カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

市場を機能させる政府の役割

青木昌彦先生の『青木昌彦の経済学入門―制度論の地平を拡げる』(2014年、ちくま新書)から。この本は、先生の制度論の入門書になっていますが、それについては別途書くことにして。ここでは、2000年に行われた、フリードマン教授との対話から。
・・社会主義体制が崩壊した時、ロシアは、国営企業を民営化し、市場の自由化に踏み切りました。しかし、ロシアの経済改革は難航し、10年間で国民総生産(GDP)が約40%も低下しました。失敗の原因は明らかです。市場経済においても、政府には果たすべき重要な役割があるのです。ロシアでは政府が契約や知的財産権の保護という基本的な機能において無力となり、マフィアがそれにとって代わりました。
20世紀後半の10年から導き出される重要な教訓は、政府も市場機能を高める重要な役割を担っているという点にあります・・
政府の役割を、私なりに再検討したことがあります。「行政構造改革」。経済学の教科書は、このようなことは書いてありません。政治学や行政学の教科書も、触れていません。時間ができたら、もう一度挑戦します。そのために、本を読んだり、メモを作ったりしているのですが・・。
復興における政府の役割の変化も、その一つです。宗教との関わりも、そうです。社会の変化によって、公助の範囲が広がりつつあります。「社会のリスクの変化と行政の役割」。他方で、公の担い手が広がっている(政府の独占ではない)ので、旧来の行政の役割(の観念)は、変更を迫られています。

敗戦国への支援、戦後を設計する責任

5月17日の朝日新聞オピニオン欄、ジェフリー・サックス氏の「国家の対立を超えて」から。
「教授は1991年のソ連崩壊後のロシアの資本主義化や新しい国づくりに、ロシア政府の経済顧問として関与しました。現在のロシアの『製造者責任』があるのでは」という問に対して。
・・たしかに私はロシアを支援すべきだと考え、国家再建に関わりました。ところがその困難な時代のロシアを、米国はじめ西側は十分に支援しなかった。これがロシアの西側への不信感を生んだのです。1990年代、ロシアは経済的に追い詰められていました。インフレに苦しみ、外貨もなかった。私は負債の支払い猶予や金融支援を米国政府などに提案しましたが、受け入れられませんでした。理由はよくわかりませんが、敵対視していたことや自国の財政負担が大きいこと、大統領選挙への影響などを考えた結果でしょう・・
「体制変革の夢はなぜ、ついえたのだと思いますか。新しい秩序をつくるのは難しいのでしょうか」という問に対して。
・・第1次大戦後、戦勝国は敗戦国のドイツに多額の賠償を求め、厳しくあたりました。経済学者のケインズは、勝者が敗者を痛めつけたら、将来さらに深刻な政治問題に発展するだろうと警告したのですが、残念ながらそれは(第2次大戦という形で)現実化した。言いたくないのですが、米国が当時のロシアを支援しなかったのは間違いでした。これが米ロの溝を深めてしまいました。
ですから、もし現在のロシアの「製造者責任」があるとしたら、当時のブッシュ大統領でありクリントン大統領です。西側がもっと賢明な対応をしていたら、現在のような関係にはなっていなかったでしょう・・
ソ連が崩壊し、ロシアが市場経済を導入しようとしたときに、西側諸国は、ロシアに市場経済を導入するための「教師」を送り込みました。しかし、その際の混乱、その後の経済困難を十分に支援しなかったようです。
第1次大戦後の処理の際に、ドイツに過酷な負担を求め、それがヒットラーの台頭を許したとの反省があります。それを踏まえて、第2次大戦後は、戦勝国特にアメリカが敗戦国を支援しました。日本と西ヨーロッパです。その例と同様に、旧共産主義国を経済的にもっと支援する枠組みもあったでしょう。東西冷戦での「敗戦国」への支援です。そうすると、ロシアなどのその後は、違った結果になっていたでしょう。歴史上のイフです。
冷戦に勝ったことを持って良しとするのか、自由主義と資本主義を導入するための支援をするだけでなく、経済立ち直りまでを支援するのか。勝者には、(敗者への支援を含めて)次の世界を設計する責任が生まれます。それは、国際政治だけはありません。

