カテゴリー別アーカイブ: 人生の達人

走りながら考える

課題に取り組む際、普通は、現状を把握し、問題点を整理し、対策を考え、優先順位をつけて進めるでしょう。そして、過去の経緯を勉強し、関連した情報を集め・・とです。私は、常々そうするように、特に全体像を把握するように心がけています。
ところが、これは理想像なのですよね。再チャレンジについても、職員の分担を決め、この流れを指示しました。しかし、現実はそれを許してくれません。急ぎの案件が飛び込んできて、その処理に追われるのです。すると、その作業を優先し、そこから関連施策を勉強することになります。走りながら考えるという状態になります。それはそれで、忙しい日々になるのですが、良く注意していないと、ランダムに発生する課題の処理に追われ、全体的戦略がおろそかになるのです。(2006年10月21日)

日経新聞私の履歴書は、1日から、江崎玲於奈さんです。ノーベル賞を取るために、してはいけない5か条が、紹介されています。
1 いままでの行きがかりに、とらわれてはいけない。しがらみという呪縛を解かない限り、思い切った創造性の発揮は望めない。
2 教えはいくら受けても良いが、大先生にのめり込んではいけない。権威の呪縛にはまる。
3 無用ながらくた情報に、惑わされてはいけない。20ワットで動作する頭脳の能力を考え、選択された必須の情報だけを処理すること。
4 自分の主張を貫くためには、戦うことを避けてはいけない。
5 子どものような好奇心と初々しい感性を、失ってはいけない。
また、私たちの知的能力は二つあり、ものごとを理解し判断する分別力は、20歳では零で、毎年増加し、70歳で100に達する。もう一つの、新しいアイデアを生み出す創造力は、逆に20歳で100、70歳で零になってしまう。その交点が45歳で、両者が触発されると大きな仕事ができる。

2006.10.2

10月になり、官庁では衣替えです。と言っても、男性だけですが。クールビズから、ネクタイ姿になりました。クールビズは、すっかり定着しました。小泉改革の中で、最も評価の高いことの一つだと、私は考えています。「服装くらい、自分で決めればいいじゃないか」と思われるでしょうが、公の場では目上の人の前に、ノーネクタイでは出て行きにくいものです。上の人から変えてもらわないと。私のように、スーツでない=ジャケットと違う色のズボンの組み合わせだけで、「あんたはスーツ着ないのか」と聞かれる職場、商売ですから。

行政の失敗と再発防止

プールの吸水口に小学生が吸い込まれ、死亡する事故がありました。痛ましい事故です。子供を持つ親としても、やりきれません。このような事故は、数年前にもありました。なのに、なぜ防げなかったのでしょうか。素人が考えても、事前に確認する、網戸のようなふたを二重にしておけば、防げたはずです。避けられない事故とは思えません。
先日から、NHK教育テレビ「知るを楽しむ」8~9月の月曜日番組、畑村洋太郎先生の「だから失敗は起こる」を読んでいました。放送は、7日からですが、テキストは既に発売されています。先生は「失敗学」の創始者です。読んでいて、なるほどと思うことが多いです。
私も、行政管理の分野では失敗学の「泰斗」である、正確には「失敗が起きたときのお詫びの王者」であると、自負しています。自分が起こした失敗の他に、管理職になってからのお詫びは数えきれません。鹿児島県税務課長時代の課税額間違い(もちろん過大課税でしかられました)、富山県総務部長時代の談合、カラ出張、調査ミスなどなど。この時は、1年間に4回お詫びの記者会見をしました。記録保持者と思います。こんなこと、自慢になりませんが。
大きく新聞やテレビで取り上げられ、頭を下げた写真と記事を大切に保管してあります。自分が下げているはげ頭を見るのは、楽しいことではありません。でも、だからこそ、いつも思い出しては、教訓にしています。それぞれの事案が、私を育ててくれました。幸いなことに、人身事故ではなかったので、こんなことを言えるのですが。
再発防止のために、処分・制度改正のほかに、記録として残したりしました(「富山県庁の挑戦-私の行政改革論」1998年、富山県職員研修所)。部下が起こした失敗は、受動的な責任です。でも、同じことを2度起こしたら、管理者である私の責任です。
先輩の成功事例よりも、失敗事例の方が、よい教材になります。そう思って、できる限り明らかにし、記録しました。役所の失敗は、パターンが限られています。職員が起こすことですから、そんなに珍しいことは起きません。大半は、「組織の病気」です。もたれ合い、無責任、引き継ぎの失敗などなど。本当に些細なことで起きます。
当時の教訓は、「隠すことは、もっともいけない」です。人間、できれば都合の悪いことは隠したいものです。でも、そんなことに限って、必ずばれます。天網恢々、疎にして漏らさず。また、上司がそんな気でいると、職員の間にも「隠しておこう」という意識が生まれます。それが一番怖いのです。
また、「二度とこのようなことがないように・・」と皆さんおっしゃいますが、私はそれではだめだと思います。もちろん人身事故などは、二度と起こしてはいけません。また、そのような心構えも必要です。が、小さなミスはしょっちゅう起こります。例えば、印刷ミスとかです。それらすべてについて、本当に二度と再発しないようにするには、すごい費用と労力が必要です。それは、費用対効果の面で、不可能です。職員が何人残業しても、足りません。「人間は失敗を犯すもの」なのです。再発防止策をとったあと、もし起こったらどうするか、その前提の下に、対策を考えるべきです。
機会があれば、後輩のために、「行政での失敗学」を書きたいと思っています。畑村先生には、このほかにも失敗学の本がいくつもあります。管理職の方は、ぜひお読みください。(8月2日)
これに関して、プロ野球・野村監督の言葉を思い出しました。「野球に、ふしぎな勝ちはあるけど、ふしぎな負けはない」という趣旨の言葉です。行政の失敗にも、ふしぎな失敗ってないのですよね。原因を調べると、必ず「なーんだ、こんなことか」というのがあります。

