コロナウイルスで変わることと変わらないこと

「新型コロナウィルス感染拡大で社会が変わる」とマスメディアで流行しています。でも、本当にそうでしょうか。「変わる」は、マスメディアの商売文句です。何か変わったこと、新しいことを主張し「売らなければ」ならないからです。

私は、一部変わるところがあるが、大きくは変わらないと考えています。在宅勤務がしやすくなるでしょう。しかし、それに向いている仕事以外は、元に戻ると思います。学校がインターネット授業になるか。たぶん、多くの学校でそうはならないでしょう。例えば「テレワークの短所」。
多くの人は、職場に行きたい、同僚と話したい。学校に行きたい、友達と話したいのです。飲食店や行楽地が人が戻らないか。それは困るでしょう。感染拡大に注意しながら、元の生活に戻るでしょう。

東日本大震災でも、「災後」という言葉で、社会が変わると言われたことがあります。私は、意識して変えない限り、変わらないと主張しました。災害復旧の哲学を、公共施設の復旧から住民の生活の再建へと変えました。ここは確実に変わったと思います。しかし、多くの人の日常生活は変わりませんでした。

あなたの限りある1日

このホームページ定番の、スマホ批判です。
毎日、地下鉄を待つ間も乗ってからも、学生や会社員が熱心にスマホを操作しているのを見ます。ドラマや漫画を見たり、ゲームのようです。朝から、そのようなことに体力と脳力を使って、もったいないですね。
「隙間時間に、何をしようが自由だ」と言われそうですが、そうではないのです。

私たちの1日で貴重なもの。それは、時間、体力、脳力です。これらは、限りがあるのです。
時間に限りがあることは、明確ですよね。みんなに同じように24時間が与えられています。それをどのように使うのか、何に使うのかで、有意義な1日かそうでないかが決まります。そして、あなたの人生も変わってきます。

体力も、わかるでしょう。時間と違い、体力には個人差があります。そして、体力は鍛えることができます。しかし、24時間走り続けることはできず、24時間働き続けることもできません。限りがあります。時間と同じように、あなたが何に体力を使うかが重要なのです。

脳力は、少し説明が必要でしょう。人間の脳の機能にも、限界があります。体力と同じで、1日中勉強をしたり、仕事をすることはできません。子どもも私たちも、根を詰めて勉強すると疲れて、嫌になります。また、そのような知的活動でなくても、映画を見続けると疲れますよね。ゲームも同じです。疲れると、眠くなります。脳力が限界に来ているのです。そのようなときは、寝なくても、ボーとしているだけ、あるいは気分転換と称して散歩したりすることで回復します。
もう一つは記憶力です。一度に覚えることができること、あるいは1年間覚えていられることには限界があります。つまらないことに脳の機能を使うと、重要なことを覚えることができません。

体力も脳力も、朝が一番さえています。貴重な時間と脳力を朝から浪費している人を見る度に、もったいないなあと思います。そして、このあと、学校や職場で勉強や仕事に集中できないのではないかと、心配になります。この項続く

男性原理の退潮

引き継がれる敗戦のトラウマ」の続きです。8月7日の日経新聞文化欄、赤坂真理さん「現代男性の心に刻まれた「敗戦のトラウマ」とは」から。その2です。

・・・このところ男性らしさや男性性を嫌悪したり、男性であることに罪悪感を抱いたりする傾向を感じる。男性のパワーを良いものとして発揮できる機会が減っているからかもしれない。
社会インフラが整ったことで、スイッチひとつで何でも動き、日常生活から力仕事が消えた。優しい男性を望む女性も増えている。そのような戦後空間に適応するために、男性性がしぼんできていると見ている。

しかし性差のダイナミズムがなければ動かないところもある。日本の夫婦形成は見合いより恋愛が主流になり、マッチングが成立しにくくなっているのがその例だ。
ひとり暮らしが増え、これまでの家族の形を前提にした社会ではひずみが大きくなっていくだろう。家族の概念を広げることもありうる。恋愛するしないにかかわらず、親密な人がいたほうが困らないことが多い。親族のつき合いや地縁が緩むなか、ひとつの家族だけで人生の不確実性に対処するのも限界があるだろう。これまでとは違ったかたちで、帰属感を持ちうるコミュニティーが求められていくだろう・・・

