日経新聞10月8日の経済教室、猪口孝先生の「アジア全域で初の世論調査」は、アジア29か国・地域を対象に、生活の質に焦点を当てた世論調査結果を紹介しておられました。アジアの全ての国を対象とした調査は、これまでなかったとのことです。ただし、今回も、北朝鮮と東ティモールは外れています。
「子どもに対してどのような価値観や規範意識を植え付けたいか」では、日本は思いやりですが、他国は勤勉、独立、正直です。日本では、「他人」が強く埋め込まれています。他国は、「自己」です。
個人生活、社会関係、国家の強さという3つの視点から、重要性の順序を問うものもあります。
これまで、「日本人論」、「日本社会の特殊性」に関して、多くの本が出されました。でも、その大半は、印象に基づくものです。このような調査結果による「日本と他国の違い」は、説得力があります。もちろん、調査の際に本心を回答するか見栄を張るかによって、誤差は出ます。
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誤表示か偽装か
有名大手ホテルチェーンでの、レストランの食材の「誤表示」がニュースになっています。ホテル側は、「誤表示であって、偽装ではない」と説明しているそうです。ある人がこれについて、次のように評価していました。
「食材を誤って表示したと説明するのなら、安いブラックタイガーを高い車海老と表示をしただけでなく、逆に車エビをブラックタイガーと表示したこともあるのだろうか・・」。確かに、そのような例を示せば、利用者も納得するでしょうね。
日本の大学、頭脳のガラパゴス化
10月9日の朝日新聞オピニオン欄、野依良治さんのインタビュー「頭脳、大循環時代」から。
・・日本ではほとんど注目されていませんが、学界トップの壮絶な引き抜き合戦が、国を超えて繰り広げられています。たとえば、米国の名門ロックフェラー大学が2003年に学長として引っ張った英国のノーベル賞学者を、英国は7年後に王立協会会長として取り戻しました。米ロ間では、米在住のロシア人科学者をめぐる攻防がありました・・
・・現代は知識に基盤を置くグローバルな社会です。人や資源、情報は簡単に国境を超え、一国の発展を担う科学技術も国家の枠内にとどめておくことが難しい。優秀な人材をあらゆる階層で引き抜きあい、異才を融合して新たな知につなげようという頭脳の大循環を引き起こしているゆえんです。とりわけ、新しい時代の研究機関の経営ができる力量ある人材は限られています。こうした動きに新興国も積極的に加わりつつありますが、日本はその認識が乏しい。世界の潮流から取り残され、独自の道を歩む「ガラパゴス化」を指摘されても仕方がない状況です・・
・・グローバル化と国際化は連続していますが、区別して考えなければなりません。国際化は自分たちの国の特質を堅持したうえで、諸外国と関係をつくること。グローバル化は世界の一体化です・・
・・日本の国立大学の学長の8割に留学経験がない、というのも際だっています・・
・・かつては個人戦でしたが、いまや団体戦です。異なる分野との連携や融合がものをいう。若者や女性、外国人の参加が絶対に必要です。違う感性を持っているからです。パスツールは「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」といいました。研究者の発想のもとには文化があります。一番大事なのは、さまざまな文化を背景に持つ人たちが直接顔を合わせて連携することです。違うものとの出会いが新たな価値を生む。本人がいかに優れているかより、いかに触発されるか。同質の統合ではなく、機能を重視した横断型ネットワークが欠かせません。
いかなる国でも、外からの多様な人材が必要ですが、残念ながら、いまの日本の国立大学には、外国人を呼び込むだけの魅力がありません。これまでの慣習と成功体験の呪縛によって、世界の潮流に乗れていません。科学の共通語は英語ですが、大学院ですら日本人の、日本語による、日本人のための教育と研究です。これでは若い外国人は来ません。留学生の割合は米国で3割、欧州では5割ですが、日本では東京大学でも14%です・・
これもまた、日本のこれまでの成功の裏返しです。日本は、英語を使わずに高等教育ができる、数少ない国です。政財界のエリートも、日本語で用が足せました。
アラビア語通訳のいない日本
10月11日朝日新聞オピニオン欄、水谷周さんの「外国人をもてなす、アラビア語の需要に備えよ」から。
・・アラビア語は日本では、特殊語とみなされる。ところが広く国際社会を見渡すと、多くの人が使用する広域言語なのである・・
・・アラブ人でなくてもイスラム教徒(ムスリム)となれば通常、聖典コーランを読むためにアラビア語を習得する。ムスリムはアジアやアフリカ、欧米も含め、世界人口の4分の1になりつつある。英語と匹敵する存在とも言え、国連の6公用語の中でもフランス語やスペイン語などとは比較にならない・・
・・このようなアラビア語の隆盛を前提としたとき、相変わらず特殊語扱いする日本の取り組みの貧弱さが目立つ。アラビア語の授業を行っている大学は40以上あるが、実用段階にいたる程度の指導体制を持っているところは5本の指ほどもない。また筆者の知る限り、日本語との十分な同時通訳者は5人といない。首相の出席する会合でさえ、英語を介しての二重通訳という場面も生じるのである・・
そんなに少ないとは、知りませんでした。
日本語に守られる日本的思考
新聞には、論壇誌を紹介する欄があって、1月に一度、各論壇誌から主な論文を紹介しています。たくさんの雑誌に目を通す時間のない私たちにとって、便利なものです。ところで、読売新聞には、「海外メディア」の欄があって、海外の雑誌や新聞の論説を紹介しています。ハタと、思い当たりました。多くの日本人は、国内の新聞と雑誌しか、目を通していないのですよね。
もちろん、英字新聞や雑誌に目を通している外国通のインテリも、たくさんおられるでしょう。しかし、政治・行政・経済界で、毎日定期的に幅広く海外メディアとその論説に目を通している人は少ないでしょう。自らの本業関係には、それぞれ目を通しておられるでしょうが。
すると、どうしても、国内だけの視野と発想になります。政治・行政そして学界(文系)・メディアが、日本語=日本国内だけの世界に閉じこもっていることを、私は「日本語という非関税障壁に守られた世界」と、表現しています。
読売新聞のほかに、インターネットの会員制情報誌「フォーサイト」に、会田弘継さんが「国際論壇レビュー」を書いておられます。なるほどと思うことが多く、勉強になります。