「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

新型コロナ、催し物自粛要請の問題

8月14日の朝日新聞「変容と回帰 コロナ禍と文化」、野田秀樹さんの「文化は「共同体の礎」なんだ」から。

・・・新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言が初めて出されてから、今年で5年。未曽有のパンデミックで、表現やその伝達のうつわは変化を迫られ、自明と思われていた価値観や慣習が問い直された。文化芸術の姿は、コロナ禍を経てどう変わったのか。国内外で活躍する劇作家・演出家の野田秀樹さんのインタビューを皮切りに、連載形式で考えます・・・

―2020年2月26日、当時の安倍晋三首相がイベントなどの主催者への自粛要請を打ち出しました。「演劇界の2・26事件」と呼ばれるほど、関係者にとっては衝撃だったそうですね。

演劇人たちがどういう仕組みで食べているのか。それを知らない人たちが考えた要請だと思いました。
僕たちは、公演期間中に集中して稼ぐ、いわゆる季節労働者です。だから公演期間に劇場をしばらく閉鎖しろと言われたら、食べていけない。補償もなしに、簡単に「劇場を閉鎖しろ」なんておかしいという思いがありました。
4日後には、自分の舞台制作会社のHPで「公演中止で本当に良いのか」というタイトルの意見書を出して、感染対策をして観客の理解を得る前提で、予定された公演は実施されるべきだと書きました。

――5月には、苦境に立った演劇関係者が連帯し「緊急事態舞台芸術ネットワーク」を立ち上げました。

若いころから行動力だけはあるので、まず近しい人たちに呼びかけて集まりました。それが色んなジャンルの演劇関係者でつくるネットワーク発足につながりました。
自粛要請には、根拠もなかった。ネットワークでは、状況を把握するためにコロナ禍前後での演劇関係者の収入の変化や、感染防止に不可欠な劇場内の換気状況を調べて、政府に補償を求める声を届けました。

――結果的に、海外の補償に比べて、日本では手薄な印象でした。

文化というものがタダだと思っている人が多いのではないでしょうか。「好きでやっている人たちに、補償なんてしなくていい」という声も多かった。
僕がロンドンに留学していた1990年代前半、現地の経済状況はよくありませんでした。それでも、劇場街のウェストエンドを中心として、苦しいなかでも文化を支えている感じがありました。文化は簡単に利益が得られるものではありませんが、そこがしっかりしていないといろんなものが崩れてしまう。文化は「共同体の礎」なんです。

イギリス、民営化政策転換

8月11日の日経新聞に「英、民営化政策が転換に サッチャー主義見直し」が載っていました。
・・・英国の民営化政策が転機を迎えている。水道などのインフラ部門は投資不足でサービスが劣化し、鉄鋼をはじめとする製造業は地盤沈下が続く。サッチャー政権で世界に先駆けて民営化や自由化を推し進めた新自由主義の本家が官の関与を強める経済政策にかじを切る・・・

記事では、政策転換の例として、次のようなものが上がっています。
・水道や下水道の民営化で、十分な投資が行われず、サービスが低下しました。
・製鉄会社は民営化後、外資に売られ、廃炉の危機に。国費を投入することに。
・鉄道は、一部を再度国有化しました。
世論調査では、国有化支持は、水道が82%、鉄道が76%、エネルギーが71%でした。

民営化だからサービスが低下したのではなく、そのような規制をかけずに民営化・自由化したからでしょう。

国家目標を設定する政府

8月5日の朝日新聞オピニオン欄「お手本だった欧米?」、長谷部恭男・早稲田大学教授の「民主主義への総括は尚早」から。

・・・日本は欧米をお手本にしてきたのかと言えば、してきたと私は思います。そもそも明治に岩倉使節団が歴訪した先が欧米でした。戦後日本にも、欧米を目標とする発想は続いています。
そのお手本に揺らぎが見えてきたという意識が今あるとしたら、根っこにあるのはポピュリズムの台頭に対する警戒感でしょう。
とりわけ米国では、ポピュリズム的な人気に支えられたトランプ政権が違憲・違法な方法で大学をいじめており、近代立憲主義を守る防御壁になってきた制度を壊そうともしています。
しかし、民主主義は失敗から学ぶことができるシステムです。いま調子が悪いからといって米国の民主主義システムそのものをダメと総括できるものでは、おそらくないでしょう。
そもそも「民衆は政治的主体としてあてにできない」という話は、100年以上前に社会学者のマックス・ウェーバーも言っているものです。民衆ではなく少数のエリートが議論を方向付け、カリスマ的な指導者が民衆の鼻面を引き回すのが民主主義なのだ、と。
民主主義は昔からそういうものであったし、今もそうであるということです・・・

