カテゴリー別アーカイブ: 日記

日記

たくさんのペットボトルの空き容器

我が家の近所は、木曜日がペットボトルの空き容器の回収日です。
先日の木曜日の朝、たくさんの集積所に置かれていました。近くの別の集積所も、あふれていました。
キョーコさんに聞くと、「暑いから、たくさん冷たいものを飲んだからじゃないの」とのこと。我が家もそうでした。空き缶回収は月曜日で、この朝は缶ビールの空き缶がたくさん集まります。
東京も、暑い日が続いてます。

落雷と停電

7月6日土曜日夕方、我が家の高円寺付近は、ひどい豪雨と落雷、そして停電がありました。雷は、かなり近くに落ちたようです。停電は2度ほど。すぐに復旧したのですが、その後が大変でした。
なぜか床暖房が起動し、熱くなりました。制御盤のボタンを押しても、反応しません。配電盤を開けて、床暖房系統を切りました。
しばらくすると電話がかかってきて、宅配業者が「家の前に来ています。インターホンを押しても、反応がありません」とのこと。これも、配電盤でその系統の電源を一旦切って、再度つけると復旧しました。
夜、シャワーを浴びようとしたら、給湯器の制御盤が機能しません。これも配電盤で電源を入れ直すと、台所の制御盤は復旧しました。しかし、お風呂の制御盤は復旧せず。業者に来てもらうことにしました。夏はシャワーで済ませられますが、冬だったら困りますね。

最も困ったのは、インターネットがつながらなくなったことです。電源を入れ直したりしたのですが、復旧せず。これも、社長に来てもらうしかありません。
職場に持って行っている携帯パソコンに、自宅のパソコンと同じ内容を入れてあります。ホームページなどはクラウド方式なので、携帯パソコンを持ち帰れば、問題は解消します。日曜日一日、パソコンが使えませんでした。電子メールのやりとりができないのは、不便です。いかに、パソコン、インターネットに依存しているかがわかりました。でも、やめるわけにはいきませんわね。
ホームページは、事前に予約しておいた内容が、ちゃんと掲載されていました。
土曜日朝に、原稿をかなり加筆したのですが、自宅のパソコンから、ほかへ送る術がありません。内容は覚えているので、再度書き直すかと諦めていました。社長に言うと、「USBメモリで運んだらどうですか」との助言。そうだ、昔はそんなことをやっていましたよね。
と、この記事も、携帯パソコンで書いています。

久しぶりの富山

昨日15日土曜日、今日16日日曜日と、富山に行ってきました。久しぶりです。私が富山県総務部長を務めたのは1994年から1998年で、30年前になります。

午前中は、氷見市へ。能登半島の付け根にある氷見市も、能登半島地震で被害を受けました。海に近い市街地の一部で液状化で多くの家屋が壊れたり、傾いたりしました。もっとも、被害は一部住宅にとどまり、工場や商店、民宿も早くに再開しました。市の大半において、生活は戻っています。
北日本新聞の依頼で、現地を視察したあと、林市長と対談に臨みました。市は、被災住民の意向を聞きつつ、再建の方向を検討中です。約5割の住民が現地で暮らしたいとのことです。これだけの人が住み続ける意向があれば、復興するでしょう。産業も被害を受けていませんから。
魚もおいしいです。魚は海の中にいて、地震の影響を受けていません。応援したい人は、ぜひ民宿に泊まっておいしい魚を食べてください。

午後は、富山県立美術館へ。エッシャー展は、見応えがありました。だまし絵というのでしょうか。右から飛んでくる白い鳥の群れが、左へ行くと反対に飛ぶ黒い鳥の群れになったり、階段を上っていくと、元の場所にたどり着いたり。皆さんも一度はご覧になったことがあるでしょう。
よくこんな絵を考えたのですね。そしてとても精密です。1枚の絵を描くのに、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。

夕方からは、料亭加賀屋の100年記念に出席。総務部長時代にお世話になりました。様々な分野の方とお付き合いするときや、難しい相談をする際に使わせてもらいました。このお店は市の中心部から少し離れていて、私には都合がよかったのです。懐かしい顔ぶれに会うことができました。貴重な機会に誘っていただき、ありがとうございました。当時は畳の席で座布団でしたが、現在は畳で椅子席です。腰には優しいです。
その後、当時の音楽仲間との同窓会へ。私の下手なフルートを見かねて、県庁の有志がアンサンブルを作って、私を指導してくれたのです。このホームページの表紙の絵「笛吹き中年」は、そのとき描いてもらいました。県立美術館の荻野佳子館長は、その仲間でした。かつては集まれば演奏していたのですが、今回は断念。私は最近楽器に触っていないので・・・

翌朝は、地元放送局と打ち合わせ。ある番組の助言をしているので。
盛りだくさんの旅行でした。富山の海の幸を、たくさんいただきました。立山連峰は、あいにく雲に隠れていました。

大型連休終わり

春の大型連休が終わりました。各地でよい天気の日が多く、行楽地は賑わったようです。皆さんは、どのように過ごされましたか。よい休日だったと思います。

私は毎日、孫を公園に連れて行きました。これが一番の仕事でした。日差しがきつく、温度も高くて、それで疲れます。
右筆の協力を得て、連載原稿の締め切りを間に合わせました。ほかの原稿も少し進みました。全部は片付きませんが。読書は、予定通りには進まず。というか、あれもこれも読もうと考えていたのですが、その計画が非現実的なものだったのです。
玄関脇のツバキの枝が伸びたので、剪定をしました。ナツツバキは、例年になくたくさんの花芽をつけています。今年は花を期待できそうです。

ということで、それなりに充実した休日でした。連休も、始まるまでは長いようですが、終わってみると短いですね。
充実した時間を過ごすと、長く感じるのかもしれません。しかし楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、逆に何もしない無為の時間の方が、つまらなく長く感じます。その時点での感想と、終わってから振り返る感想との違いでしょうか。

肝冷斎は、すごく充実した休みを送っていたようです。連日、しかも暑い昼と深夜に及ぶナイター(5月4日は試合終了が23時)もあります。よく体力が続くなあ。

春の大型連休前半

今日は4月29日、春の大型連休前半が終わります。皆さん、楽しんでおられることでしょう。
連休の度に、思うことがあります。報道は、行楽地で楽しむ家族などを伝えてくれます。それはよいことですが、それを支えて働いている多くの方がおられることです。
病院、消防、警察、鉄道やバスは、交代制ですが無休です。行楽地の宿泊施設、食堂、売店などは、休みの時期こそかき入れ時です。関係者の方に、感謝しなければなりません。その子どもたちは、さみしい思いをしていることもあるでしょう。

勉強を頑張っている学生も多いでしょう。
原稿に追われている執筆者もいます(苦笑)。こちらも、かき入れ時です。
とはいえ、いつものことですが、連休中に原稿を書いたり、本を読もうとする「計画」が間違いですね。気分はゆったりするし、孫を公園に連れて行かなければならないし、近所では催し物があるし。天気がよくて、よかったです。

名古屋まで、野球大仏を見に行っている人もいます。名古屋に大仏がいくつもあるのは、知りませんでした。しかも、昭和になってから作られているのです。「矢場とん」も、知りませんでした。