平成時代に、男女共同参画が広がりました。昭和憲法で男女同権をうたったのですが、実際の生活では、男性優位の暮らしが続いていました。それが、仕事場や家庭において男女対等が実現しつつあります。しかし、世の中の男たちは、男性優位の社会で育ってきたので、どのように行動して良いか戸惑っています。
結婚しない人、子どもを持たない人、片親で育てる人、定住外国人・・・これらも、これまでは「標準外」として扱われたのです。家庭の在り方、地域社会の在り方が大きく変わりつつあります。意識を追いつかせることが、課題です。

連載「公共を創る」執筆状況

定例の、執筆状況報告です。
連載「公共を創る 新たな行政の役割」は、第3章 転換期にある社会 1 日本は大転換期(2)成熟社会の生き方は、に入っています。
「成熟社会の生き方は」は、経済成長を達成し、成熟社会に入った日本が、成熟社会での生き方に転換できていないことを議論します。そこを、大きく3つに分けて書いています。

その1が、豊かさと自由を手に入れた「近代の完成」がもたらす問題です。
豊かさを達成すると、喜びは発散します。そして、心の豊かさは、各人がそれぞれに選び、努力する必要があります。そして、それらは政府が一方的に提供できるものではありません。選択の自由があるということは、自分で選ばなければならないということです。それは負担にもなります。これは、近代後期に入った先進国共通の問題です。連載第51回~第54回です。

その2が、日本に特有な問題です。
憧れていた欧米諸国に肩を並べ、豊かさを達成したと喜びました。それ自体は、喜ばしいことです。ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、満足しました。しかし、それは間違いでした。
経済以外の問題が残っていたこと、それまでの手法が使えなくなり社会のしくみや国民の意識を変える必要があるのに、そのままを続けました。それらの問題を、雇用と教育で見ます。日本の驚異的発展を支えた日本型雇用と教育が、成熟社会になって大きな問題を抱えることになったのです。
この分の原稿を提出し、ゲラの形になりました。第55回~第59回。これで、10月中旬まで持ちます。

次は、その3です。家族の形やもてあます時間など、成熟社会での私生活の問題を取り上げます。
毎日暑いし、しばらく余裕ができたので、ぼちぼちと考えますわ。素材は、いろいろと集めてあるので。とはいえ、1か月はすぐに経ちます。

引き継がれる敗戦のトラウマ

8月7日の日経新聞文化欄、インタビュー 戦後日本の行方(2)、作家の赤坂真理さん「現代男性の心に刻まれた「敗戦のトラウマ」とは」から。

・・・世代が替わり、戦争を体験した人々が少なくなっても、心の傷痕は自然には消えない。親から子、子から孫と受け継がれ、さまざまな問題を引き起こしかねない・・・

・・・戦争体験を語るとき、そこには一定のフォーマットがある。「巻き込まれて大変な苦労をした」という被害者の語り、いわば「女性の語り」だ。
男性はあまり戦争を語りたがらない。語るとしても、往々にして被害者の語り口になる。だから戦争を動かしてきた男性の声は埋もれている。戦争は悪いことだったという結論ありきでスタートするので、正直な気持ちが言えないのか。男性のプライドは傷ついているはずだ。
酒に酔ったときなどにその片りんが表れ、眉をひそめたという妻や子の証言はいくつも残っている。男性は意識的にせよ、無意識的にせよ本音を語らず、忘れたふりをするしかなかった。男性のプライドがどこに行くのか、興味がある。
経済戦争と呼ばれた時代にも、先の敗戦の傷が刻まれているのではないか。男性はワーカホリックになり、経済で世界で勝とうとした。バブル期の日本企業が米国を象徴する摩天楼を買収したとき人々が喜んだのは、心の中に敗戦による鬱屈や惨めさを抱えていたからではないか。だから経済が弱くなると体面が保てなくなってしまう・・・

鋭い指摘です。命を賭けて戦った戦争。従軍した兵士たちは、復員後、その体験について語ることは限定されました。公の場で自分たちの功績を語ることはできず、負の面はなおさら語ることを避けました。内面に押し込め、忘れたふりをしたのでしょう。負け戦とはそのようなものです。
さらに、太平洋戦争は、アメリカによる占領と改革で、戦前日本そのものを否定する結果を招きました。軍隊自体を否定されたのです。
男たちは、否定された経験を乗り越えるためにも、全力を経済成長の闘いにつぎ込んだのだと思います。
この項続く