個人の社会経済観が規定する社会と市場の秩序

8月5日の日経新聞経済教室「 アフターコロナを探る」、寺西重郎・一橋大学名誉教授の「米中、文明の衝突避けよ」は、統治制度、経済力からでなく、個人の社会経済観から日本、中国、アメリカの社会秩序の違い(私が使う司馬遼太郎の言葉では「この国のかたち」の違い)から、西欧と中国との違いを解説しておられます。

・・・コロナ禍の出現により、米中の対立は米政治学者のサミュエル・ハンチントンが指摘した「文明の衝突」であることが一段と明らかになった。それは単なる貿易摩擦でも覇権争いでもない。やはり一種の文化的争いとしてみる必要がある。
同氏は、冷戦後の世界では西欧文明の普遍性は否定され、西洋と儒教文化圏中国やイスラム教諸国などとの宗教などに関わる文明の衝突が、世界の均衡と成長のあり方を規定すると主張した。だが文化的要素の違いが西洋文明の普遍性を否定するメカニズムについて立ち入ることはなかった。
しかし重要なのはこのメカニズムだ。本稿では、社会と市場の秩序付けの方法は、その国の歴史的・伝統的な個人の社会経済観により決まるという立場から、米中対立の文明の衝突としての性格を読み解く。ここで社会経済観とは、各国の個人が日常の生活経験で抱く社会や経済の環境に関する見方という意味だ。国家などが様々な意図をもって市場や社会を統治しようとするが、その方法は基底では個人の社会経済観により規定されると考えるのだ。

新型コロナへの対策は、各国の個人が描く内面的な社会経済観と政府・民間の政策を巡るインターフェース(接点)の文化的特質を、結果的に如実に示すものとなった。コロナ対策でも香港政策でも、自由や人権といった普遍的とみられる価値に対する中国の否定は、単なる共産党の独裁体制維持行動によるものでなく、中国国民の基層的な社会観によると考えるべきだ。
まず西欧の自由・人権・民主主義といった啓蒙的価値の起源を振り返ろう。12世紀のイタリアの都市に典型的にみられるように、早くから社会的行動への市民的参加とネットワークが慣行として成立していた。
この背景には、独社会学者のマックス・ウェーバーが強調したキリスト教の下での神の創造した人類や公共を重視する観念の影響がある。他者への考慮でなく、公共概念を基軸とする集団的意図性が人々の世界観に組み込まれてきた。集団的意図性の下では、人々の社会的な制度やルールに関する合意が成立しやすく、社会と市場の秩序を守ることが低コストで可能となる。
加えてルールや法制度は公共の目的のため人々の行動を制約するので、法治制度の下でルールを適用し社会秩序を維持するには、自由・人権・民主主義といった自律的な個人としての人間の啓蒙的価値の尊重が不可欠な前提となる。これが17~18世紀社会契約論での取り決めだった。西洋は理性への高度の信頼の下で、自由と人権の価値を強調しつつ、制度により市場秩序を維持することで、高度な文明社会を構築してきた。
啓蒙的価値は法と制度による社会と市場の秩序付けという法治と一体となり、相互補完的な仕組みとして広く西洋社会に浸透した・・・

・・・これに対し中国では、公共の観念に基づく集団的意図性は人々の内面的な社会観では成立しなかった。独特の死生観に基づく家族観と先祖崇拝が社会を縦に分断した結果、公共意識による社会的な意見の集約が難しくなり、ルールとしての法制度による市場と社会の秩序付けを困難にした。
中国での社会と市場の秩序付けの方法は「士庶論」とも呼ぶべき、社会をエリートと非エリートから成る二重構造としてみる社会構造観から生まれた人治による秩序付けとして要約できる。士庶論は三国時代にまで遡るエリート(士)と非エリート(庶)から成るとする社会観だ。三国時代は門閥貴族が、隋・唐時代以降は科挙に合格した士大夫と呼ばれる官僚が、おそらく現在では共産党員が、エリート層を構成すると意識しているとみられる。
士庶論の重要性は朱子学の成立以後、理気論の人間観と結合したことだ。すなわち本然の性たる天の理を会得した人は聖人になり、その他の多くの人は気質の性にとどまり、未完成な道徳的修養のままの状態に生きるという人間観だ。
こうして中国での社会の秩序付けの基本は、士庶論と理気論に基づく人治を基本とするものとなった。聖人として天の理を体得した集団が社会のリーダーとなる。一方、非エリート層はエリートの判断下で自由や人権の制限を含む罰則を前提に許容されているのだ・・・
・・・第3に一層重要なのは、法制度による秩序付けと一体の自由・人権など啓蒙的価値は、エリートによる人治の下で奔放に行動する中国の非エリート層には理論上意味を持たないことだ。
中国の国民は経済的繁栄のために自由と人権の軽視を容認しているとみるのは皮相的で危険だ。伝統的な中華思想やアヘン戦争以来の屈辱の歴史が、中国エリート層の反西洋心性の基本にあるのは確かだが、それが中国人の内面化された社会観のすべてではない。真の問題は国民一人ひとりの内面化された経済社会観が西洋の啓蒙的価値の低評価をもたらしていることだ・・・

