宮城大学で講義

今日1月12日は、宮城大学に講義に行ってきました。小沢 晴司教授のお招きで、事業構想学群「地域活性化とビジネス」の授業で「大震災復興での民間の役割」について話しました。講堂に180人の学生が集まって、熱心に聞いてくれました。

小沢先生は、環境省で勤務された研究者です。福島の原発事故からの復興、放射性物質の除染で、共に苦労した同僚です。環境の専門家であるだけでなく、産学連携も手がけてておられ、その点で私を招いてくださいました。

進まないコンパクトシティ

12月19日の日経新聞が「縦割りが阻むコンパクト都市」を書いていました。

・・・人口減少下で都市の規模を縮めて行政の効率化などを図る「コンパクトシティー」が、国内で成功例を築けていない。各地で目立つのが、中心市街地の再整備と郊外の大規模開発を同時並行で進める矛盾。背景には異なる担当部署が別の未来像を描く「縦割り行政」がある。住民の意向とも向き合わないまま、まちの空洞化に歯止めがかからない・・・

郊外での住宅や商業施設の開発は、この半世紀ほどに、車の普及とともに進んだ現象です。役所側の問題とともに、郊外の開発を求めた住民、車で行くことが便利な住民が、郊外の開発を支持したのです。
そして戦後の日本政治と行政が、サービス提供や補助金などの誘導手法には熱心だったのに対し、規制や負担を問うことには消極的だったことがあります。新型コロナ対策においても、各国が法令で行動を規制したのに、日本は政府からのお願いと世間の目によって誘導しました。

教員の心の病

12月27日の朝日新聞に「教員「心の病」、コロナ響く 昨年度休職急増、最多の5897人に」という記事が載っていました。
・・・昨年度に「心の病」で休職した公立の小中高校などの教職員は前年度比694人増の5897人で、過去最多を更新したことが26日、文部科学省の調査でわかった。5千人を上回るのは5年連続。1カ月以上病気休暇を取っている人を合わせると1万944人に上り、初めて1万人を超えた。教員の多忙さの抜本的な改善が進まないなか、若手ほど心の病による休職者・休暇取得者の比率が高い実態も浮かんだ。
都道府県や政令指定市の教育委員会を対象に調べた。精神疾患による休職者と、1カ月以上病気休暇を取った人を合わせた数は前年度から1448人増えて1万944人。うち20代は2794人で、この年代の在職者に占める割合は1・87%と年代別で最多だった。30代は2859人で1・36%、40代は2437人で1・27%。50代以上(2854人、0・92%)と比べると若い世代で目立つ・・・

・・・関東地方の公立小学校に勤める30代前半の女性教諭は今年度、ある学年のクラス担任を頼まれた。暴力をふるう子や授業中に座っていられない子が少なくないため、担当する教員が対応に苦慮してきた学年だ。
目を離せばけんかやトラブルが起きた。休み時間も教室を離れられなかった。下校後は行事の準備や事務作業に追われ、退勤は毎日、午後10時ごろになった。
ある朝。支度を終え、出勤しようとしたが、体がまったく動かず、涙がとまらない。病院で精神疾患との診断を受け、当面、休職することになった。
振り返れば、クラスを抱え込み、孤立していた。病気などで休む教員がいて、欠員補充はなし。その分、校長ら管理職も授業を受け持つ状況。相談できる人はいなかった。「もっとサポートがほしかった」・・・

この問題の原因と対処については、先日書いた「発達障害の児童生徒への支援」の続きにもなります。

民主主義が持続するためには、経済成長が必要

12月24日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「民主主義がはらむ問題」から。

・・・経済成長がまだ可能であり、人々の間に社会の将来についてのある程度の共通了解がある間は、民主主義は比較的安定的に機能した。そこには社会を分断するほどの亀裂は現れなかった。多くの人々は経済の波に乗っておれば自然に「幸福を享受」でき、将来に大きな不安を抱くこともない。
ところが、今日、経済は行きづまり、将来の展望は見えない。すると人々は政治に対して過大な要求をする。「安全と幸福」を、言い換えれば「パンとサーカス」(生存と娯楽)を求める。政治は「民意」の求めに応じて「パンとサーカス」の提供を約束する。
しかし、にもかかわらず経済は低迷し、格差は拡大し、生活の不安が増せば、人々の政治不信はいっそう募るだろう。そこに、わかりやすい「敵」を指定して一気に事態の打開をはかるデマゴーグが出現すれば、人々は、フェイクであろうがなかろうが、歓呼をもって彼を迎えるだろう。こうして民主主義は壊れてゆく。民主主義の中から強権的な政治が姿を現す。
古代ローマ帝国の崩壊は、民衆が過剰なまでに「パンとサーカス」を要求し、政治があまりに安直にこの「民意」に応えたからだとしばしばいわれる。社会から規律が失われ、人々は倫理観を失い、飽食とエンターテインメントに明け暮れる。内部から崩壊するうちにローマは異民族に滅ぼされた。
もちろん、ローマの皇帝政治を現代の民主主義に重ねることはできないが、民衆の「パンとサーカス」の要求に応えるのが政治であるという事情は、民主主義でも権威主義でも変わらない。それでもパンもサーカスも提供できる余裕があればまだよい。その余裕も失われてくれば、社会に亀裂が走り、党派の対立は収拾がつかず、政治は著しく不安定化する。その場合、危機は、民主主義においていっそう顕著に現れるだろう・・・

拙著『新地方自治入門』(2003年)で、「民主主義が持続するためには、経済成長が必要であるとの説があります」(301ページ)と紹介したことを思い出します。