「生きづらさ」言葉の功罪

9月7日の朝日新聞オピニオン欄「「生きづらさ」言葉の功罪」、貴戸理恵・関西学院大学准教授の「他者とつながる足掛かり」から。

かつて、女性、障害者、不登校者などマイノリティーとされた人は、「障害者は劣っている」「学校に行かないことは悪い」とまとめて差別され、その苦しみを分かち合うことができました。社会の無理解は深刻で、変革のために連帯する必要性も明らかでした。
ところが今は、少なくとも建前のうえでは「多様なライフスタイルを承認する」とされ、同じマイノリティーだからといって、共通のしんどさを抱えていることを前提にできません。「30万円稼ぐようになった引きこもりの男性」のように、「弱い立場だったけど生産性がある人になった」話も流通している。だからマイノリティーであることを「言いわけ」にできず、「苦しいのは自分のせいだ」となってしまう。

もちろん、多様性が認められるのは重要です。でも、市場的な価値が重視されるなかで共同性が失われ、孤立感を持ちやすくなることには、注意が必要だと考えます。
そうしたなかで、個人の「苦しい」というリアリティーを表現できる言葉が「生きづらさ」なのでしょう。自分の個人的なストーリーをその言葉に乗せることで、ようやく他者に語ることができる。
これは現代的な現象だといえます。自分だけでなく多くの人がしんどいのに、共通の問題は見えず、「自分のがんばりが足りないからだ」と個人的に抱え込まされる。その結果、苦しみを主観や身体性に根ざして表現せざるを得ないのです。「生きづらさ」が多く使われている背景には、個人の苦しみを自己責任だと思い込まされるような状況があると思います。

「生きづらさ」という言葉は困難を個人の問題にしてしまう面があることは確かですし、しんどさの原因となっている社会構造を問うことも必要です。でも、この言葉のよいところは、「自分で語る足掛かりになること」だと私は思っています。
参加者が自分の生きづらさを語り合う場に10年以上関わっています。互いの話を聞きあうことを通じて、「自分だけの問題じゃない」という実感が積みあがっていきます。就労に結びつくなどの具体的な変化もありますが、一番大切なのは、しんどさを通じて他者とつながる「孤立の回避」です。

実用の学と説明の学

連載「公共を創る」で、社会を変えるために社会学への期待を書きました。第127回
政治学・行政学や経済学・財政学が、社会の現象を分析するとともに、政治や経済を良くするように提言もします。ところが、社会学の多くは分析にとどまっていて、提言が少ないように思います。

この背景には、マックス・ウエーバーが提唱した、学問の「価値中立性」「価値自由」の考えがあると思います。学問において、価値判断を避け、事実判断に徹すべきだという主張です。マルクス経済学のように、価値が先にあって学問はそれに従属するといった態度は論外ですが、現実には価値判断から自由な研究は難しいです。

哲学や遠い昔の歴史を研究する場合は、私たちの現実生活とは少々離れた研究ができるでしょう。現在日本の不安である格差や孤立の研究などは、現実を分析するとともに、対策も提言するものが多く、またそれを期待したいです。「孤独に悩む人がたくさんいるが、私は関係ない」と言えないでしょう。

現実問題と取り組む学問を「実用の学」とするなら、分析だけにとどまる学問を「説明の学」「理解の学」「批評の学」と言ってよいでしょう(この表現は、ある社会学者に教えてもらいました)。「長谷川公一先生
これまでの社会学は、出来事の説明にとどまるものが多かったようです。もちろん、実用の学として提言するためには、分析と説明が必要です。

ゴルバチョフ氏の理想と限界

9月7日の朝日新聞夕刊、塩川伸明・東京大学名誉教授の「ゴルバチョフ氏、言葉の力を信じ」から。

ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が世を去った。退陣から30年を経た今では現実政治的には「過去の人」だが、「現在に近い時代の歴史」という観点からは依然として最大級の重要人物である。
歴史上の重要人物の常として、彼の評価には極度に高いものから低いものまで、大きな幅がある。ソ連の民主化と世界の平和に尽力した偉人、何の展望もなしに思いつき的な「改革」を進めて国の混乱を拡大した大馬鹿者、決断力を欠き、右往左往しているうちに政敵に排除されてしまった弱い政治家、その他その他である。

