「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

一律削減と部門削減

役所にあっても企業にあっても、経費削減は永遠の課題です。組織の責任者は、費用を抑えるために、職員数や事務費、事業費を削減します。

本来は、無駄を削減すること、必要性の薄れた事業や部門を縮小廃止することです。責任者が自ら取り組めば、どこを削減するか合理的な判断ができるでしょう。そして、その結果に責任を持つことができます。
しかし多くの場合は、部下にそれを委ねます。命じられた部下は無駄を対象としようとしますが、それぞれに担当職員や関係者がいて、彼らはそう簡単には自らやっていることを無駄とは認めません。すると、個別事業や部門を削減するのではなく、「みんな平等に痛みを分かち合うことにしよう」となります。

その結果は、無駄の削減や不要な事業を判断して廃止するのではなく、全部門で一律の「縮小」になってしまいます。当初の目的とは違ったものになります。ある事業や部門を廃止すれば効果は明らかです。しかし、一律に削減すると、予算額は減っても、各担当の業務は減らないのです。
さらに職員たちは、通常業務のほかに、この「削減作業」に時間を取られます。新しい仕事に取り組む余裕もなくなり、組織に活力がなくなります。こちらの影響は数値化できないのですが、この悪影響は大きいでしょう。

他方で、必要なところに資源を投入することも、されません。
その判断ができる責任者が指揮を執らず、部下や組織に任せると、このようなことが起きます。役所に限らず企業でも「官僚制の欠点」です。

各自治体の防災対策

時々このホームページで取り上げている「自治体のツボ」。「よく調べてあるなあ」という記事が多いです。9月2日は「防災の日のNHKニュースベスト3」でした。

・・・NHKは各局が実に様々な取り組みを紹介している。この一覧をみるだけで、色々な訓練があるものだと唸らされてしまう。
今日はNHKサイトのニュースを掘り出し、どんな防災訓練があるか紹介。1日に合わせた防災関連ニュースでユニークなものも拾った。当ブログ的ベスト3は①ドローンの効果がわかる福島②トイレは大事で徳島③防災ベッドがわかりやすい栃木・・・

私は、徳島局の「阿南市が平時は公用車とするトイレカー導入。車内に個室タイプの洋式トイレを2台設置」が興味深かったです。
災害時のトイレの必要性はかなり認識されてきました。トイレカーも導入されているのですが、ふだん使わないので、費用対効果が問題です。その点、この形なら、災害時だけ転用すれば良いのです。考えましたね。

自民党と官僚の協働の揺らぎ

8月18日の日経新聞経済教室、五百旗頭薫・東京大学教授の「政官の知恵を生かす体制とは」から。

・・・1990年代に自民党は下野し、一連の政治改革が行われた。小選挙区を中心とする選挙制度を衆議院に導入して政権交代の可能性が高まり、また首相・官房長官と官邸官僚のチームによる官邸主導でトップダウンの統治が可能となった。
だがこれまでのところ、自民党または自民党を中心とする政権が長く続いている。選挙制度の影響で野党が分裂しやすいことに加え、自民党の党内ガバナンスが野党よりも相対的に強固で、首相の性格と状況に応じて「与党事前審査制型」と「官邸主導型」の2種類の政官ミックスを使い分けられるからでもある。これを戦前とは形を変えた一国二制度と考えれば、その慣性は実に強いといえる。

ところが今、一国二制度の脈動が停止し、凍りついたかのような感覚がある。一国二制度の前提が揺らいでいるからではないか。
第1に、エリート間の信頼が弱体化している。既成エリートを激しく批判する新しい政党が台頭し、自公は衆参両院で少数与党に転落した。第2に、官僚の統治能力の優位が縮小した。予算と人手が削られ疲弊している上に、急拡大中のデジタル経済ではプラットフォーム企業の持つデータとノウハウにかなわない。
第3に、文明化の内実が変容している。インターネットで情報が大量に生産・拡散され、私たちの深く理解して覚える努力と確実な典拠で確認する意欲とを圧倒しがちだ。文明の理性的側面が空洞化しつつある。

第1の変化に対しては、正確な将来見通しをもとに、世代間で公平な負担を求めることでエリートへの信頼を回復すべきである。
第2の変化に対しては、官邸への忖度と国会対応から官僚を極力解放して中立性を高め、官民人事交流による民間の人材・知識の吸収を促すべきである。既存メディアがこれらの動向を冷静に論評・報道することが、第3の問題への対応となろう。

いずれも即効性はなく、ポピュリズムが一度勝利する時が来るかもしれない。ただ私は、一国二制度がまた本能的に脈打ち始める時も来ると思っている。その時に向けて、ポピュリズムに不安を抱く国民の受け皿として、先述した3つの柱を備えた政治社会を用意しておいたほうが心臓によかろう・・・

