カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
第4章1(3)個人の責任と政府の責任を書きあげました。右筆たちに手を入れてもらい、それを反映して、編集長に提出しました。4回分くらいには、なりますかね。これで、9月は乗り切れるでしょう。

いや~、今回も難渋しました。集中力が続かないことと、議論している内容が難しいことによります。
孤独・孤立対策や社会的包摂にあっては、近代市民社会が前提としたこと、それによって作られた近代憲法が限界にあることを主張しています。みんながみんな、自立した市民ではありません。そして、孤立対策や社会的包摂は、従来の社会保障制度では救済できないのです。
話が大きいのと、法律学などを踏まえた議論をしなければならないので、ええ加減なことは書けません。とはいえ、私はその分野の専門家ではなく、また適当な書物もないので、四苦八苦しました。

こんな時は一人で悩まず、専門家に聞くのが早道です。ということで、今回は右筆を増やし、たくさんの人に見てもらい、意見をもらいました。ありがたいことに、いくつも鋭い意見をもらいました。それらを反映したので、これで安心して活字にすることができます。
400字詰め原稿用紙で、60枚近くの分量です。ワープロと右筆たちがいないと、とても書き上げることはできなかったでしょう。

この猛暑にも負けず、早起きして、頭がさえている時間帯に書きました。夜の異業種交流会ができないので、時間と体力は余っているはずなのですが。集中力は、そんなに長くは続きませんね。
今回も、締めきりを守りました。ホッとしましたが、ゆっくりはしておられません。その続きの原稿に、取りかからなければなりません。
第4章政府の役割再考 1社会の課題の変化を書き上げたので、次は、2社会と政府です。徐々に完結に近づいています。

連載「公共を創る」第90回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第90回「社会の課題の変化―顔の見える関係を基に手を差し伸べる」が、発行されました。前回に引き続き、孤立問題に対する安心提供手法の変化を説明しています。

人生につまずいた際にどうするかという知識と知恵を教えること、孤立に陥る前の「手すり」が必要です。そして陥った際に、どのような支援をするか。
例えば、ニートやホームレスの若者にも、次のような違いがあります。
・自ら就職先を見つけられない若者で、「きめ細かな情報提供」が必要な場合
・人間関係が苦手な若者で、「社会力をつけること」が必要な場合
・生きていくことに喜びを見いだせない若者で、「生きていく力を身に付けること」が必要な場合
すると、それぞれの場合で支援内容が異なります。
また社会生活での自立には、本人の意欲が必要です。周囲からの支援だけでは達成できません。ここにも、難しさがあります。

そして、新たに発見された社会的排除は、本人側より、周囲の側に原因があります。社会的包摂には、社会の側の意識の転換が必要です。

連載「公共を創る」第89回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第89回「社会の課題の変化―仕組みを変えれば国民の意識も変わる」が、発行されました。

前号(7月29日)に引き続き、安心提供手法の変化を説明しています。大量の非正規労働者を生む日本の雇用慣行をどのように変えるか。これは、諸外国に手本があります。
孤立問題は、そのような状況を生み、追い詰める社会の仕組みと意識にも問題があります。複線型社会をどのようにつくるか。そして、つまずいた際にどのように対処するか。
これまでの公共サービス提供手法では、限界があります。社会の仕組みや国民の意識を変える必要があるのです。では、それはどのようにすればよいのか。働き方改革などの仕組みの変更と、教育に期待します。

連載「公共を創る」第88回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第88回「社会の課題の変化―格差と孤立問題解消に向けた新しい手法」が、発行されました。

連載第71回から、「社会の課題の変化」を説明しています。成熟社会となった日本では、発展途上時代とは違った社会のリスクが生まれました。第80回から前回まで、それらを格差と孤立の二つの視点で説明してきました。今回から、これらの不安に対し、私たちがどのように対応すればよいかを考えます。
新しい形態のリスクには、これまでの手法では支援が届かないなど効果が少なく、手法を変える必要があります。そしてそれは、手法の工夫にとどまらず、行政の在り方も根本的に変える必要があると、私は考えています。
もっとも、日本にとってこれらはこれまでにない問題ですが、その多くは先進諸国に共通した問題です。彼らもまた、試行錯誤しながら取り組んでいます。
あわせて、私がこのような問題に関心を持った経緯をお話します。

校閲さんに感謝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆作業についてです。原稿を書く苦労、右筆たちの厳しい指摘は、何度もこのホームページで報告しています。今日は、その後の作業について説明しましょう。

原稿がひとかたまり書けたら、編集長に送ります。編集長は、それを適当な分量に切り分けて、1号ごとのゲラにしてくれます。だいたい紙面で3~4ページになるようにです。私のひとかたまりは、毎回、3~5回分の紙面に切り分けられます。
論旨の流れで、ちょうど切れればよいのですが、なかなかそうはいきません。時には節を入れ替えて、キリをよくすることもあるのですが、たいがいはそうも行かず、文章の流れの途中で、切れてしまいます。

編集長は、分割した毎号ごとに、3本目の表題を付けてくれます。その表題は「なりほどね」と思うことが多いです。時には、私の趣味で、変更をお願いすることもあります。
ゲラになると、読みにくいか所なども目につきます。私の原稿はワープロ(一太郎で作文、送る際にはワードに変換)なので、活字できれいなのですが、誌面の姿になると気づくこともあります。

さて、今日の本題は、その後の作業です。時事通信社の校閲担当者が、ゲラに手を入れてくれます。発行の1~2週間ほど前に、この作業があります。
てにをはの間違いから、事実の確認、読みやすい文章にと、これは神業です。毎回、驚くばかりです。事実の確認は、インターネットで便利になったとは言え、私の記憶間違いや思い違いを鋭く指摘されます。私と編集長が見落とした間違いを「打たれ」、反省と感謝を繰り返しています。
いつもありがとうございます。これなら、文章を推敲せず、雑な文章で送ってあとは校閲さんに任せる方が、よい文章になるかも(笑い)。

私の連載は、毎週木曜日、一月に3回程度の掲載です。なので、毎月、ひとかたまりの原稿を提出し、ほぼ毎週この校閲さんに打たれることのくり返しです。気の休まるときがないのです。
現在まで合計80回余り、2年にわたる連載を続けています。よく続いたものです。一度も締めきりに遅れたことがないのが自慢ですわ。