大分市役所で講演

今日は、大分市役所に、講演に行ってきました。演題は、大震災対応+明るい公務員講座の、2本立てです。90分で両方お話しするのは、やや欲張りでしたが。
大震災対応は、スライドを使って、現場の状況をお見せしました。明るい公務員講座は、時間と仕事の管理術を、具体例でお示ししました。
100人を超える職員の方が、熱心に聞いてくださいました。

政治家の顔写真ポスター

1月14日の日経新聞「風見鶏」は中山真・政治部次長の「インスタ政治どこへ行く」でした。原文を読んでいただくとして、興味深かった点を上げておきます。

1 アメリカでは、庭先などに設置される「ヤードサイン」と呼ばれる選挙候補者のポスターは、文字だけで写真はついていないのだそうです。写真よりメッセージやスローガンを重視するとのこと。履歴書にも、写真を貼らないようです。

2 日本の政治家の写真を撮ることが多い写真家のところに、候補者から撮影の依頼が来ます。「どんな政治家になるんですか」 と聞いても答えられない人が多いとのこと。「それではどんな写真にしたいかも決められない」

人生を豊かにする「性格」

1月15日の日経新聞経済教室は、鶴光太郎・慶応大学教授の「人生100年 伸ばせ「性格力」 」でした。ここでの主張は、学び直しの際に、知識・技能だけでなく、「性格スキル」を向上させようという主張です。
職業人生に大きな影響を与える「性格の要素」が明らかになっています。真面目さ、外向性(社交性や積極性)、精神的安定性(不安や衝動が少ない資質)、協調性(思いやりや優しさ)、開放性(好奇心や審美眼)の5つです。
このうち、外向性を除いて、ほかの要素は成人後でも伸ばせることができるのです。
『明るい公務員講座』でお教えしていることと同じですね。
原文をお読みください。

被災者生活支援本部、指名した2人

日経新聞夕刊コラム第2回の補足説明(1月11日記事)に、私が呼び寄せた2人の名前を書きました。「なぜ、その2人を指名したのですか」との問い合わせがあったので、説明します。
彼ら2人は、旧総務庁採用です。私の自治省の後輩でありません。2001年に行われた省庁改革を準備する本部で、知り合いました。1998年から、参事官だった私を、企画官として支えてくれました。その後も、時に集まっては「意見交換」をしていました。

二人とも、省庁改革本部勤務とともに、行政管理局などの経験もあり、霞が関全省庁の組織や仕組みを熟知してるいるのです。被災者支援に必要な仕事を分類整理し、霞が関各省から人を集め、組織をつくる。それには、彼らが適任だと考えたのです。
被災地の自治体との連携も必要ですが、それは総務省や国土交通省に任せておけます。

そして彼らは、私の仕事のやり方を熟知しています。私も、彼らの仕事ぶりを知っています。細かい指示をしなくても、どんどん進めてくれるのです。
夕方に私の前にやってきて、「関係者の××に、『全勝さんの指示だから・・・』と言ってありますから、問い合わせが来たら『その通りや』と答えてください」というようにです(苦笑)。
また、面と向かって「それは、駄目でっせ」と意見を言ってくれるのです。
このような職員を知っていた、持っていたことは、幸せでした。

明治政府の地方発展戦略

1月11日の日経新聞経済教室は、寺西重郎先生の「銀行業の未来 地方や新興企業に重心を」でした。そこに紹介されている、明治政府がとった地方政策が興味深いです。

・・・明治20~30年代に伊藤博文のとった経済発展戦略を手掛かりに考えてみよう。
幕末維新の動乱の後、近代日本の支配者となった藩閥政治家たちが当初とった政策は、殖産興業政策など中央主導の近代化政策の強行であった。しかし明治20年代になって伊藤たちが実権を握ると、政策の大転換が行われた。それまでの中央集権政治では排除していた地方の地主や商工業者を取り込み、農業と在来産業の発展を踏まえた工業化・近代化という新しい政策へ移行したことである。
伊藤とその下の松方正義、井上馨、山県有朋らは議会開設や憲法発布とともに、地方に高等教育機関をふんだんに配備し、地方の在来産業を重視する経済発展に転じた。それは国内では自由民権運動の高揚に押され、国際的には関税自主権のないままに自由貿易体制に組み込まれたという厳しい状況下で、やむを得ずとった政策でもあった。

しかし現在の視点からは、この政策は2つの重要な意味を持つ極めて巧みな戦略であった。第1は、政策課題が山積している状況下で、伊藤たちが中央と地方の発展戦略における役割分担に解決方法を求めたことである。国の近代化のためのリスクを伴い時間を要する近代工業の建設は、中央の政府と財閥が引き受ける。その代わり地方の豪商農には自らの力で在来産業を発展させて、雇用機会を提供し、外貨を獲得するという役割を担わせる戦略である。
第2に、伊藤たちが近代工業の建設にかかる時間を冷静に計算し、長期の時間軸政策を行ったことである。軽工業である繊維工業などは短時間で何とかなるであろう。しかし本当に必要な重化学工業を作り上げるにはかなりの時間がかかる。それまでは在来産業の働きに頼るしかないという読みである・・・

原文をお読みください。
明治政府は、内閣制度、憲法発布、国会開設といった中央政府の構築だけでなく、地方をどのように統治するかも重視していました。憲法より先に地方制度を作ったのです。地方を安定させること、地方政治の闘争を中央政治に持ち込まないことが、必要だったのです。