サイバーセキュリティ

谷脇靖彦著『サイバーセキュリティ』(2018年、岩波新書)が勉強になります。著者は、総務省のこの分野の第一人者です。

コンピュータがネットワークでつながることで、私たちの仕事や生活は、とても便利になりました。このホームページを日本や世界から簡単に見ていただけるのも、そのおかげです。ネットショッピングも、便利ですよね。もはや、これなしでは仕事や暮らしは成り立ちません。
しかしその便利さが、犯罪を生み、対策を難しくしています。世界中どこからでも、匿名で、費用をかけずに、盗みに入ることができるのです。標的の組織を混乱させることも。戦争にも使われているようです。

サイバーセキュリティという言葉は、ニュースで聞かれることも多いでしょう。サイバー空間、すなわちコンピュータがネットワークでつながった空間での、犯罪や事故への対処です。企業や役所が狙われますが、毎日インターネットを利用している私たちも、被害者になります。
困るのは、被害者になるだけでなく、コンピュータが乗っ取られて加害者になる場合もあることです。
電子メールについていた添付ファイルを開いたら悪いウイルスに感染して、それがあなたとつながっている友達に拡散するとか。「私には関係ないことだ」とは言っておられないのです。

毎日多くの組織や個人がサイバー攻撃を受けています。「サイバー攻撃を受けているかいないかの違いではなく、サイバー攻撃を受けたことに気づいているかいないかだけの違いだ」だそうです(はじめに)。
交通法規と同じくらいに、サイバー攻撃への対処は、身につけておかなければいけない知識です。本書は素人にもわかりやすく解説されています。お勧めです。

困ったときの相談窓口

NHKのウエッブ「おやにいじめられているあなたへ 子どもが虐待を訴える方法」が参考になります。また、考えさせられます。

再チャレンジ政策を担当した際に、困った人の相談窓口の問題に気づきました。その後も、「再チャレンジ」という分類を作り、気にはしているのですが。
病気をしたときは病院に行くことは知っていますが、いろいろな困難に出会った際に、どこに相談に行ったらよいかわからないのです。学校でも十分には教えてもらわない、社会でもよく見えないのです。「スウェーデンの中学教科書」を何度か取り上げました。

貧困、失業、高齢、家族の死、障害、いじめ、不登校、引きこもり、自立できない人、社会とのつながりが困難な人、家庭内暴力、ストーカー、自殺願望などなど。
警察に行くようなことではない、しかし誰に相談してよいかわからない。あなたなら、どこに相談しますか?
市町村役場はありますが、そこに行くのが良いのか。引きこもりの人は、そもそも引きこもっているので、窓口には来ません。

近年大きな問題になっている児童虐待は、自分では訴えることができない子供であること、一番相談しやすい親が加害者であることという、大きな困難が加わっています。
どのようにしたら、助けてあげることができるか。これまでの行政の仕組みや方法では、困難な課題であり仕事です。

原発事故風評払拭の広報

原発事故の風評は、徐々に小さくなってきています。とはいえ、まだ残っているので、県や国は、その払拭に向けた取組を行っています。
福島の魅力、未来に向けた取組、放射線に関する情報、復興の現状を伝えています。
WEBサイト「タブレット先生の福島の今」をご覧ください。

放射線についての教育も重要なのですが、それを続けていると「やはり放射線は危ないのか」と思われる恐れもあります。難しいところです。

職務記述書、歴史公文書管理専門職の例

公務員の専門性向上策」(2月4日)で、藤田由紀子教授の発言を紹介しました。
・・・また「大部屋主義」と呼ばれる集団的執務体制の伝統により、職務記述書が作成される慣行もないため、各職員の職務や責任が曖昧で、その専門性も「暗黙知」とされてきた・・・

国立公文書館は、歴史公文書等の管理に携わる専門職について、職務基準を作っているそうです。「アーキビストの職務基準書
見ていただくと、職務の内容が、選別・収集、保存、利用などの分類され、それに対応して、必要な知識や技術が並んでいます。
なるほど。今後、このような職務記述書が増えていくでしょう。

できあがったものか、つくるものか

社会やそれを支えている制度を見る際に、「できあがったもの」と見るか「つくるもの」と見るかの違いがあります。

まず、法律学です。私が大学の法学部で習ったことは、制定されている法律の解釈学でした。日本国憲法は所与のものとして、その制定経緯、解釈、争点についての考え方を学びました。
「このような(条件が変わった、新しい事態が起きた)場合は、このような法律を作るのだ」といった立法学は学びませんでした。社会の実態と乖離するような場合は、解釈を拡大するのです。立法学とあるのも、現在の法律成立過程の分析が主です。
次に、政治学です。これも、日本の近代現代の政治をどのように見るか、その経緯、あるべき論からの分析と批判、欧米の政治の歴史とそれを動かした思想などでした。それはそれなりに、ものの見方を養ってくれました。
しかし、どうしても「できあがったもの」の分析になります。政治学の分野に政治過程論がありましたが、これもできあがった政策の成立過程分析でした。
成立する過程を学んだのですが、身につけたものの見方は、できあがったものの分析でした。

これは、社会学も同じです。これらの学問は、過去と現在=できあがったものの分析です。
「学問である以上、客観性が必要だ」という主張もあります。立法学、政策論になると、各人の主観が入ってきて客観性が欠けるという批判です。それはその通りです。しかし、今ある法律や制度も、ある立場で作られたものです。

かつて、原島博・東大教授の発言を紹介したことがあります。「過去の分析と未来の創造と
「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」(『UP』2005年6月号)
この項続く