彼がソ連共産党書記長に選出された1985年3月の時点では、その後の大変動を予期していた人は皆無だった。彼自身、当初想定していたのは、体制の抜本的な変革ではなく、限定的な体制内改革だった。そのようにして出発した「ペレストロイカ」は、言論自由化の影響もあって、時間とともにエスカレートし、ある時期以降は事実上全面的な体制転換を視野に入れるようになった。彼の一つの特徴は、言論自由化に伴う改革構想のエスカレートを抑止しようとせず、むしろ自らそれに適応しようと努めた点にあった。
彼がそういう態度をとった一つの要因として、彼が言葉の力を信じるタイプの人間だったということが挙げられる。そのことは内外知識人たちの間に大きな反響を呼び、理想主義的な観点からの期待感を広めた。結果的には、「言葉ばかりが多すぎて、実力の伴わない弱い政治家」という評判をとるに至ったにしても、とにかくそれが彼のスタイルだった。

彼も権謀術数と完全に無縁だったわけではないが、他の政治家たちとの相対比較でいえばマキャベリズムに欠けるところがあり、それがエリツィンに敗北する要因となった。政権末期のゴルバチョフが構想していたのは、もはや集権的でも共産主義でもない、分権的で社会民主主義的なソ連の後継同盟だったが、その構想はソ連解体で潰えた。

コメントライナー寄稿第6回

時事通信社「コメントライナーへの寄稿、第6回「最低賃金決定に見る政治の役割」が16日に配信されました。また、20日にはiJAMPにも掲載されました。今回は、最低賃金を素材に、審議会のあり方と政治の責任を取り上げました。

今年の最低賃金(時給)が決まりました。最高は東京都の1072円、最低は青森県ほか10県の853円です。加重平均では961円です。31円という過去最高の引き上げ額になりましたが、フランスやドイツでは1500円前後で、日本の低さが目立ちます。
給与水準は労使の交渉で決まるものですが、最低賃金は特別な決定過程を取っています。毎年、中央最低賃金審議会が改定の目安を作成し、それを基に各県ごとの地方最低賃金審議会が地域別最低賃金を答申し、各県労働局長が決定します。労働者代表と使用者代表が調整する形です。しかし2007年には、生活保護基準を下回るという変なことになりました。私は「憲法違反ではないか」と書いたことがあります。ドーア教授のコラムにも引用されました。

安倍内閣は「働き方改革実行計画」(2017年)において、「最低賃金については、年率3%程度をめどとして・・・引き上げていく。これにより、全国加重平均が1000円になることを目指す」と決めました。内閣が決めずに、審議会が決めるに際して「外から」注文をつけるのです。おかしな話です。関係者の意見を聞いて、内閣や知事が決めればよいのです。

安倍政権の評価、同一労働同一賃金

9月7日の朝日新聞「長期政権からの宿題」、濱口桂一郎さんの「同一労働同一賃金」から。

――パートや有期契約、派遣といった非正社員は雇われて働く人のうち約4割。安倍政権は「1億総活躍プラン」の一環として、非正社員の待遇改善をめざして「同一労働同一賃金」を打ち出しました。当時の政権の姿勢をどう見ましたか。
一般的に労働組合団体からの支持を受けない自民党政権にもかかわらず、正社員と非正社員の格差問題を解決するというメッセージを社会に出した。これは残業時間の規制や最低賃金の引き上げなどとも相まって、政治的にとても大きな意味がありました。しかし、その結果は、大山鳴動したものの、ネズミが2匹、3匹出てきたような印象です。

――どういうことですか。
欧米諸国で言われている同一労働同一賃金の考え方に照らすと、その実現には、長年続いてきた日本の賃金の決まり方を根本からひっくり返す必要がある。ただ、実際にはそうはなりませんでした。

――欧米諸国での賃金と何が違うのでしょう。
賃金を値札に例えてみます。ある仕事で求められる内容(職務)をイスと考えたとき、欧米の場合はイスの値札がベースです。イスに座る人の経験や能力は、あくまでも加味されるものにすぎません。
日本では、主に正社員の場合、値札は人に貼ってあります。年功制や、部署の配置転換による経験によって賃金が決まるためです。これが基本で、大変なイスに座ったときの職務手当は、加味されるものです。

――ベースが違うわけですね。では、日本の非正社員はどうでしょうか。
日本の非正社員は多くの場合、年功制や配転のない制度のもとで働くため、値札はイスについています。ただ、欧米のように様々な値札のイスが用意されているわけではなく、専門職以外の多くは「その他のイス」としてくくられてしまっていて、その水準は最低賃金+αにとどまります。

――その状況下では、欧米のような同一労働同一賃金の実現は難しいということでしょうか。
賃金がイスの値札なら、同一の労働で同一の賃金かどうかを比べやすい。しかし日本のように、正社員と非正社員で賃金の決まり方が異なり、さらに月給と時給という違いもあると、比較は難しい。
つまり同一労働同一賃金を実現するには、論理的には、正社員も含めて賃金の基本をイスの値札にするか、非正社員にも年功制や配置転換を適用するかという話になります。しかし現実には、マジョリティーである正社員や企業には受け入れられにくい話です。