付いている「日米中の個人の社会経済観と統治方法」の表がわかりやすいです。
内面化された個人の社会経済観:アメリカ、公共と自律した個人。中国、士と庶の二重構造論と理気論。日本、公共と身近な他者。
社会と市場の統治方法:アメリカ、法治と制度。中国、人治。日本、法治。
ただし、私の考えでは、このホームページでも書いているように、戦後日本の統治方法は、法治の前に「社会規範」があるようです。コロナウイルス外出規制を、法律より自粛で行う国です。

連載「公共を創る」第32回社会的共通資本、憲法と文化資本では、「現代日本のこの国のかたちの要素」を図にして説明しました。そこでは、骨格として「法や制度」、実態として「社会での運用」、その基礎にある「国民の意識と生活」を示しました。制度が文化資本を誘導し、文化資本が制度の運用を左右すると指摘しました。
寺西先生の主張は、私のこの意見を補強してくださいます

少子化対策 失われた30年

8月16日の日経新聞風見鶏、山内菜穂子・政治部次長の「少子化対策 失われた30年」から。
・・・少子化が止まらない。1人の女性が一生に生む子どもの平均数を示す2019年の合計特殊出生率は1.36と4年連続で低下、12年ぶりの低水準となった。出生数は予想より早く90万人を割り込み「86万ショック」という言葉もうまれた・・・

・・・日本の少子化対策の起点は30年前に遡る。1990年、前年の出生率が調査開始以来最低となる「1.57ショック」が起きた。その後、バブル経済が崩壊。政府は経済や高齢化問題に注力し、大胆な少子化対策を出せないまま時間が過ぎた。
「この30年は一体、何だったのか」。自民党が6月に設置した少子化問題のプロジェクトチームで厳しい意見が相次いだ・・・

・・・孤独な子育て、子育てと仕事の両立の難しさ、不安定な雇用―。コロナ禍で露呈した不安は、政府のこれまでの少子化対策の根本的な弱点と重なる。
少子化は、政治が子育て世代やこれから家族をつくる若い世代の不安を解消できなかった結果でもある。危機に左右されることなく、失われた30年を見つめ直す作業こそが「86万ショック」からの第一歩となる・・・

復興地域の町内会活動

先日、いわき市の津波被災地域を視察してきました。いわき市は、60キロメートルもの海岸線を持っています。いわき市の沿岸部も、たくさんの集落が津波に飲まれました。それぞれの地域で、防潮堤をかさ上げし、防災緑地を造り、土地区画整理事業や高台移転を組み合わせて、新しい町を作りました。工事はほぼすべて終わっていて、公営住宅や新しい住宅が建っています。「概要
ただし、土地区画整理事業などに時間がかかり、その間に別の場所に新しい家を建てた方もおられます。それで、計画しただけの宅地が埋まりません。新しい住民を呼び込むこともしています。

今日紹介するのは、豊間地区の「ふるさと豊間復興協議会」です。ホームページをご覧ください。地域コミュニティの復興を目指し、地域の住民たちがつくりました。
中央集会所では、いろいろな催し物が開催されています。毎週土曜日曜は、子育て中の家族に開放しています。遠くからも、幼児を連れてお母さん(お父さんもかな)が来られるようです。ママ友の口コミで広がっているようです。
また、新住民呼び込みと助言もしています。この地区で、40軒の新規移住があったそうです。市の中心部は地価が高騰し、子育て中の若い家庭にとっては、この地区は魅力的なのだそうです。
私が訪問した日には、役員さんたちが出てきてくださって、説明や質問に答えてくださいました。役員さんは高齢者でした。平日ですから、仕事のある人は出てこられませんわね。「若い人たちは子育てで忙しく、町内会活動に参加してくれない」ことが悩みだそうです。でも、いずれ参加してくださるでしょう。

