カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

復興事業の教訓、集落の集約

日経新聞、大震災復興事業の検証。町の復興」の続きです。

今後の大災害の際に町の復旧に際して検討すべき課題は、ある街並み(集落)をどの規模で復旧するのかということのほかに、いくつもある集落をそのまま復旧するかということがあります。前回紹介した玉浦西地区は、集約した成功例です。
移転には、困難な判断が伴います。それぞれに思い入れのある土地で、田畑やお墓もあります。また、働く場をどうするかも課題です。その点で「もう少し工夫できたのではないか」という場所があります。三陸沿岸の漁業集落です。

入り組んだリアス式海岸の入り江ごとに、漁港と集落があり、その先に漁場があります。今回は、その集落ごとに、それぞれ近くの高台に移転しました。漁港と漁場がある以上そこを離れられないと、私も考えました。
ところが、それぞれの集落は小さく、学校や商店、病院がありません。車で町の中心まで行くのです。そのような集落が維持できるかどうかは、後継者がいるかどうかによりますが、10年後20年後に続いているか心配です。
発想を転換すれば、漁港と漁場はそのままにして、住宅は町の中心に移転する方法があったと思います。漁師さんには、町の中心の自宅から漁港に通ってもらうのです。道路が整備されたので、1時間もかからずに漁港に行けるでしょう。

漁業でなく勤め人の集落なら、さらに移転は容易だと思います。子育て中の家族にも、買い物をするにも、病院に行くにも、その方が便利です。田畑が元の集落近くにある方にも、車による「通勤」ができると思います。この項続く

日経新聞、大震災復興事業の検証。町の復興

日経新聞の大震災復興事業の検証、2月10日の第3回は町の復旧でした。「東北被災地、かさ上げ造成の3割空き地 旧時代の復興が壁

「町の復興計画が大きすぎて、空き地があるではないか」という批判については、「復興事業の教訓、過大な街づくり批判」に、随時計画の見直しをしたけれど、それでも空き地が出ている理由を説明しました。
その背景にあるのは、人口減少下での復旧のあり方です。「復興事業の教訓、過大な防潮堤批判」に、「町が縮小するときに、各種施設を元の大きさで復旧するのが良いか、が問われると思います。それは、防潮堤に限らず、道路、学校、農地などにも当てはまると思います」と書きました。

広がっていた町(集落)を集めて再建した事例として、次の2つが参考になります。
宮城県女川町は、町の中心部をかさ上げして、商店や学校などを集約しました。
宮城県岩沼市玉浦西地区は、沿岸部にあった6つの集落を内陸の一か所に集めて移転しました(資料の5枚目を見てください)。既にある集落の隣につくったので、学校や商店もありました。この項続く

ところで、災害公営住宅3万戸、宅地造成1.8万戸がしばしば取り上げられますが、このほかに15万戸が支援金を受けて自力で再建しています。

日経新聞、大震災復興事業の検証。産業復興

日経新聞の大震災復興事業の検証、2月9日の第2回は産業復興でした。「水産加工の沈下やまず 津波被災地「空白」埋める挑戦

今回の災害復旧復興政策での大きな項目の一つが、産業なりわいの再建支援です。以前の災害では、事業の再建は事業者の自己責任でした。今回、町での暮らしを再開するために、そして地域のにぎわいを取り戻すために、産業再開に国費を投入しました。商店がないと暮らすことができず、勤め先がないと失業します。仮設店舗や工場の無償貸し出し、グループ補助金、二重ローン対策、人とノウハウの支援などです。

これらの支援策も、当初から全体像を持って行ったものではありません。そのときそのときに必要なものを考え、政策として作り上げたのです。従来の「哲学」を変更するには、それなりの理屈が必要です。グループ補助金も、当初は地域の主たる産業を再建するという趣旨(縛り)でした。その後、その条件を徐々に緩めました。
施設設備を復旧しても売り上げが戻らない事業もあり、大企業から人とノウハウの支援をもらいました。これらの支援策を積み上げ、産業なりわい支援を復興の大きな柱の一つとしたのです。参考「復興がつくった新しい行政

