今日は、日本大学大学院での講義。順調に進んで、もう6回目です。内容の方は、予定通りではありませんが。もっとも、当初の時間配分が、かなり余裕を持たせたものなので、問題はありません。
初めての内容を講義しているので、講義ノートを作っていく際に、事前に考えた骨子とは、密度が変わることがあります。また、講義ノートの分量と、しゃべる時間とは、これまた一致しません。参加者との意見のキャッチボールが始まると、予定より時間がかかります。でも、それは良いことですから。
月別アーカイブ: 2010年10月
管理と経営の違い、運営と統治の責任の違い
必ずしも明確に定義された言葉ではないのですが、管理(運営)と経営(統治)の違いを、説明しましょう。
管理(運営)は、与えられた権限や責任を果たすことです。他方、経営(統治)は、自らに委ねられた範囲の問題に責任を持つことです。
前者は、会社や行政組織の部長や課長を想像してください。与えられた部や課に責任を持ちますが、それは与えられた権限の範囲内です。すなわち、「それは私の担当ではありません」「私の責任ではありません」と言うことができます。
後者は、社長や市町村長、さらには首相を想定してください。社長は会社の生き残りをかけて、あらゆることを考えなければなりません。市長も、市内で起きた問題のすべてに、対応を求められます。もちろん総理もです。「それは私の権限ではありません」「私の責任ではありません」と言えないのです。担当者がいなければ、担当者を任命しなければなりません。また、問題が生じた場合に、「担当者に任せてあります」という台詞も、許されない場合があります。
社長、市長、総理の職責は、部課長とは違うのです。部長や課長の責任は、与えられた権限の範囲内です。それを越えると、越権です。一方、社長、市長、総理は、その組織と地域に無限の責任を持っています。規則や法令が不足するなら、それを作らなければなりません。社長や市長、総理は、「規則に則って処理しました」では不十分な場合があるのです。
前例と規則に則って仕事をするのは、部下の勤め。必要な場合には前例にないことをすること、規則がない時にはそれを作ることが、トップの責任です。それが経営であり、統治です。
十津川村で講演
21日に、奈良県知事に呼ばれて、十津川村まで講演に行ってきました。県内市町村長の勉強会です。市町村が直面している課題について、歴史的な背景や、国際的な環境から、お話ししてきました。知事さんをはじめ、皆さん熱心に聞いてくださいました。
十津川村は、高校1年生の時に、和歌山県新宮市で開かれた高校総体サッカー大会から、奈良交通のバスで帰ってくる時に通って以来です。この長距離バスは、大変な旅でした。ヘヤーピンカーブの連続です。最後部に座っていると、カーブではバスのおしりが振って、道路の上ではなく、崖の外を通っている(下は川が流れている)といった代物でした。
40年ぶりに行くと、道路ははるかに良くなっていました。村長さんの案内で、村内をいくつか見せてもらいました。といっても、琵琶湖や淡路島と同じくらいの面積がある、広大な村です。そのほとんどが、急峻な山です。熊野古道が、世界遺産に登録されています。
今週は、月曜と火曜日に自治大学校で講義。水曜日に慶応大学で講義。木曜日に十津川村で講演。さらに、行きと帰りの新幹線では、原稿を執筆。最近は車中では、本を読むか寝るかでしたが、締め切りが迫っているので、そうも言っておられず。携帯パソコンを持ち込み、こつこつと書きました。十津川村の温泉でも、早々と温泉につかってから、執筆。因果な商売だと嘆きながら、パソコンに向かいました。よく働きました(笑い)。明日は、日本大学大学院の講義です。
2010.10.22
20日は、慶応大学での講義。日本経済に占める地方財政の規模や、財政の役割を解説。さらに、地方自治体の収入の概要を説明しました。だんだんと、学問らしくなってきています。
公を支える官以外の主体
10月18日から朝日新聞夕刊の連載「生きている遺産、暮らしの知恵」が、歌や踊りでない無形文化遺産を取り上げています。一つの社会が受け継いできた、技術、制度、対処法などです。
18日は、スペイン、バレンシア平野の水法廷でした。灌漑水路にかかわる訴訟を、農家の代表が裁きます。会員は1万世帯あまり、1000年続く伝統だそうです。この裁判は、司法への市民参加、慣習的裁判所として憲法で認められ、一般の裁判所と同じ効力を持ちます。地域の制度資本ですね。
一方、日経新聞19日の夕刊「ニュースの理由」は、イギリスのキャメロン政権が、大胆な構造改革に取り組んでいることを伝えていました。「大きな社会」を掲げ、中央政府の権限を民間企業や地域社会、慈善団体に委譲します。サッチャー首相が進めた「小さな政府」は、政府の役割を縮小し市場経済に委ねようとしました。これに対し、キャメロン首相は、大きな政府を代替するのは市場ではなく、「社会」「家庭」「個人」としています。「国家対市場」でなく「国家対家庭」の戦いだそうです。
政府が拡大したのは、行政サービスを拡大したこと、そしてその背景には市場の失敗と家庭の失敗を引き受けたことにあります。民営化、民間委託は、政府が行政サービスに責任を持つが、執行は民間企業に任せることです。ごみ集めの民間委託を考えて下さい。
さらに、福祉サービスなどは、家庭や地域社会が担っていた役割を、国家が引き受けました。すると、その仕事を政府から委譲する場合は、相手は企業ではなく、家庭や地域社会、NPOに渡すことは合理的ですね。