今日は、「田村交付税課長を囲む会」に行ってきました。平成4年、田村課長、岡本補佐と一緒に仕事をした、交付税課メンバーの集まりです。今から思うと、とんでもない過酷な職場でした。夜の12時頃に職員が「今日は早く帰らせてもらいます」と言ったとか(誇張ですが)。交付税の算定が終わって、夜に富士山に登って途中道に迷ったのも、この時です。
その原因は、ただでさえ忙しいのに、ふるさと創生、公共投資基本計画、シルバープランなど、次々と交付税措置が増えたのです。もっとも、それに輪を掛けたのは、国会議員からたくさん質問をもらってきたり、次々と仕事を引き受けた岡本補佐にあります。でも、田村課長の人徳で、毎回大勢の人が集まります。話題は、当時の課長補佐が、いかにむちゃくちゃだったかです(反省)。なぜか、この話で盛り上がるんですよね。
土曜の午後に指示を出し、月曜日の朝宿題ができていない職員に対し、「昨日休んだだろう」と詰問し、午後には、「まだか~、さっき昼飯を食っただろ」と聞き、火曜日には「昨日寝ただろう」と攻めた話は有名です。「忙しいから、返事は短く。ただし、全勝は民主的だから、決めつけはしない。次のどちらかを選んで良いから。一つはもちろん『はい』。もう一つの選択肢は『わかりました』だ」と、言ったこともありました。うーん、ひどい話ですねえ。
ある職員は、「はいはいはい、わかりましたよ~」と反抗していました。その彼も、今は某県の総務部長です。私のマスコット人形を夜のうちに壊しておいて、「どうして壊れたのですかね」ととぼけていた職員も、某県総務部長。いろんな指示に、「え~、本当ですかあ~」と、はぐらかしていた職員は、一人は総務省の室長、もう一人は課長補佐、もう一人は某市の財政部長です。きっと、私を反面教師にして、よい管理職になっているでしょう。
でも、一人も事故者を出すことなく、今もみんなで、楽しくあのころのことを話題にできます。小さな「プロジェクトX」だと思っています。

12日の日経新聞夕刊「人間発見」は、草刈隆郎日本郵船会長の若き日です。ロンドン駐在時代に、大きな失敗をされたそうです。「当時としてはかなりの大金で、『これでクビかな』と青ざめました。結局、罰則はなかったのですが、今も郵船の業務失敗の事例集に『カラジョージス事件』として載っています」。
先輩の成功談や武勇伝も良いのですが、失敗事例集はもっと後輩に役立ちますよね。役所には、失敗事例集を持っている所って、あるのでしょうか。普通は、失敗は隠すこととされ、記録に残らないのです。失敗を書いて残す組織は強いでしょう。私の個人的な失敗は、「明るい係長講座」に書きました。

何を捨てるか

友人とのやりとりで、「全勝は、夏休みといっても、出かけて遊ぶとかゆっくり何もしないとか、できないのか」と指摘されました。はい。どうも貧乏人で、ゆとりある遊び方を知らないようです。職場では、時間の使い方が上手だと自慢しているのですが、プライベートではだめですね。何もしない休日とか、旅行してのんびりなんかは、できないようです。間違いなく、原稿か本を持ち込みますね。くたびれて寝ていることは、しばしばありますが。
子供の時、若いときは、そうでもなかったような気がします。年を取ってからの方が、いろんなことに追われているようです。手を広げすぎですね。何かを切り捨てないと、虻蜂取らずになってしまいます。本棚といい、自由時間といい、まだまだ切り捨てないといけないようです。
といったことを考えていたら、15日の日経新聞「地球回覧」に、夏休みに食事中、傍らに置いた携帯電話+携帯パソコンに何度もメールが送られてくるアメリカ企業の役員の話が載っていました。「毎日、仕事なのか休みなのか区分けが難しい。寝るとき以外は、常に仕事に追われている気がする」。もっとも、この人たちは仕事に追われているのであって、私の場合は仕事ではなく、自分で好奇心、副業を広げているのです。そして、彼らは数年で巨万の富を築くのに対し、こちらはお金は使うばかり。全然違いますね。

 

文書整理=廃棄

29日の日経新聞別冊は「書類整理し、机すっきり」を載せていました。仕事の書類を分類すると、捨てられるもの5割、捨てられないが手元に置いておかなくてもよいものが3割、残った2割が手元に置いておいた方がいいもの、という「5対3対2の法則」を紹介しています。半年過ぎた文書を見る確率は10%、1年過ぎた文書を見る確率は1%という、アメリカ政府の調査結果も。
複写機のなかった時代を想像すれば、多くの文書(複製)は持つ必要がないですよね。鹿児島県の文書課長時代に、文書廃棄運動をしました。県庁から運び出した文書の量は、厚さにして(大きさを問わず)20キロメートルを超えたと記憶しています。皆さんの事務所でも、会計課に行って、年間のコピー用紙購入枚数を調べてください。膨大な量です。それと同じ分量を捨てないと、事務所はパンクします。職員が文書を見る時間は増えません。とすると、増えた文書は積み上げられ、化石となるのです。と書いていて、自らも反省。