企業と役所の思考の違い、その2

千に三つ、役所と企業の違い」(9月8日)の続きです。このような企業と行政との思考の違いを、広げてみましょう(これもまた、下書きをしたまま、放置してありました)。

一つは公平な取扱いです。
企業の場合は、買ってくれる層を対象とします。買わない人は、相手にしません。しかし、役所の場合は公平原則で、対象となる人は全員平等に扱います。もっとも、企業であっても「公共的サービス」は、平等に扱うことが求められます。

時間についての、意識の差も出ます。
企業は、他の企業に先駆けて新しい商品やサービスを売ろうとするので、なるべく早く作るのが良いことです。完璧を期す必要はなく、やってみてダメだったらやめればよいのです。これに対し、役所の場合は税金で行うので、新しいサービスを作る際に検討することが多くなり、時間と手間がかかります。

もっとも、役所のすべての事業や仕事の進め方を、このような基本的条件の違いで説明することは問題でしょう。
「お役所仕事」という批判です。そこには、遅い、融通が利かないという指摘が含まれています。企業との違いを前提としつつも、そのような批判に説明できるように、しなければなりません。

あなたがやっている仕事について、それが正しいかどうか。その「試験」は、簡単です。あなたが、住民の立場に立ってみることです。
あなたBが申請者であって、市役所の担当者であるあなたAに向かって、「それはおかしいだろう」と言うようでは、あなたAの仕事ぶりは失格です。「公平原則」や「慎重な検討が必要なのです」は、言い逃れでしかありません。

来ました、不審メール

先日、携帯電話が鳴りました。ショートメールが入っています。
開けて読もうとすると、警告文が出てきました。「このメールには、電話番号が入っていて、怪しいです」といった趣旨の文章です。私の携帯電話はドコモなので、ドコモがそのような設定にしてくれているようです。

注意しながらメールを開くと、発信者は英語で「manager」とかなんとか書かれています。文面は、「あなたは未払いがあるから、次の電話番号に電話しなさい」です。そして、050で始まる電話番号が書かれています。
直ちに、削除しました。
キョーコさんのスマホには、もっとたくさん怪しいメールが届いているそうです。

人件費は費用か投資か

会社では、人件費は会計上の費用に計上されます。官庁では、歳出に立ちます。この観点から見ると、人件費は少ない方が良いと考えられます。経費は少ない方が、会社では決算が黒字になり、官庁では経費を削減したと評価されるからです。

でも、この見方は、とても狭い見方です。どんどん人件費削減(人員削減と給与引き下げ)をすると、よい経営者であり、よい自治体でしょうか。会社はよい賞品を売って利益を増やすことがよい会社であり、自治体はよい業績を上げることが任務です。人件費を削減しすぎて、会社の業績が悪くなったり、必要な行政サービスが提供されないようだと、本末転倒です。もちろん、同じ売り上げ、同じ行政サービスなら、費用は少ない方が良いですが。

業績の悪い会社を立て直す経営者に、コストカッターと呼ばれる、経費削減を行う人がいます。しかし、経費を削減するだけでは、業績は向上しません。売り上げを上げないと、じり貧です。経営立て直しには、コストカット(経費削減)と共に、新製品など売り上げ向上が必要なのです。

人件費をどう考えるか。難しいのは、従業員の職場での「価値」を、お金では測ることができないことです。同じ職位の職員に同じ給料を払っていても、仕事のできる職員とできない職員がいます(ボーナスでは差をつけているでしょうが)。
さらに、多くの職員は将来、より重要な職務に就くことが期待されています。職員は現在の仕事を処理する「機械」であるとともに、将来を見越しての育成中の「素材」です。よい職員を育てることは、「投資」です。費用に終わる人件費と、投資になる人件費があるということです。

