28日の朝日新聞別刷りbe「フロントランナー」小城武彦丸善社長のインタビューから。
・・米国は日本の25倍の面積ですが、書店数は1万店を切っています。一方で、日本は1万5千店以上残っている。米国で本を買うには、車で30分走らなければいけません。日本人は通勤や通学途中に立ち寄って買えます・・
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社会と政治
観光客数
これも古くなりましたが、18日の日経新聞経済教室、額賀信さんの「観光立国。訪日外国人数、高い目標を」が、興味深かったです。
2008年度の訪日外国人数、は777万人でした。政府は、これを2020年初めまでに2,500万人に伸ばすことを、目指しています。10年間で、約3.2倍です。結構な伸び率です。ところが、額賀さんは、この目標では少ないと、主張されます。
・・2008年に国際観光到着数が世界で最も多かった国はフランスで、その数は7,930万人。第2位以下は、米国(5,803万人)、スペイン(5,732万人)、中国(5,305万人)の順で、さらにイタリア(4,273万人)、英国(3,019万人)が続いている。このうちフランスとスペインは、国内人口を上回る国際観光客を受け入れている(2009年版国際観光白書)。
これらの国々の国際観光収入はまた、いずれも巨額である。世界最大の国際観光収入を得ている米国では、2008年で11.3兆円を稼いでいる。以下、スペイン6.3兆円、フランス5.7兆円、イタリア4.7兆円、中国4.2兆円と続いている(国際旅客運賃を含まないベース)。同じ基準によるわが国の国際観光収入は、同時期で1.1兆円と中国の約4分の1にとどまっている。アジアの中では、中国だけでなく、タイ、香港、マレーシア、マカオ、インドにも負けている・・
として、「日本の人口を考えて1億人を目標とすべきである」と主張しておられます。
知的財産戦略
16日の日経新聞経済教室は、秋元浩さんの「生命科学の知的財産戦略」でした。
・・日本の生命科学(ライフサイエンス)研究は、山中伸弥・京都大学教授の新型万能細胞(iPS細胞)研究に象徴されるように、世界のトップレベルといっても過言ではない。しかし、研究は優れていても、実用化・産業化という面では欧米の後塵を拝していることが多いのではないだろうか。日本は、研究開発と並んで重要な知的財産戦略・事業化戦略に問題があるように思われる・・
医薬品産業では、新薬の研究開発に平均15年以上の時間と数百億円の先行投資を要する。そして新薬として発売される成功確率は研究開始時点から見ると数万分の1と著しく低い。にもかかわらず、その新薬はたった1件の物質にかかわる特許で保護される可能性がある・・
生命科学の知財戦略では、グローバルな視点も重要になる。経済活動も科学技術研究もグローバル化がますます進む一方で、知的財産制度は依然として各国の産業政策に基づく属地主義的要素が強く残り、国によって異なる部分も多い。生命科学分野の企業にとって、経営戦略や研究開発戦略と並ぶくらい知的財産戦略が極めて重要である理由の一つは、日本と米国の特許制度の違いに起因する・・
2007年に人の皮膚細胞からiPS細胞を創成するという画期的な発明が山中教授により発表され、これを契機に、我が国全体(オールジャパン)として研究と知財のコンソーシアム体制をつくろうという動きが始まった。研究のコンソーシアムについては山中教授を中心にオールジャパン体制が構築された。しかし、知財の総合プロデュース機能を有する知財コンソーシアムについては、内閣の知的財産戦略本部が2008年6月に開いた第20回会合においてその必要性は承認されながらも、国としての支援体制は実現するには至らなかった・・
アングロサクソン型資本主義とライン型資本主義
先日紹介した、田端博邦著『幸せになる資本主義』に引用されていて、興味を持ったので、ミッシェル・アルベール著『資本主義対資本主義』(邦訳1992年、竹内書店新社)を、読みました。概要は、田端先生の本に紹介されている通りです。ごく簡単に言うと、共産主義が崩壊し、世界は資本主義に一元化される。しかしその中に、2つの型の対立がある。アングロサクソン型(レーガンのアメリカ、サッチャーのイギリス)と、ライン型(ドイツや日本)である。アングロサクソン型は魅力的だが、フランスとしてはライン型を目指すべきだという主張です。筆者は、フランスの高級官僚で経営者です。原著は1991年に出版されています。約20年前です。1898年にベルリンの壁が崩れ、1990年にドイツが統合され、1991年にソ連が崩壊しました。第1次湾岸戦争が1991年、日本でバブルが崩壊したのも1991年です。まだ、EUはなく、通貨統合もされていません。この時点で、このような洞察をしていたのですね。ただし、バブル崩壊直前で、日本の評価が最も高かった頃です。アルベール氏は、その時点で、日本がアングロサクソン型に近づきつつあることを、危惧しておられました。アングロサクソン型は、個人の成功と短期的な金銭利益を土台としている。何事も利益追求のチャンスとし、人びとを競争へと駆り立てる。しかし、他人にはおかまいなしで、リスクもある。他方、ライン型は、集団での成功、コンセンサス、長期的な配慮に価値を見出す。連帯を大切にし、文化や人間にも一定の場所を与える。着実で成果も大きいのだが、魅力に欠ける。
国家による経済への介入と道徳への介入
今、話題の、マイケル・サンデル著『これからの正義の話をしよう』(2010年、早川書房)に、次のような下りがあります。政治と宗教との関係の章p318です
1960年代と1970年代に(アメリカで)発言力を持った公共哲学では、政府は道徳・宗教問題に関して中立で、個人が自由に自分なりの善良な生活の構想を選べなければならないとされる。
(アメリカの)2大政党はともに中立の考え方をアピールしたが、その方法は異なっていた。おしなべて言えば、共和党は経済政策にこの観念を利用し、民主党は社会的・文化的問題に応用した。共和党は、自由市場への政府の介入に反対だった。その論拠は、以下のようなものである。個人は自由に経済上の選択をし、自分の金を好きなように使うべきだ。政府が納税者の金を使ったり、公共の目的のために経済活動を制限したりするのは、万人が共有するわけではない国家公認の共通善の押しつけだ。
民主党は、経済に政府がより大きく介入する措置を擁護した。だが、社会的・文化的問題になると、やはり中立性という言葉を持ち出した。政府は性行動や生殖に関する決断の領域で「道徳を法制化」すべきでないと民主党は主張した。一部の人の道徳的・宗教的信条をほかの人に押しつけることになるからだ。政府は妊娠中絶や同性愛を規制するのではなく、そうした道徳性を帯びた問題に対して中立を保ち、個人に自ら選択させるべきである・・。
なるほど、国家の介入が、市場経済と社会生活の2つの分野で、違ったのですね。納得しました。