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講演

同友会シンポジウム

今日は、経済同友会の「シンポジウム」に出席するため、盛岡に行ってきました。全国の代表幹事さんら250人が、集まってくださいました。同友会は、毎年この時期にこのような催しをし、現地視察もしてくださっています。また、これまで多くの支援をしてくださっています。
基調セッションは「今後の復興に向けた官民の役割・連携について」でした。私が基調報告をして、討論をしました。昨日、官邸で「4年間の実績と課題」を報告したので、それを使うとともに、住宅工事が進むと、次の課題は産業・生業とコミュニティ再建であること、そして産業・生業の復興には産業界の支援が必要なことを訴えてきました。水産加工業を例に、補助金による施設設備の復旧補助だけでは、売り上げが戻らないこと。そして、売り上げを伸ばすためには、これまでの行政の手法では限界があることをお話しし、新しい支援手法=人やノウハウの支援が必要であることを訴えました(3月8日の記事「復興支援、新しいかたち」参照)。 与えられた時間が短かったので、いくつも資料を配って持って帰ってもらいました。
NHKがそれを取り上げてくれました「同友会 被災企業が民間人材活用できる仕組み作りを。(参考「企業マッチング結いの場」「被災地への人材応援の仕組み」)。私は、支援を求める企業と支援してくださる企業のマッチングには、情報を持っている金融機関の役割が大きいとも申し上げたのですが。
時宜を得たテーマと参加者で、私にとっては、課題を説明するとともに協力をお願いするよい機会でした。岡野常務の命により、もう一つ分科会にも出席しました。「人使いが荒い」ですが(苦笑)、よい機会を与えてもらったことに感謝しなければなりません。盛岡は、今年一番の積雪でした。

イラク行政官への講義

昨日3月6日、JICAの依頼で、イラク政府の行政官に、東日本大震災での経験を講義しました。
去年6月にあのISILが侵攻して以来、イラク国内での避難民が250万人に上るそうです。今回、国内避難民担当の行政官12人(中央政府、地方政府職員)を日本に招き、震災復興現場の視察や意見交換をします。そのトップバッターとして、私が大震災での経験をお話ししました。
アラブの人に話をするのは、初めてです。イラクでは、地震はあるとのことですが、砂漠の民に津波が理解されるか不安でした。また、津波や原発事故からの避難と、戦闘による難民では、条件が大きく違います。こちらはプレハブ仮設住宅ですが、向こうではテント住まいです。さらに、アラビア語に通訳してもらうので、「伝導率」はかなり低くなると想定しました。
そこで、資料は2部構成。第1部は写真と図表集です。津波と被害、体育館への避難、仮設住宅での暮らし、公営住宅建設や高台移転など。各ページに簡単な解説をつけて、それを事前にアラビア語に翻訳しておいてもらいました。第2部は、日本語と数字によるまとめ。これも、事前に翻訳しておいてもらいました。行政官の視察ですから、写真だけでは報告書は書けないと思い、サービスしました。また、肝心なことは文書にしておかないと、通じないし、覚えて帰ってもらえませんからね。
通訳が入るのですが、英語と違い、私の話のどこまでが翻訳されているのか、それすらわかりません。なるべく文章を短く切って、写真や図を指さしながら、話しました。記念に、アラビア語訳した私の資料をもらってきましたが、????です。もちろん、彼らにとっての日本語も、同じですわね。アラビア語が、右から書くのがよくわかりました。ところが、文中に出てくる数字(アラビア数字)は、左から書くのです。
質疑応答は熱が入り、2時間のところ、延長して2時間半かかりました。「各地に避難した住民をどのように把握したか」「行政サービスをどのように提供しているか」など、これは絶対聞かれると思って話したのですが、さらに詳しく聞かれました。
「仮設住宅での一人暮らしが問題だ。特に中年男性が引きこもる」と話したら、笑いながら「そのような発言は、差別にならないのか」と指摘されました。「いや、これは日本社会全体の問題なんだ」と、理解を求めました。「イラクではどうか」と逆質問したかったのですが、時間がなかったので。
「犯罪は多発しなかったのか」については、「日本では暴動や略奪が起きなかった。世界でも珍しい。逆に助け合いの精神が広がった」と自慢して答えました。通訳が「ほんと、コンビニにみんな並んで待つのですから。びっくりしました」と言ったので、「あんたの経験を踏まえて、話してくれ」とお願いしました。
2時間半の講義で疲れ、職場に帰ってきたら、たくさんの仕事が待ち受けていて、昨日はへとへとだったのです。

盛岡市での健康フォーラム

23日土曜日は、日本医療政策機構主催のフォーラム「3.11から3年半 被災地住民の健康を守る」に行ってきました。この機構は、黒川清先生が代表を務めておられるNPOです。大震災に関しては、アメリカの医療支援団体Project HOPEなどと共に、岩手県山田町で支援をしてくださっています。
今回のフォーラムは、山田町での活動の報告と、被災地での健康について関係者が議論するものです。佐藤町長のほか、国から私が、医療関係では石巻で活躍しておられる武藤真祐先生、NPOからは田尻佳史さん(日本NPOセンター)、また司会にCSRの専門家の金田晃一さん(武田薬品)が出席しました。既に親しくしてもらっている人たちです。
被災地の復興には、インフラだけでなく、健康やつながりの復興が必要なことを、もっと広く知ってもらう必要があります。そして、国が積極的に取り組んでいる以上に、現地で医療関係者やNPO、企業(CSR)が活動している実態を、もっと知ってもらう必要があります。
ところで、石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」は、良い歌ですね。今回は、盛岡城跡に寄る時間はなかったのですが、立派な石垣の残るお城です。

オーラルヒストリーの対象に

今日は放課後に、ある研究会に出席しました。オーラルヒストリー(聞き書き)で、私が大震災について行ったことを、研究者の質問に答えるのです。聞き書きの対象となるほど、えらくなったわけではないのですが。もう半年以上続いていて、今日が最終回。
大震災から3年半、まあ良く忘れていますね。事前に質問票をもらって、考えてから出席するのですが、忘れていることばかりです。質問者は、時に私のこのホームページの記述を読んで、「ここに、こう書いてありますが・・」と質問されます。ところが、書いた本人が忘れているのです。毎日忙しく、かつどんどんと状況と課題が変化したので、覚えきれないという面もあります(言い訳です)。
資料は、復興庁のホームページに最大限残してあります。これは、研究者の方も、自由に利用できます。昔に比べ、はるかに利用しやすくなっていると思います。ただし、いきさつまでは、文字になっていません。
聞き書きの対象となって、次のようなことを考えました。
・研究者から聞かれることで、自分の体験を客観的に思い出すことができます。「そんな見方もあるのだなあ・・」と。これは、私にとっても、収穫でした。
・しかし、本人の語りは、注意しないと、危ないです。まず、記憶はすぐに忘れます。そして、自分の都合の悪いことは言わないでしょう。私は、精一杯、そのようなこともお話ししたつもりですが。もっとひどい場合は、自分の都合の良いように「記憶を作る」ことがあります。
・当事者である対象者も、その事件の全てを知っているわけではありません。この人の知らない部分を補強しないと、独善的になります。しかも、第三者がそれを活字にすると、「客観的」と誤解されます。
・よって、聞き書きの場合、対象者の語りの他に、編集者による「解説」が重要になります。