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財政政策、政府の役割

財政学の教科書には、財政の3つの機能が載っています。
1 公共財の提供(資源配分の調整)
2 所得再分配(所得と富の分配の調整)
3 景気の調整(経済の安定化)
市場の失敗に対する補完として説明されます。マスグレイブが体系化しました。
これは、財政の役割です。しかし、市場と政府の関係をより広い視野から見ると、政府の役割には、これら以外にも重要な役割があります。
すなわち、市場経済が機能するように条件を整備することです。私有権の保護、契約の尊重、取引のルールの設定、紛争が生じた際の解決などです。これらが機能して、初めて市場の失敗が議論になるのです。
私は、「国家の役割と機能の分類」で、「経済社会活動のルール設定」という項目を立て、次のようなものを具体的な行政分野としてあげました(行政の分類)。
①経済社会:民法・商法・会社法、通貨制度、金融制度、経済取引
②労働:労働・雇用法制
③公共空間管理:電波・電気通信の監督、交通ルール
④紛争処理:民事裁判、各種ADR制度
もう一つ、市場に対する政府の役割があります。
「国民生活の向上」のために、産業政策、科学技術の振興を行うことも、現代の政府には期待されています。これも、財政の3機能(市場の失敗の補完)とは違った、政府の役割です。
拙稿、「行政構造改革」第3章第3節政治の役割(月刊『地方財務』2008年9月号)で、このような政府の役割を整理しました。ところで、このような議論(政府の役割)を整理した教科書は、案外見つかりません。もちろん拙稿は、十分とはいえません。連載自体が中断しています。すみません。いずれ、完成させます。

白菜を見に、上野へ

今日、キョーコさんのお供をして外出した後、一大決心をして、上野の国立博物館へ。そう、あの「白菜」を見るためです。昨日まで、展覧会のホームページ(台北故宮博物院)を見たら、「180分待ち」とか「90分待ち」とか出ていて、迷っていたのです。「240分待ち」という記述もありました。しかし、夜8時までやっているとのこと。それなら夕方を狙うしかない。平日夜は毎日のように「所用」があるので、行くなら土日の夕方。しかも、白菜は7月7日までしか、展示されません。
4時過ぎに渋谷を出発する頃には、雷が鳴り大雨が降り出しました。上野に着いたら小降りになっていましたが、噴水前は大きな水たまりができているほどです。白菜は90分待ちのとのことなので、ほかの展示を待ち時間無しで見てから白菜へ。すると、30分待ちで、実際は20分くらいで見ることができました。日曜の夕方なのと大雨で、観客が少なかったようです。
白菜は、「よくまあこんなものを、堅い玉を削って作ったねえ」と思わせるものでした。もちろんビデオの解説の方がよくわかりますが、実物を見る価値はあります。職人がどれくらいの時間をかけたのでしょうか。あの大きさですから、一度に一人の人しか加工できません。3人がかりで同時にとか、4人で分業してとは、いかないのです。
ところで、あのキリギリスの羽は、本来はもっと長く大きかったのが、途中で折れたように見えました。

税財政政策の理論と運用

石弘光著『国家と財政―ある経済学者の回想』(2014年、東洋経済新報社)が、勉強になります。石先生は、元・一橋大学の財政学の教授です。政府の税制調査会長などを務められました。学者として政策の現場でも活躍されました。
この本は、先生の学者としての半生を振り返りつつ、税財政の理論と実際がどのように変化してきたかを、テーマを建てて解説しておられます。日本の戦後から現在までの、税財政史でもあります。租税政策や財政政策は、早い時期から、学者が実務(政策の現場)に貢献した分野です。私たちは、教科書や専門書で税財政を勉強しますが、なぜこのような理論ができて、現実に運用されているか、その背景を学ぶと、より理解できます。
税財政など政策は、現実の運用だけでなく、理論も、経験と反省の中で生み出されたものです。学者が、書斎で見つけたものではありません。無味乾燥な理論や制度が、この本を読むことで、より身近に感じることができます。税財政職員はもちろん、広く官僚に、お薦めの本です。

日本の発明

6月18日に、発明協会が、「戦後日本のイノベーション100選」を発表しました。各紙が報道していたので、ご覧になった方も多いでしょう(このホームページでの紹介が遅くなって、申し訳ありません。他にも、たくさん載せる素材がたまっているのです)。
技術的な発明だけでなく、ビジネスモデルなど社会に影響を与えたソフト的なものも並んでいます。例えばトヨタ生産方式や公文式教育法、ヤマハ音楽教室などです。回転寿司も、あります。なるほどね。
私は、世界の生活文化に影響を与えた点で、インスタントラーメン、カラオケ、テレビゲーム(または漫画・アニメ)が3大発明だと思っていました(2005年4月4日の記事)。ここに並んだものを見ると、再考しなければなりません。インスタントラーメン、ウオッシュレット、カラオケを、世界の生活文化に貢献した新御三家として提案しましょう。庶民の生活を変えたという観点からです。

親が子どもを育てられない場合

今日、6月17日の読売新聞1面は、「子供置き去り483人、餓死寸前も。過去3年」でした。読売新聞の独自の調査です。実際には、もっと多いのでしょう。親に放置され、餓死したり、衰弱死した幼児のニュースが、後を絶ちません。その子の立場になったら・・。かわいそうでなりません。
親にはそれぞれの理由があるのでしょうが、許せないことです。しかし、彼らを叱ったところで、事態は好転しません。それだけの能力と意欲のない親を教育するか、社会が子どもを引き受ける必要があります。
どうしても育てられない親には、「役場に相談すれば、助言をもらえたり、子どもを引き取ってもらえますよ」ということを教えるのです。今も、一人で悩んでいるお母さんやお父さんがたくさんいるのでしょう。それは、老親の介護も同様です。でも、学校では、困ったときに役所が助けることを、教えていません。それは、事故を起こしたときや病気になったときも同じです。「家庭で学ぶこと」なのです。
かつては、家族で面倒を見切れない場合は、親族や隣近所が手伝いました。その機能が低下しました。もちろん、昔も両親に捨てられた子どももたくさんいたのです。役所が救えず、救わず、悲しい結果になった場合も多かったのです。

教育には、2つのものがあるのでしょう。一つは、よい子を育てる教育です。もう一つは、障害を持っている人が生きていく際の知恵や、事件事故を起こした場合の対応を教える教育です。これまでは、よい子を育てる教育に力を入れてきました。しかし、そこから漏れ落ちる子どももいます。家族だけでは、守ることはできません。社会で育てる必要があります。
落ちこぼれることや事故に遭うこと、病気になることは、誰にでもあるリスクです。よい子を育てることは必要ですが、それから漏れ落ちても安心して暮らしていくことができるように、社会を複線型に変える必要があるのです。拙著『新地方自治入門」』では、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』(邦訳1997年)を紹介しました(p175)。これは、勉強になり、考えさせられます。明治以来の日本は、よい子を育てる教育では、大成功をしました。しかし、落ちこぼれた場合の教育は、不十分なようです。