野党の役割、3

・・複雑化し、多様化した世界をどう読み解くか、政党間での論争をますます活発化していかねばならない。他方、成長を見込めない以上、内政をめぐる選択肢は狭まっている。
アメリカの影響力に陰りが見られ、中国が台頭する東アジアにおいて、いかに日本の発展と安全保障を確保するか。そして、どのように財政と社会保障を再建するか。世界をめぐる有効な見取り図を示すとともに、21世紀における日本の社会像を示すことが与野党の最大の任務である。
当然、一筋縄ではいかない。利害はぶつかり合い、特定の政策課題にのみ目を向ければ、他の政策課題と矛盾をきたす。政党はなるべく多様な声に耳をすまし、矛盾や対立を調整する大きなデザインを描かなければならない。そして、そのような大きなデザインが複数あり、それを国民が選べるようにしなければならない。
いずれの政党も自らが政権に就くときに備え、世界と日本の整合性のある見取り図を作り続けることが肝心だ・・

野党の役割、2

・・かつて自民党の1党優位が続いた時代、野党の役割はもっぱら政権を批判することにあった。平和と民主主義の名の下に、野党が原理的に政権政党をチェックする一方、具体的な政策変更は、かなり立場に幅のある与党内部の諸派閥から首相を出すことで実現した。それはそれで、よくできた仕組みであった。
ただし、その大前提には、米ソの冷戦構造と高度経済成長があったことを忘れてはならない。政治経済体制をめぐる明確な対立がある一方、成長の果実を日本社会全体に配分していくことが重要な課題であった。そのような時代に適合していたのが、自民党1党優位下の与野党関係であった。
これに対し現在、世界をめぐる情勢は複雑化を極めている。経済的利害に、ナショナリズムや宗教的対立が加わり、単純に白黒を決められないのが現状である。その一方で、日本国内では少子高齢化が進み、財政危機が深刻化している。成長の果実を配分するどころか、いかにリスクと負担を国民間で配分するかが、緊急の課題である。
だとすれば、そのような時代に適合した政治の仕組みを作っていくしか道はない・・

1914年と2014年の類似

第一次世界大戦が始まった1914年から、今年で100年です。第一次世界大戦を振り返る企画がされるなあと思っていたら、実世界が1914年に似てきたという指摘が出ています。例えば、日経新聞経済教室4月16日、中西寛京大教授「第1次大戦前、不吉な相似」。わかりやすい解説が、東京財団に載っていました「欧州とアジアにとっての1914年と2014年」。
それらが指摘する要点、そして現在にもある程度共通する点は、次のようなものです。
・当時、国際貿易が拡大し、相互依存が高まったのでもう戦争は起こらないと識者は考えていたのに、貿易量の多い英独の間に戦争が起きたこと。
→現在も国際化が進展し相互依存が進んでいるが、それだけでは、戦争を防ぐことはできないのではないか。
・関係国の誰もが、そんな大きな戦争を望まなかったのに、世界大戦になってしまったこと。
→意図せざる戦争は、起きる可能性がある。
・当時のドイツと同様に、中国が覇権国に挑戦する経済力をつけつつあること。
→近年、アメリカの覇権が揺るぎだしている。
・イギリスの覇権が揺るぎだし、次なる覇権国になるアメリカに、まだその用意がなかったこと。
→現在は、経済大国中国の国際社会での役割と意図が、不明確である。
・現在のロシアと中国は、西欧各国と違う政治体制・政治哲学にあること。
→西欧先進国の国内政治と国際政治は21世紀に入っているが、他方で19世紀の状態にいる国がある。
→各国は今もなお、国際関係(世界の常識や評判、理想)よりも、国内事情(政権基盤、力学、世論)で行動する。
・クリミアでのロシアの振る舞いが、力による国境変更を実績にしてしまったこと。
→東ヨーロッパだけでなく、アジアも不安定さを増している。

さて、この不安定を、人知によって制御できるか。2008年の世界金融危機は、各国の協調によってある程度押さえ込むことに成功し、1929年の世界恐慌の再来にはなりませんでした。世界金融危機と国際政治(国家間紛争)の危機は、ともに統一権力(世界政府)がないことによって生じ、増大し、制御が難しいです。国際金融や国際経済の場合は、カネという「共通言語」と経済という「共通利害」があるので、国際紛争より話が簡単だとも言えます。
それに比べ、国際政治では、表(公式の場)での議論や発言と、裏(密室)でのやりとりに大きな違いがある場合があり、また裏での発言も本音とは別の場合もあります。それが「政治的」であるゆえんです。