男性原理の退潮

引き継がれる敗戦のトラウマ」の続きです。8月7日の日経新聞文化欄、赤坂真理さん「現代男性の心に刻まれた「敗戦のトラウマ」とは」から。その2です。

・・・このところ男性らしさや男性性を嫌悪したり、男性であることに罪悪感を抱いたりする傾向を感じる。男性のパワーを良いものとして発揮できる機会が減っているからかもしれない。
社会インフラが整ったことで、スイッチひとつで何でも動き、日常生活から力仕事が消えた。優しい男性を望む女性も増えている。そのような戦後空間に適応するために、男性性がしぼんできていると見ている。

しかし性差のダイナミズムがなければ動かないところもある。日本の夫婦形成は見合いより恋愛が主流になり、マッチングが成立しにくくなっているのがその例だ。
ひとり暮らしが増え、これまでの家族の形を前提にした社会ではひずみが大きくなっていくだろう。家族の概念を広げることもありうる。恋愛するしないにかかわらず、親密な人がいたほうが困らないことが多い。親族のつき合いや地縁が緩むなか、ひとつの家族だけで人生の不確実性に対処するのも限界があるだろう。これまでとは違ったかたちで、帰属感を持ちうるコミュニティーが求められていくだろう・・・

平成時代に、男女共同参画が広がりました。昭和憲法で男女同権をうたったのですが、実際の生活では、男性優位の暮らしが続いていました。それが、仕事場や家庭において男女対等が実現しつつあります。しかし、世の中の男たちは、男性優位の社会で育ってきたので、どのように行動して良いか戸惑っています。
結婚しない人、子どもを持たない人、片親で育てる人、定住外国人・・・これらも、これまでは「標準外」として扱われたのです。家庭の在り方、地域社会の在り方が大きく変わりつつあります。意識を追いつかせることが、課題です。