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日記

2004年・年末のご挨拶

平成16年も、今日で終わりです。いろいろなことが、ありました。私にとっては、次のような1年でした。
本業では、総務課長として、国会担当や省内調整をしました。仕事の一端は、このHPでも紹介しました。いくつもの「事件」はありましたが、職員の支えや関係者の方々のご理解で、任務を果たせたと思っています。ありがとうございました。
「三位一体改革」は、麻生大臣の側で、その進捗を見ることができました。このHPでも「実況中継」しましたが、大きな進展があったと思います。うまくいけば、後世から「転換点だった」と評価していただける程の展開だったと思います。もっとも、残された課題も多く、また歴史の転換点となるためには、さらなる努力が必要です。

副業では、東大客員教授を辞めました。今の職務では、平日通年の講義は、無理です。学会での報告など、講演はいくつかこなしましたが、かなりの件数をお断りせざるを得ませんでした。
原稿も、いくつか書きました。一番の力作は「進む三位一体改革-評価と課題」です。このHPも100ページ以上を追加し、訪問者も年間13万人を超えました。それまで2年間で4万人だったことと比べると、すごいですね。ただし、去年まで3年間、毎年単行本を出していたのですが、今年は時間がとれませんでした。
「岡本課長は、自分で忙しくしているのじゃないですか」とは、親しい記者さんの笑いです。そうですね。でも、忙しいとは、ありがたいことです。また、地方財政改革が目に見えて進むことも、そして引き続きしなければならない課題があることも。こうしてみると、今年も充実した1年でした。ありがとうございました。みなさん、よいお年をお迎えください。

日々の暮らし

今日、ようやく年賀状を書き終え、投函しました。今からじゃ、元旦には着かないでしょうねえ。昨年も、同じようなことを言っていました。進歩がありません。印刷は早くにできたのですが・・・。毎年、行をしているようなものです。宛名書きをパソコンにして、添え書きもしなければ、楽ができるのですが。
さらに今年は、「総量規制」に失敗し、840枚に増えてしまいました。まあ、行政改革の対象でないので、増えても問題はありません(笑い)。これでも、かなりの方に不義理をしています。いただきながら返事を出さず、ごめんなさい。これで、残っている「冬休みの宿題」は、原稿が3本、年明けの講演3回分の資料づくり、そのほか資料の整理です。

間隔と感覚

先日書いた「150年は50年の3倍」という記述に対して、意見がありました。「それは事実としても、私たちの感覚とは違いますよね」と。そうですね。一世代を30年と考えると、次のようにも、さかのぼることができます。起点は2005年としましょう。
1975年(昭和50年):第1次石油危機の2年後(大阪万博は1970)、私は大学3年生。ベトナム戦争終結。
1945年(昭和20年):第2次世界大戦終結、日本は焼け野が原に。私の父は、兵隊で南方に。
1915年(大正4年):第1次世界大戦中。私の父は、まだ生まれていない。
1885年(明治18年):日本では西南の役から8年後、内閣制度ができた。憲法はまだ。ヨーロッパは、ビスマルクの頃、各国が植民地支配を競っていた時代。私のお祖父ちゃんが生まれた(1889年)頃。そうすると、そんなに昔ではないな。
1855年(安政2年):ペリー来航が53年、明治維新まであと12年。中国はアヘン戦争が40年で、この頃は太平天国の頃。フランスはナポレオン3世、イタリアとドイツはまだ統一されず。ひいおじいさんが生まれた頃。ふーん。

うれしいこと

これまで、「岡本全勝」をヤフーで検索しても、拙著と他の人のHPに引用されている「岡本全勝」ばかりが出てきて、肝心のこのHPが出てきませんでした。いろんな人から「検索しても出てこない」と、苦情を言われていました。グーグル検索したら、一番に出てくるのに。「ヤフーは出来の悪い検索エンジンだ」と不満を持っていました。
今日試しにやってみたら、ヤフーでも、一番最初にこのページが出てきました。さらに「ヤフーニュース三位一体改革」にも、関連ページとしてこのページが載っていました。

150年は大昔?

国が地方に意見を聞くのは「150年ぶりだ」に関して、記者さんとの会話です。
全:150年って、すごい昔だよね。
記:そうですね。
全:僕は、来月で50歳になるのよ。
記:じゃあ、その3倍ですか。それだと、そんな昔じゃないような気がしますけど。
全:そうやね。僕が、そんなに長く生きたということか。
記:課長が生まれたときを起点にして、50年前は・・。
全:1955年の50年前は1905年。日露戦争だ。へー。その52年前が、1853年のペリー来航。50年って、そんな間隔なんだね。