と書いて放置してあったのですが。10月11日の読売新聞の「経済学×現代 ノーベル賞5 人は財産 世界で争奪戦」が、人的資本について解説していました(今頃になって、すみません)。
・・・ゲーリー・ベッカー「人的資本」(1930~2014)米国生まれ。経済学の手法を様々な社会問題に応用した。1992年に受賞。
人への投資は一時的にコストがかかっても、企業の発展につながる。当たり前のように思える知見を実証し、「人的資本」という言葉で表したのがゲーリー・ベッカーだ。技術革新のスピードがこれまでになく速くなるなか、企業が求める人的資本も変わり始めている・・・
人的資本については、次のように説明しています。
「労働者を、投資によって生産性を高められる「資本」と捉える考え方。伝統的な経済学は、企業にとって労働者の生産能力はあらかじめ決まっており、必要に応じて雇用、解雇することを前提にしていた」

人的資本をこのようにとらえることはよいことですが、課題は、人的資本をどのように数値化するかでしょう。きわめて難しいと思います。
ある社員の能力を、どのように評価するか。それぞれの社員の能力は、用いる分野や場面で違ってくるでしょう。もっとも、あらゆるものを価格で評価するのが、経済学や会計学の手法です。その手法を使えば、一つの方法は、ある社員がいくらの値段で他社や労働市場で「取引されるか」の価格で表すことができます。経済学では、どのように扱っているのでしょうか。「統計に表れない人的資本の価値

「タテ社会と現代日本」その2

中根千枝先生の新著『タテ社会と現代日本』の続きです。
いくつも「なるほど」と思う指摘がありますが、その一つに「社交の場がないこと」(P106)があります。
日本では、場を重視し、集団への帰属と集団内での扶助が優先されます。小集団を超えた関心は少ないのです(P102)。それは、社交の場がないことにつながります。ラテン系の国では、村に広場があって、夕方には村人が出てきて会話を楽しみます。中近東ではコーヒーハウスがあって、イギリスではパブがあります。そこに集まるのは、同じ階層の人です。これらの国では、集団への帰属より、資格・階層が重視されるからです。

地域でのつながりが薄くなると、困ったことになります。これまで多くの男性は、会社という場に入り、それを唯一の帰属先としていました。定年で退職すると、一部の人を除いて、つながりを失います。また、新しいつながりの作り方を知りません。女性は、ママ友など、横のつながりを作っているのですよね。

社交の場がないことは、私も痛感しています。
一つは、職場以外での付き合いが少ないことです。近所の人とは挨拶をし、植木の手入れの教えは請います。しかし、私の職歴や関心で、話が合う人は少ないです。簡単に言うと、一緒に飲みに行く人がいないのです。

二つ目は、オシャレをしてキョーコさんと出かける場がないのです。
宮中に呼ばれたり、桜を見る会に呼ばれたときに、キョーコさんは和服を着て、おめかしをして出かけます。私は、モーニングコートかダークスーツです。しかし、モーニングを着る機会は、ほかにありません。結婚式と成人式だけでしょうか。タキシードでも羽織袴でもよいですが、私は着ることがないので。
中根先生がおっしゃる「資格が共通するつながり」が、もっとあればよいのですが。

宮城県被災地視察、その2

宮城県被災地視察」の続きです。追悼記念施設も、各地でできつつあります。
石巻市の南浜津波復興祈念公園は、中心となる建物が建ち上がりました。まだ、完成までには時間がかかります。写真で赤線で囲った地域全体が公園です。ここに町があったのです。危険なので、住宅の建築を禁止し、公園にします。

気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館は、被災した高校の建物を保存したものです。
当日、生徒たちは高台に避難し、それも指定場所では危ないと考えて、2キロ内陸まで逃げました。残っていた先生たちは、屋上のさらに塔に上って助かりました。
校舎に入ることができます。窓や天井は津波によって破壊され、机などが流され、代わりによその家の部材が入っています。3階に、津波で流されてきた自動車が残っています。
市民から提供された津波の映像は、迫力があります。13分間なのですが、見終わると30分くらい経ったような気がします。
当時を知っている人も、だんだん記憶が薄れているでしょう。また、若い人たちには、知らない人も増えてきます。ぜひ、ご覧ください。