これは画期的なことで、関係者からも高く評価されました。ただし、いくつかの課題も見えてきました。
まず水産業では、サンマや鮭といった魚が捕れなくなり、困っています。
グループ補助金では、復旧を目指したので、環境の変化や事業の進化を織り込むことができませんでした。変化の激しい現在の事業環境では、先を読むことも必要なのでしょう。しかしそれは難しいことです。
公共インフラの復旧は、行政が主体になって行うことができますが、産業となりわいは、主体は事業主です。支援はできても、判断は事業主にかかっています。この項続く

日経新聞、大震災復興事業の検証。予算総額

2月8日の日経新聞1面に大きく「震災10年、空前のインフラ増強 予算37兆円超」が載っていました。「東日本大震災10年 検証・復興事業①」とのことです。
・・・3月11日で東日本大震災発生から10年となる。地震と津波に加え、原子力発電所事故まで起きた未曽有の複合災害に対し、政府は37兆円超の予算を投じ復興を進めてきた。前例のない手厚い支援は功を奏したのか。復興事業を検証する・・・

大震災から10年が経つことで、各紙が検証記事を書いています。良いことです。政府が取った政策がよかったか、どこに問題があったかを、調べてください。そして、今後の教訓として欲しいです。
この記事が取り上げている、予算総額とその使い道も、検証対象の一つです。それぞれの事業は必要性があり、無駄には使われていません。その点では、会計検査では適切でしょう。その上で、次につなぐ教訓として、次のような視点を指摘しておきます。

東日本大震災では当初、どれくらいの復興復旧予算がかかるかわかりませんでした。被害総額は試算されましたが、それが政府の復旧事業対象となるわけではありません。インフラはどの程度復旧するのかの判断があり(今回は復旧以上に、復興道路が造られました)、がれき片付け経費、高台移転経費、産業復興支援などは推計の外だったでしょう。

復旧復興事業を進めて行くにつれて、予算額が確定していったのです。いわゆる積み上げです。
他方で、当初見込みで予算総額が仮置きされ、財源が手当てされました。復興増税を国民にお願いし、政府が保有する日本郵政の株式売却益を当てることとなりました。ひとまず必要な財源を、財務省は手当てしてくれたのです。その後の事業費増加についても、それぞれ財源手当てをしてくれました。だから、これだけの事業を実施することができました。

予算を使って行う事業である以上、予算額が上限になります。そしてそれは、財源裏打ちが必要です。次回このような大災害が起きたときに、この総額と財源をどう考えるかが、一つの要素となります。そして、予算額が無限でない限り、事業に優先順位を付けなければなりません。
それぞれの事業は必要であっても、どれを先にするか、あるいはどの事業はあきらめるかです。
東日本大震災では、その時点その時点で必要性を判断しました。走りながら考えたのです。それを積み上げたのが、この結果です。もし予算額に限りがあり、その中から選べと言われると、市町村長はたぶん、被災者支援、住宅再建、産業再開を優先し、インフラ復旧についてはその中で優先順位を付けると思います。
また、各集落を元に戻すのか、他の方法をとるのかなども、検討されるでしょう。これについては、別途書きます。この項続く
参考「復興事業の教訓

自治体の対口支援

2月1日の日経新聞「東日本大震災から10年、災害支援 自治体連携進む」が、よい解説をしていました。

・・・2011年の東日本大震災では関西広域連合の7府県が支援先を分担して責任を持つ「カウンターパート支援(対口支援)」を始めるなど、地方自治体の組織的活動が注目され「自治体連携元年」とも呼ばれる。それから10年。広域連携支援は地震から風水害にも広がり、国も18年に自治体の対口支援を制度化した。しかし大きな被害が想定される首都直下地震や南海トラフ地震への支援体制は曖昧なままで、事前の備えが急務だ・・・

自治体による被災自治体支援は、東日本大震災で大きく進みました。この記事にも書かれているように、特定自治体が長期的に継続して支援してくれると、ばらばらな人が短期間に来てくれるより、はるかに効果が大きいです。これは、個人ボランティアより、組織ボランティアであるNPOが被災者支援の際には効果を発揮することと、並べることができます。また、支援した自治体も、勉強になるのです。
記事には、課題とその後の充実も書かれています。