この地区には、津波災害を後世に伝えるための施設ができました。「いわき震災伝承みらい館」です。
良い海水浴場(今年は開設せず)で、近くには塩屋埼灯台もあります。この灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」のモデルであり、美空ひばりさんの「みだれ髪」に出てくる「塩屋の岬」です。ご関心ある方は、お運びください。

チケットレス、乗車券は必要

JR東日本が、チケットレスサービスを宣伝していました。チケットって、乗車券・切符のことですよね。ということは、切符を買わなくても乗れる=無料ということでしょうか。インターネットで調べたら、次のように書かれています。

・・・スマートフォン・携帯電話の「チケットレス申込メニュー」から申込めば、駅で指定席特急券を受取ることなく、そのままご乗車いただけます。
スマートフォン・携帯電話の「えきねっと」のサイトにアクセスし、「チケットレス申込」メニューからお申込みください。申込完了後、購入完了メールが届きます。「購入完了メール」および購入完了の画面メモをご利用の端末に保存し、ご持参のうえ、ご乗車ください。
乗車券はSuica・モバイルSuicaなどをご利用ください。・・・
紙の切符を買わなくてもよい、ということのようです。紙でなくても、乗車券は買うのですよね。それを、「チケットレス」というのかなあ・・。外国人に通じるかな。

JRも、カタカナ語氾濫の犯人の一人です。そもそも、「JR、ジェイアール」という略称が通用していますが、これって日本語表記では使いにくいです。縦書きの文章の中に入れてみてください。小説家は苦労しているでしょうね。俳句の場合は、どうするのでしょうか。据わりが悪いです。「カタカナ語乱造者

広井良典教授。昭和、平成、令和。私たちの生き方

8月9日の読売新聞、広井良典・京大こころの未来研究センター教授の「持続可能な社会に移れるか「地方分散」分岐点は5年後」から。
・・・成長から成熟へ、経済効率一辺倒から環境や福祉にも配慮した社会へ――。約20年前、「定常型社会」という言葉で、いち早く社会の変革の必要性を指摘したのが広井良典・京大こころの未来研究センター教授だ。最近はAI(人工知能)を活用した研究で、「都市集中型」ではなく「地方分散型」の重要性を提唱し、注目を集めている。東京一極集中の是正と地方分散型への転換は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、7月に出された政府の「骨太の方針」(経済財政運営と改革の基本方針2020)でも実現が必要とされたテーマだ。人口減少、貧困・格差の拡大、膨らむ財政赤字、環境破壊など、持続可能性に黄信号が灯ともっているように見える日本。その針路や岐路について広井教授に聞いた・・・

・・・時代認識の話から始めたいのですが、昭和は「集団で1本の道を登る時代」だったと思います。人口も経済も拡大を続け、経済成長という明確な目標に向かって、みんなが一本道を登っていた。それはそれでうまくいきました。
平成は「先送りの時代」です。平成半ば過ぎから人口が減り、経済も低成長となったのに、引き続き一本道を登ろうとした。経済も大事だが環境や福祉に配慮した成熟社会に舵かじを切るべきだったのに、そうはなりませんでした。昭和の成功体験が強烈だったからです。
令和はどうか。持続可能で豊かな成熟社会に移れるかどうかの分岐点が今です。「24時間頑張れ」と言われて競って山を登り、山頂に立ったら視界は360度開け、道は無数にあることがわかった。今後は各人が多様な形で個性や創造性を発揮する時代といえます。

ここでお断りしておきたいのは、私は拡大・成長を否定しているわけではないことです。ただ、ひたすら量的拡大を目指し、成長を目的化するような経済のあり方には疑問を感じます。
経済成長さえすれば財政赤字があっても大丈夫、との声も聞きますが、人口が減り、地球資源の有限性が顕在化する中で、ノルマ主義的な拡大路線は各人の首を絞めるだけです。競争で無理をした企業は倒産や不祥事を起こし、働いている人は過労死やうつ病を患う。仕事と子育ての両立もままならない。結果的に少子化が進み、人口が減り、成長に必要な需要が縮小して、経済にも悪影響が出る。「経世済民」といわれるように、経済には国を治め、人民を救うという相互扶助的な意味があることを忘れてはならないと思います。
もう一つお断りしておきたいのは、拡大・成長から成熟・定常へと言うと、何か進歩の止まった退屈な社会と思われがちですが、そうではないということです・・・
・・・今度こそ、令和が始まった今こそ、成熟社会の実現に向けたデザインを描かなければと思います・・・
原文をお読みください。