朝日新聞オピニオン欄「ニューヨーク・タイムズから」10月3日のニコラス・クリストフ執筆「デジタル時代の人文学 iPhoneに負けず有意義」から。
・・デジタル時代に、人文科学は何の役に立ちうるか。人文科学を専攻する大学生は、少なくとも彼らの親たちの悪夢の中では、最後にはコンピューター科学を専攻する学生の犬の散歩屋になってしまうかもしれない。でも、私にとって人文科学は有意義なだけでなく、私たち自身や世界について真剣に考えるための道具箱にもなる。
すべての人に芸術や文学を専攻してほしいわけではないが、もしプログラマーや企業経営者ばかりなら、どのみち比喩ではあっても、世界はもっと貧しくなるだろう。やはり音楽家には私たちの魂を目覚めさせてほしいし、作家にはフィクションの世界へいざなってほしい。哲学者には私たちが知力を鍛え、世界とかかわる手助けをしてほしい。
懐疑的な人たちは、哲学を人文科学の中で最も無意味で気ままな学問とみなすかもしれない。だが私は世界の理解の仕方について、特に3人の哲学者の影響を受けている・・
として、アイザイア・バーリン、ジョン・ロールズ、ピーター・シンガーの3人を挙げています。
私の専攻と関心は、自然科学や人文科学でなく、社会科学です。自然科学が将来に自然の法則を全て解き明かし、遺伝子の情報が全て解読されても、社会の仕組みやどうあるべきかは解き明かされないでしょう。また、哲学の世界はこれまで、社会科学の外と思っていましたが、社会の問題解決には哲学(政治哲学)が不可欠だと、思うようになりました。このページでも、マイケル・サンデルの政治哲学を、何度か紹介しました。何をもって格差と判断するか、どこまで政治は社会や家庭に介入すべきか。消費税と社会福祉支出はどうあるべきか。どこまで被災者を支援すべきか。そこには、実は哲学が基礎にあります。
もちろん、そもそも論から議論を始めると前に進まないので、まずはこれまでの経験と「常識」で進めるのですが。今になって、その重要性に気づきました。若い時に、もっと基礎文献を読んでおくべきでした。
月別アーカイブ: 2014年10月
先達の経験談
粕谷一希著『粕谷一希随想集3 編集者として』(2014年9月)p337に、次のような記述があります。
・・これまで10回の連載(「乏しき時代の読書ノート」)で、敗戦直後から昭和27、28年までの私の読書歴を簡単にスケッチしてきた。それは15歳、中学3年生から大学までの7、8年間である。それはある人々からすれば、その程度のことかといわれそうだし、ある人々からすれば、ナント迂遠な迷走をつづけたことかといわれそうである・・
この文章に、とても共感しました。立派な先達がこのような感慨を述べられることに、私のような凡人も安心します。人生観を変えるような本もあれば、時間の無駄だった本もあります。しかし、それが今の私を作っています。
読書だけでなく、人生もそのようなものなのでしょうね。いろんな回り道をして、今の私があります。最初から結末や過程がわかっている人生って効率的ですが、面白くないでしょうね。結末がわかっている人生なら、たぶん生きよう(たどろう)とは思わないでしょう。
回り道をして、後からみたら無駄だと思えるような過程を経て、ある目的に達する。人生は、そのようなものなのでしょう。もちろん、迷い道ばかりで、一つのことを成し遂げないようでは、満足感は得られないでしょうが。3千メートルの頂に立つ場合に、まっすぐ垂直のようなはしごを登るのか、富士山のような裾野の広い山を登るのか、八ヶ岳のような山を迷いながら登るのか。人生は、頂もわからず、登山道もわからない山を登っているのでしょう。若い時から、先達の経験談や失敗談は、すごく勉強になりました。
ところで、伊東元重先生が、『東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと』(東洋経済新報社、2014年8月)を書かれました。この本は、大学生に「人生の戦略」を教える本ですが、先生の経験談でもあります。先日、先生に「まだこのような本を書かれるには、早いのではありませんか」と申し上げたところです。しかし、大学生や院生からすると、伊藤先生の経験談は宝物でしょうね。
