勢を繰り返したためだ。
ファウチ氏は2021年1月のバイデン政権発足後もコロナ対策の先頭に立った。記者会見で前政権との違いを問われると、「(バイデン政権は)透明、オープンで正直だ。全て科学とエビデンス(証拠)に基づく」と答え、前政権からの様変わりを印象付けた。
バイデン大統領は、22年3月、自身のワクチン接種の様子を公開し、国民に接種を呼びかけた。
その4か月後、バイデン氏はコロナに感染する。指針に従って自主隔離に入り、治療薬を服用した。「私の前任者はコロナに感染し、病院にヘリコプターで搬送された。私はホワイトハウスで(隔離期間の)5日間、仕事をした。私が受けた検査、ワクチン、治療薬は大統領でなくとも無料で受けられる」。22年7月、回復後の演説でバイデン氏は皮肉を込め、現政権の対策をアピールした。

ただ、世界保健機関(WHO)によると、今年9月29日時点で米国のコロナの累計死者数は約120万人で世界最悪だ。2番目に多いブラジルの1・7倍、日本の17倍で、バイデン政権下でも70万人以上が亡くなった。
惨状を招いた要因として、▽医療格差が大きく、低所得層が必要な医療を受けられなかった▽州ごとの方針がバラバラで統一した対応を取れなかった――などが指摘されている。米カリフォルニア大サンフランシスコ校のモニカ・ガンジー教授(公衆衛生学)は「公衆衛生当局の信頼は低下しており、改善は急務だ」と述べ、次のパンデミックへの危機感をあらわにする・・・

行政の手法、切り出しから連携へ

1980年代からの行政改革の哲学の一つは、小さな政府(スリム化)でした。そのために、役所の業務を民営化したり、独立行政法人化したり、外部委託に切り出したりしました。
近年、官民協働という概念で、役所が民間団体と一緒になって仕事をすることが増えました。東日本大震災でも、企業や非営利団体、ボランティアに助けてもらいました。そこには、役所の業務を民間に委託したものもありますが、そもそも民間がやっていることと役所が連携を取ったもの、民間の活動を役所が支援したものがあります。

地方自治法の改正(令和6年)で、「指定地域共同活動団体制度」が創設されました。地域社会を支えている地域の共同活動(町内会やさまざまな地域活動団体)と市町村が連携して、必要なら随意契約で仕事をしてもらうことができます。

連載「公共を創る」では、行政と市場が区別される「公私二元論」から、行政・非営利活動・営利活動の3つがそれぞれの役割を果たす「官共業三元論」への意識の転換を主張しています。さらに、サービスの提供という見方でなく「社会課題の認知と取り組み」という見方も提唱しています。
このような考え方からは、従来の行政の手法は「切り出し」であったものから「連携へ」と転換しつつあると見ることができます。