・・・近代国家には二つのモデルがあります。一つは政府が国家目標を設定して「ついて来い」と号令をかけ、達成された果実は公平に配る国家です。もう一つは、政府は国家目標を掲げず、どう活動するかは個人や企業に決めさせる国家で、新自由主義はこちらです・・・

長谷部先生のこの説明はわかりやすいのですが、私は、後者(どう活動するかを個人や企業に決めさせる国家)も、それを国民に示すことにおいて「国家が目標を設定する」ことだと考えています。「目標設定」という言葉が狭すぎるなら、「国家があるべき国の姿を示す」と言い換えましょう。

少数与党政権、熟議の場でなく支出の拡大へ

8月6日の日経新聞経済教室「参院選後の政権の課題」は、待鳥聡史・京都大学教授の「政治の安定回復が急務に」でした。

・・・2024年10月の衆議院選挙での議席減で、連立与党は衆院で過半数を割り込み少数与党政権となった・・・
・・・25年度予算が衆参両院での修正を経て24年度内に成立するなど、一見するとこの路線は一定の成果があったように思われる。しかしその修正は維新の支持を得るための教育無償化や、立憲民主が主張した高額療養費負担引き上げの凍結受け入れなど、もっぱら与党が一部野党の政策を受け入れ財政規律を無視することで実現したものであった。
少数与党政権の下では国会が「熟議の場」になるという楽観論もあった。だが実際に行われたのは、長期展望に基づく良き公共政策のための包括的で闊達な議論でも、理詰めの政策論でもなく、財源も効果も曖昧な支出拡大だったと評価せざるを得ない。
参院でも少数与党になれば、この傾向はいっそう強まるであろう・・・

このような識者の論考を、政治家は読んでいるのでしょうか。ほとんどの経済学者は、財源を考えない消費税減税を批判しています。学者たちも、無力を感じているでしょう。
そして、このようなバラマキ合戦の結果は、誰が責任を取るのでしょうか。

公文書の電子化が進まない霞ヶ関

7月28日の日経新聞「押印廃止でも残る紙文化 公文書電子化阻む霞が関の「仕事の流儀」」から。
・・改ざんや隠蔽などの不祥事をきっかけに政府が打ち出した公文書(行政文書)の電子化が進んでいない。方針を掲げてから7年が経過したが、今なお新規に作成・取得した文書の6割を紙が占める。民間への人材流出が止まらない霞が関にとって非効率さの代名詞とも言える「紙文化」の脱却は喫緊の課題だが、熱は一向に高まらない。

「政府全体の電子化率を引き下げているとの批判を受けかねない極めて深刻な状況にあると認識している」
法務省公文書監理官は2024年11月、同省幹部宛てに電子化の推進を求める通知を出した。通知には部署別の電子化率も記載し、「電子媒体で作成・取得したものを紙決裁しており、電子決裁システムの活用も図られていない」と苦言を呈した・・・

・・・政府が公文書電子化に本格的に乗り出したのは18年だ。南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽問題や学校法人「森友学園」を巡る決裁文書改ざん問題が相次ぎ発覚し、公文書管理の適正化の一環として打ち出した。
22年度には公文書の管理に関するガイドラインに「電子媒体による作成・保存等を基本とする」と明記。全省庁共通の新たな文書管理システムの整備も進む。
にもかかわらず、電子化は滞っている。内閣府の公表資料によると、23年度に新たに作成・取得した文書の電子化率は36.2%。保有文書全体では19%にとどまる。
省庁間の格差も大きい。デジタル庁や消費者庁などは保有する公文書の8割以上が電子媒体だが、法務省や厚生労働省は5%を割り込む。23年度に新規作成・取得した公文書で比較してもデジタル庁97.8%、消費者庁89.7%に対し、法務省10.6%、厚労省14.6%と差は歴然だ・・・

次のような指摘もあります。
・・・そもそも日本は国民共有の財産であるはずの公文書の存在を軽視する姿勢が目立つ。9割以上の文書は国立公文書館に移管されず廃棄される・・・