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社会

紛らわしい活字

先日の経験です。ある手続きをすることがありました。会社から、「パソコンかスマホか郵送で手続きしてください」と郵便で連絡が来ました。
パソコンが便利なので、挑戦しました。ところが、入るべき画面のURLがとても長いのです。アルファベットの大文字小文字、数字、符号が並んでいます。電子メールでこの通知が来たなら、それをコピペするのですが。紙で通知が来ているので、手で入力します。

困ったのは、Il1の3文字です。この3文字のうち、1文字目と2文字目が何か分かりますか。Lの小文字か、iの大文字か分かりませんよね。字が小さいと、3文字目が数字の1であるかも分かりにくいです。何回か変えてみて挑戦しましたが、だめでした。
正解は、1文字目がiの大文字、2文字目がLの小文字です。
仕方ないので、メールで問い合わせて、URLとパスワードを、電子メールで送ってもらいました。

そのあと、別の案件で、英数を並べる必要がありました。担当職員が、Ili1が入った案を作ってから、自ら「これは分かりませんね」と言って、ほかの英数に変えてくれました。
7と1も、手書きだと区別しにくいです。ヨーロッパでは、7に横棒を足して書くことが多いですよね。
いまさらアルファベットを変えるのは難しいのでしょうが、将来のことを考えると、区別できるようにした方が、間違いが起こらないと思います。

日本人は助け合いが嫌い

9月26日の朝日新聞の論壇時評に、紹介されていたので、インターネットで読みました。坂本治也関西大学法学部教授の「日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実 そして背後にある「政治嫌い」の意識」(『現代ビジネス』)

・・・2011年、東日本大震災が発生した直後、被災地の支援・復興のため、多数のボランティアと多額の寄付金が日本全国から集まった。自然と湧き上がった人々の助け合いの気持ちに、激しく心を揺り動かされた人は決して少なくなかったはずだ。あの時、私たちは「やっぱり日本人には、強い助け合いの精神があるんだ!」と再確認できたような気になっていた。
しかし、それは一時的な熱狂にほだされる中で目にした「錯覚」だったのかもしれない。国際比較の観点から見れば、平時において「日本人に強い助け合いの精神がある」とは言い難い。むしろ現状では、「困っている他者に冷淡な日本人」と言った方がより正確なのかもしれない・・・

・・・イギリスのNPOであるCharities Aid Foundationが公表したWorld Giving Index 20181というレポートでは、寄付やボランティアの頻度を基に世界各国の「共助」レベルのランキングが示されている。調査対象となった世界144カ国の中で、日本の順位は128位である。先進国として最低ランクに位置する。
同レポートの調査では、過去1ヶ月の間に、(1)困っている見知らぬ他者の手助けをした者の割合、(2)慈善団体に寄付した者の割合、(3)ボランティア活動に時間を割いた者の割合、が各国ごとに調べられている。日本の割合は、(1)=23%(世界142位)、(2)=18%(99位)、(3)=23%(56位)である。とくに(1)と(2)が他国と比べて低調といえる(図1)・・・
・・・同様に、内閣府が2018年に実施した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」2では、日本を含む7カ国で13〜29歳の若者を対象に「ボランティア活動に対する興味」の有無を尋ねているが、日本の若者のボランティア意欲は調査対象国の中で最も低いことが明らかとなっている(図2)・・・

・・・これらの分析結果から、政治に対して不信感をもち、政治から距離を取りたがる人ほど、NPO・自治会・寄付・ボランティアなどの「共助」活動からも遠ざかろうとする傾向が確認できる。そこからうかがえるのは、「政治嫌い」が「共助嫌い」を助長してしまっている可能性である。政治によって毀損されてしまった「公共」のイメージが、「新しい公共」である「共助」活動にも投影されてしまっている恐れがある・・・

この説に同感です。「政治は「彼ら」がするもので、私たちには関係がない」という意識が、社会の問題に自発的に参画しないことにつながっています。税金を公共を支えるための会費と考えるのか、国に取られるものと考えるのか。その違いが出てきます。
マスコミはしばしば、政治を批判し、おとしめるような評価をします。それは、国民の政治離れを後押しします。政治は「彼らのもの」として批判するのではなく、「自分たちが作るもの、彼らはその代理」という意識が必要です。
いま連載している「公共を創る」でも、その点を議論する予定です。

スマホの副作用

先日ある新聞で、ガラケー(携帯電話)を、スマートフォンに買い換えるかが、議論されていました。ガラケーがよいとする意見と、スマホがよいとする意見とが並んでいました。
この議論を読んでいて、「大きな忘れ物をしていませんか」と、言いたくなりました。スマートフォンにはインターネットにつながる便利さがあります。その点を比較したら、スマートフォンに軍配が上がるでしょう。でも、スマホには、大きな欠点、副作用があるのです。

9月25日の日経新聞夕刊に「中高年も脱ネット依存」という記事が載っていました。
・・・スマートフォンの使いすぎで日常生活に支障が出る例が、子どもや若者だけでなく中高年の間でも増えつつある。スマホ依存をやめたいと思っている人を支援するため、専門外来を設ける病院や講習を実施する企業も出てきた。プライベートに加え仕事でもスマホを使う機会が多くなりがちな中高年。医師は「深刻であれば専門の医療機関を受診してほしい」と呼びかけている・・・

・・・「仕事が手につかない」。神戸大病院(神戸市)を受診した40代の男性会社役員は職場でも仕事と関係のないことでスマホを操作し続けてしまい、次第に長期の経営計画を立案するのが難しくなっていった。部下から「人が変わったようだ」と言われ、ショックを受けて受診したという。
スマホへの依存で多いのは、自らの意思でネットやゲームの利用時間をコントロールできなくなる「ネット依存症」。そんな患者に対応しようと、同病院は18年5月にネット依存症を専門に扱う外来を新設。患者はこれまで子どもや若者が多かったが、19年から中高年の患者の受診が目立つようになった・・・

