集中できる机の上

3月5日の日経新聞「すっきり生活」は「ロジカル片付け術 集中力を高める部屋にするには」でした。

・・・長引く新型コロナウイルス禍で、テレワークに集中できないという悩みをよく聞く。家族が気になる、誘惑に負けてしまうなど理由は様々。集中力を高める部屋づくりのコツを紹介しよう。

あなたのデスクの写真を撮ってほしい。何種類のモノが写っているだろうか。積ん読している本、未処理の書類、ぎっしり詰まったペン立て……。デスクはモノ置き場ではなく作業場であり、余白があるほど集中できる。もし「今週1度も触っていない」アイテムが机の上に1つでも乗っていたら注意したい。
人が視覚刺激を処理するとき、ボトムアップ型注意とトップダウン型注意が相互に働いているという。このうちボトムアップ型注意は、自らの意志と関係なく、目に入った刺激から潜在的に働くもの。デスク上に散らかった荷物は、意図せずともあなたの潜在意識に入り込んでしまう。

ボトムアップ刺激の中でも特に厄介なのが、未完了のタスクを想起させるモノだ。米国の心理学者、リンダ・サバディン博士は著書の中で「先延ばしは人の自尊心を傷つけ、想像のエネルギーを奪う」と述べている。参考書や自己啓発本を、背表紙が見える形でズラっと並べている人は要注意。手元では精緻な経理処理をしながら、心の中では資格試験の勉強が進まないことを憂いているといったことになりかねない。これでは目の前の処理をミスしたり、やる気がそがれたりして当然だ・・・

・・・もちろん家中を整理整頓するのがベストではあるが、完璧に仕上げるには最低で30時間の作業が必要。時間がない人は、まずは気になるモノから順に、視界から消してみよう。ポイントは3秒以内に視界から消せる仕組みをつくること。部屋着をいちいち畳んでタンスにしまったり、洗濯機に入れたりするルールは、面倒すぎて三日坊主を招く。リビングに置いた大きめのカゴに投げ入れておいて、仕事が終わったあとにまとめて処理すればよい。
漫画やゲームはフタ付のケースにしまう。山積みの書類はリマインダーをセットしてファイルに。原始的ではあるが、視覚から物理的に消してしまうことで、集中力は驚くほど高まる。だまされたと思って試してみてほしい・・・

これは、役に立ちます。原文をお読みください。

連載「公共を創る」112回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第112回「倫理や社会意識、議論する場は?」が、発行されました。
国家(政府)はどこまで、どのようにして社会に介入するかを考えています。その際に、「公共秩序の形成と維持」「国民生活の向上」「この国のかたちの設定」の三つの分野で議論しました。

このような議論を展開しているのは、これまでの政治学、行政学、経済学が、このような議論をしていないからです。これらの学問は現状を説明しますが、これからの未来像を提示してくれません。国民が政府に期待していることは、これだけでしょうか。現在の日本社会の不安である「格差」「孤独と孤立」「沈滞と憂鬱」に、政府も社会も応えていません。
国民に活力と安心を与える、その条件をつくるためには、政府と社会は何をすべきか。それを議論したいのです。

「学問は価値判断を避けるべきだ」という主張(価値中立)は分かりますが、それは分析の際に保つべき態度であって、「これからの社会をどのようにするべきか」は価値判断を避けて通ることはできません。
そして、そのような未来像を、どのような手続きでつくっていくかも問題です。国民生活の不安を扱う役所はありません。また、行政だけに任せるわけには生きません。

内申書のあり方

3月4日の朝日新聞オピニオン欄「内申書と「態度」の評価」、柳沢幸雄・北鎌倉女子学園学園長の発言から。

・・・米国の学校にも日本の調査書(内申書)のように、志望校に出す成績表と推薦状の仕組みがあります。ただ、日本と違うのは、成績表は学校の署名、推薦状は個人の署名で書かれている点です。
米国の推薦状の場合には、生徒が自分を評価するのに適していると思う人に推薦状を依頼します。推薦状が信頼されるか否かは、何より推薦者が教育のプロとして認められているかにかかっています。書く側が、個人として中身に責任を負っているのです。

日本の調査書は、多くの場合は本人に公開されず、組織の匿名性の中に逃げ込んでいる。「受験戦争が過熱するなかで、生徒が日頃の努力で報われるように」「素質をよく知る人が評価して次の学校に伝える」という理念や、うたい文句はきれいですが、調査書の実態がそうなっていないのが問題です。評価する側が、筆先だけでいろいろ書けてしまう現状では、信頼性が乏しいのです。
態度を評価する時、これで人物の行動を評価できるというような標準的なパターンはありません。なぜなら、生徒は千差万別だから。特に思春期の成長は長い目で、流れとしてみることが大事です。それをあえて評価するというのなら、書く側がプロとして、個人の責任を明確にすることが非常に重要になります。