読者からの反応
この拙いホームページを読んでいただき、ありがとうございます。そして、読者からの反応は、ありがたいです。
例えば、席を譲る失敗をした件について。
「私も同じような失敗をしました。妊婦さんと思って席を譲ろうとしたら、そうでなくお腹が出ている女性でした。」
→私も悩む時があります。しかし、これは私以上に厳しい場面ですね。
「あの記述は、間違いです」とか、「このような記述では、誤解を生みます」とか。
→この指摘は、ありがたいです。なにせ、このページは「1人記者の1人編集長」でつくっているのです。しかも、しばしば酔っ払って書いているので(これは言い訳にはなりません)。
「また、今週末も仕事ですか。毎週、同じことを書いていますね」
→はい、反省します。しかし、進歩はありません。
悩みごとの相談電話
いろいろな悩みを聞いてもらえる電話相談に、「よりそいホットライン」があります。24時間、365日、無料でつながります。
昨年度の活動報告書を紹介します。この電話相談では、被災地を優先してもらっています。1,400万回かかってきていて、そのうち37万件が相談につながっています(残りは話し中で、つながらなかったということでしょうか)。また、自殺、生活、外国人、女性といった分野別に回線が分かれているので、分野別の統計も取ることができます。
平成25年度に、被災3県からかかってきた電話は54万件です。内容の分類では、被災3県では自殺防止回線への電話が28%と、全国の12%に比べ3倍近くなっています。また、家庭内暴力など女性回線への電話が8%と、全国の5%より多くなっています。相談がどのような内容かは、資料の2枚目をご覧ください。
お金やこれまでの行政の手法では簡単に解決しない課題への、対応の一つのかたちです。関係者の方に、お礼を申し上げます。
事件を起こす少年は加害者か被害者か、捨てられたという意識
朝日新聞オピニオン欄10月3日「少年事件を考える」、井垣康弘さん(元裁判官・弁護士)の発言から。
・・社会は重大事件を起こす子どもを「モンスター」「野獣」とみます。実際は、母親から「あんたみたいな子、産まなかったら良かった」などと嘆かれ、教師からは「お前は学校に来るな」とののしられ、だれからも認めてもらえないために生きる意欲を失った子どもです。自殺する子も多いのですが、親や教師を含む社会に「恨みの一撃を与えてから死にたい」と思ったごく少数の子どもが無差別の殺人事件を起こすのです・・
・・彼らがなぜこういうことをしたのか社会は克明に知るべきです。生きる意欲を失った経過、社会に対する恨みの内容、一撃を加えたいと思った理由などは家裁の調査で判明します。詳しくわかれば、事件を防ぐ方法も見つかる。そのために家裁は克明な決定書を公表すべきで、メディアも審判の代表取材を求めるべきです。社会が何を教訓としたらいいのかを知らせなくてはいけないと思います。
私は家裁で約6千件の少年審判を担当しましたが、鑑別所に入る中学生はほとんどが離婚家庭の子ども。養育費の支払いもなく父親から完全に捨てられた形になっている子は、月に5千円でも送金されている子よりはるかに自己肯定感が低い。そのうえ彼らは学校でも落ちこぼれ、分数はできず、漢字もほとんど書けません。親の離婚、再婚に関連して子どもを放任するのは、「社会的虐待」です。
親の離婚そのものは仕方なくても、子どもが「捨てられていない」と感じられることが非常に重要です。一刻も早く別れたいという思いで養育費はいらないという母親が多いですが、それは危険な行為です。日本では離婚や再婚に伴う「虐待」が平然と多量に行われていることをまず自覚しなくてはいけないと思います・・
簡単には紹介できません。原文をお読みください。