イギリス政党の混迷

若松邦弘著『わかりあえないイギリス 反エリートの現代政治』(2025年、岩波新書)を紹介します。議会制民主主義、そして二大政党が交代で政権を担う「手本」とされるイギリスで、大きな変化が起きています。戦後は、保守党と労働党の二党が、支持基盤もはっきり分かれ、政策も多くの点で共有しつつ対抗してきました。ところが、支持基盤が揺らぎ、また二大政党が有権者を分け合うことも崩れつつあります。

かつては、二大政党は、経済的な社会勢力の違い、階級を代表していました。そこに、第2の軸として、保守とリベラルという社会文化的な対立が出てきているのです。二大政党の指導者たちエリートに対する、地方からの反感が出ているようです。事前の予想を裏切った、EU離脱がその象徴です。そして、社会の分断が大きくなっています。その一つの要因が、移民の増加です。イギリス政治のこの20年の動きは、そんな簡単なものではないのですが。詳しくは、本をお読みください。近藤康史著『分解するイギリス―民主主義モデルの漂流』(2017年、ちくま新書)も、よかったです。

私は、連載「公共を創る」の執筆で、近年の日本の政治、行政、経済、社会の停滞を論じていて、いまはちょうど政党を書いているところです。
アメリカはまだ二大政党が頑張っているようですが(とんでもない主張をする大統領が選ばれていることはさておいて)、西欧諸国では21世紀に入ってから、従来の政党地図が書き換わり、有権者の意識も大きく変化しているようです。

それを見ると、イギリスの変化も、日本の政党の諸課題も、同じような歴史の流れにあるのかもしれません。社会の変化で、二大政党制を目指すことが難しくなっているのでしょうか。そうだとしても、日本の各政党は、どのような社会集団を代表して、どのような社会を目指しているのでしょうか。その点で、イギリスの各党は、支持者獲得・拡大のために、政策を練り、他党との違いを際立たせています。また、地方組織、地方議会を通じて、支持者を獲得しようとしています。日本の政党には、その努力が見えないのです。

研究開発投資の低迷が成長停滞の要因に

8月14日の日経新聞経済教室、岡崎哲二・明治学院大学教授の「積み残した技術立国の課題」から。

・・・一方、90年代以降、産業政策の性格は大きく変化した。これには3つの背景があった。
第1は米国からの外圧である。80年代、経常収支赤字と製造業衰退に直面した米国は日本の産業政策、特に個別産業を対象とする産業政策を批判した。89年に始まった日米構造協議・日米包括協議では米国は日本の経済システム全体に批判対象を拡大した。
第2は91年のバブル崩壊に始まる経済停滞の長期化である。長期停滞から脱却するため、米国からの批判とは別に、日本でも何らかの経済構造改革の必要性が認識されるようになった。
第3は日本経済の成長のステージに関する認識である。通産省の審議会による80年の「80年代の通産政策ビジョン」はすでに日本の1人当たり国民所得が欧州共同体(EC)諸国平均を超え、世界のフロンティアに到達したことを指摘した上で、今後は新しい成長パターンに進む必要があるとする認識を示した。

これら3つの事情を背景に90年代以降、通産省・経済産業省による産業政策は個別産業に対する政策介入から規制改革・経済構造改革に重点を移した。基本的な考え方は市場の機能を制約する規制を撤廃するとともに、市場を補完する制度を導入して市場の機能を高め、それにより新たなパターンの経済成長を軌道に乗せるというものであった。
注意すべきことは、市場機能重視の一方で、技術革新・イノベーションに対する政策的な支援の必要性は一貫して強調されてきた点である。「80年代の通産政策ビジョン」は新しい成長のスローガンとして「技術立国」を掲げ、研究開発費の増額と、研究開発費における政府負担割合の引き上げを提言した。
技術革新の促進はその後の「成長戦略」においても強調され、今日、経産省が掲げる「経済産業政策の新機軸」でも、人工知能(AI)等の新技術の発展を前提に、その1つの柱として取り上げられている。

しかし、現実はこれら一連の政策文書が目指した状態と異なっている。。図2は旧総理府・総務省が1950年代から調査してきた日本の研究開発費をGDPデフレーターで実質化した値(対数軸)、および研究開発費のうちの政府負担部分の比率を示す。
興味深いことに、研究開発費の動きは図1の1人当たり実質GDPの動きと軌を一にしている。すなわち経済成長が停滞した90年代以降、実質研究開発費もまた停滞的となった。さらに「80年代の通産政策ビジョン」が政府負担割合の引き上げを提言した直後の80年代前半、政府負担割合が逆に大きく低下し、その後も回復していない。

この「ビジョン」には、「追いつき型近代化の100年が終わり、80年代からは未踏の新しい段階が始まる」という印象的な一文がある。1956年版「経済白書」の「もはや『戦後』ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」という文章を想起させる。いずれも経済成長の新しいステージに足を踏み入れるにあたって、政策当局の決意を表明し、国民の自覚を促したものである。

1950年代以降の日本は見事に近代化の課題を達成した。一方、90年代以降の日本は認識されながらも30年以上にわたって達成されない課題を抱える。戦後80年を迎えた現在、日本はこの課題に本格的に取り組む必要がある・・・

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