そもそも態度を評価して何をしたいのか。型にはめるような教育で生まれるのは「空気が読める」若者です。この場では手を挙げた方がいい。目をらんらんと輝かせて、聞いているような顔をした方がいい。その結果、滅私奉公の人間ができあがります・・・

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
「2社会と政府(2)政府の社会への介入」の続きを書き上げ、右筆に手を入れてもらって、編集長に提出しました。

前回まで、社会(コミュニティ)への介入を書いたので、今回は、個人への介入です。公共の秩序を維持するために社会への介入が求められますが、個人にはプライバシー権があるので、介入は抑制的であるべきです。関与するとして、何についてどこまで関与するかが問題になります。また、内心への関与は避けるべきですが、いじめを防ぐためや、本人が一人前のおとなになるために、道徳や倫理を教えなければなりません。しかし、戦前の「修身」の反省に立って、道徳教育は控えられてきました。

また、幸福感、生きがい、生きる意味は、国家が関与するものではなく、個人が考えるものです。しかし、かつてに比べまた諸外国に比べ、日本の若者の幸福感は低いようです。そして誰もが、老いて病気になったり、親しい人が死んだりすると、生きる意味や死の意味を考え悩みます。
科学は、それに答えてくれません。親の教えや宗教が弱くなると、誰もその悩みに答えてくれません。個人の悩みと政府の所管範囲に「空白地域」があるのです。では、どうすればよいのか。難しいです。

これらについても、適当な概説書がないので、執筆に苦労しました。右筆との共同執筆に近いです。
1か月にわたって苦闘し、右筆が真っ赤に手を入れてくれた原稿は、ゲラにすると4回分になりました。4月掲載3回と5月掲載1回です。
締め切りを守って原稿を提出すると、ほっとします。今週は、内閣人局研修の質問への回答も仕上げましたし。夜のお酒がおいしいです。

新しい生活困難層への安全網を

3月4日の日経新聞経済教室「社会保障、次のビジョン」下、宮本太郎・中央大学教授の「新しい生活困難層に安全網」から。
・・・新型コロナウイルス禍が困窮と孤立を広げている。セーフティーネット(安全網)をどう張り直すか、次のビジョンが問われる。
厚生労働省はこれまで3重のセーフティーネットという考え方をしてきた。第1が安定雇用を前提にした社会保険、第3が生活保護などの公的扶助であるのに対し、両者の間すなわち生活保護の前の段階で、第2のセーフティーネットを充実させるという主張だ。そこでは失業などで困窮した人を支援して安定就労につなぐことが期待された。具体的には職業訓練中の所得保障である求職者支援制度や、生活再建について相談支援をする生活困窮者自立支援制度が導入された。
コロナ禍が改めて示したのは、この3重のセーフティーネット論が現実を必ずしも正確にとらえていないということだ。安定的に就労し社会保険に加入できている層と生活保護を受給する層の間に「新しい生活困難層」と呼ぶべき人々が急増している。非正規雇用などの不安定就労層、ひとり親世帯など、自分や家族の多様な困難から困窮や孤立に陥っている人々だ。

安定就労層、新しい生活困難層、福祉受給層は、3重のセーフティーネット論が想定するように、上から順繰りに3段階で沈み込んできているのではない。むしろそれぞれの層が固定化してきている。
新しい生活困難層の多くは、就職氷河期世代にみられるように、最初から正規雇用に就けないままだ。そしてコロナ禍の経済的打撃がこの層に集中し所得がさらに減少しても、生活保護に移行する人は少ない。生活保護受給の実人数はコロナ禍の下で減少すらしている・・・

・・・新しい生活困難層が急増し、3層が分断されている状況下で、いかにセーフティーネットを張り直すか。
両極のいずれを拡張していくかで、大きく2つのアプローチが対立している。
第1のアプローチとして安定就労の側から就労機会を拡張していくことが主張されてきた。具体的には、職業訓練などの就労支援を重視することだ。トランポリン的な機能で雇用につなぐ第2のセーフティーネットというのは、このアプローチの一環といえる。また13年には政府の産業競争力会議が、労働移動支援助成金を大幅に増額して労働移動を促す一種の積極的労働市場政策を打ち出した。
だがスウェーデンなどで積極的労働市場政策がセーフティーネットとして効果を発揮できたのは、困窮のリスクが主に失業に起因していて、なおかつ職業訓練などで安定就労につなげることが期待できたからだ。不安定就労層としてキャリアをスタートさせ、職業訓練や保育サービスを利用する生活の余裕すらない人が増大し、他方で生活の安定に直結する就労機会が減じていれば、前提は崩れる・・・