横に置いてあれば、ついつい見てしまいますよね。この記事にあるほど中毒にならなくても、仕事に差し障りがあったり、このホームページで取り上げているように周囲への気配りができなくなるのです。
このスマホの弊害が怖いのです。「君は間違っていない、しかし

日本の社会の仕組みを変える

NHKウエッブニュースの、小熊英二さん「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」が参考になります。画面で読むには少々長く、私は紙に印刷して読んでいます。

・・・2019年7月に出版した本では、終身雇用や年功序列といった雇用慣行をはじめとした日本社会の構造を、雇用、教育、福祉の観点から横断的に分析し、解き明かしています。小熊さんは、「今の社会は、1970年代の仕組みのままで、もうもたなくなっている」といいます・・・

・・・「どのポジションから見るかによって、全然見え方の違う30年」だったと思いますね。日本社会の約26%に当たる、大企業の正社員や官庁勤めの人から見れば、「変わらなかった時代」。ただ、それ以外の人たちにとってみれば、かなり大きな変化があった時代だと思います。
最近書いた『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』という本で、私は現代日本での生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3つの類型に分けて説明しました。
「大企業型」は、毎年、賃金が年功序列で上がっていく人たち。大学を出て大企業の正社員や官僚になった人などが代表です。「地元型」は、地元にとどまっている人。地元の学校を卒業して、農業や自営業、地方公務員、建設業などで働いている人が多いです。「大企業型」は、所得は多いものの、長時間労働や通勤時間が長く、地域社会につながりが薄い人が多い。「地元型」は、所得は比較的少ないものの、地域コミュニティーを担い、持ち家や田んぼがあったり、人間関係が豊かだったりします。
ただ、平成の時代に増加してきたのが、所得も低く、人間関係も希薄という「残余型」。都市部の非正規労働者などがその象徴です。

これらの3つの類型を先行研究などをもとに2017年のデータで推計したところ、「大企業型」が約26%、「地元型」が約36%、「残余型」が約38%となりました。
このうち「大企業型」の割合は1982年から2017年までほとんど変化がなかったのです。日本社会の約26%にあたる「大企業型」の人たちの雇用形態や働き方は70年代初めに完成した「社会のしくみ」です。平成は、大枠で言えば、国際環境が大きく変わる中で、この「社会のしくみ」を無理にもたせてきた時代だったと言えると思います・・・

・・・70年代後半から80年代は、日本は、いわば今の中国みたいな位置にありました。つまり、世界の工場です。しかも当時は東西冷戦のさなかでしたから西側陣営の工場です。冷戦が終わると、その日本の地位は失われていくことになりました・・・

・・・日本は近代化が遅かった国だったので、先進国に比べてソーシャルキャピタル(地域のつながりや人間関係)がとても豊かでした。だから、行政は方針だけは出すけれども、地域のことは地域で、業界のことは業界でやってくださいという、そういう姿勢でやってきたからでしょう。
これまでの日本は、非常に安上がりな国家だったと思います。地域社会の力にあぐらをかいて、行政職員を増やさないでやってきた。なんでそんな安上がりな国家が築けたかと言えば、遅れて近代化したがゆえに、地域社会の関係が多かったからだと思います。自治会長か中学校の先生に聞けば、その地域のどこの家族が貧困であるか、おおかたわかる。つい最近までそういう社会でした。
ところが、それがもたなくなってきました。地域社会を支えていた自営業の人々、具体的には町内会や自治会や商店会を担ってきた人々が、高齢化するか、非正規雇用に移動している。そうなれば、地域のつながりは希薄になります。そうなると、行政が自治会や業界団体に方針を示しても、地域の末端や業界の末端まで、それが行きわたらなくなりました。私は、基本的には、他の先進国の基準程度には、公務員を増やさないとこれからもたないと思います・・・

私は、連載「公共を創る」で、同じような趣旨で、日本社会の変化とその対応に遅れている行政や日本人の意識を指摘しています。平成時代が、その曲がり角でした。10月から掲載される「第1章3(4)変貌した社会への対応」が、この小熊さんの主張と重なります。

公衆の場でのスマホ操作、両耳イヤホン

丸ノ内線の新しい決まり」の続きです。

このページでも何度か書いていますが、歩きながらのスマホの操作、電車の出入り口でのスマホの操作は、やめて欲しいです。出入り口で仁王立ちで操作をされると、他の人が通れません。「歩きスマホを禁止する

日本は「おもてなしの国」という説がありますが、とんでもありません。周囲への気配りができない人が多いのです。自分が通路をふさいでいること、乗り降りの邪魔をしていること、背中の鞄が邪魔になっていることに、全く気がついていません。

最近、さらに困ったことが増えました。両耳をイヤホンでふさいでいる人です。
オーディオ会社が、「このイヤホンで、通勤途上もあなた一人の世界になることができます」という趣旨の宣伝をしています。
とんでもない主張です。自宅なり、喫茶店なり、電車でも指定席なら、一人の世界に閉じこもってください。でも、公衆の通路で、自分だけの世界に浸っては困るのです。

しかも、緊急の要件を処理しているなら、周囲も理解するでしょう。でも、多くの人は、ゲーム、ドラマ、漫画、サイトのサーフィンのようです。「公衆の場で、そんなことをしては恥ずかしい」というしつけの世界です。親が教えることができないので、世間みんなで教える必要があります。