カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

外から組織を見る、純粋培養の時代は終わった

日経新聞「私の履歴書」、今月は、川村隆・日立製作所相談役です。19日付けの「貴重な経験」から。川村さんは、副社長を最後に日立を去り、グループ会社の会長に転出します。その会社は規模が小さく、会社の全容がつかみやすいのです。
・・・組織の風通しも格段にいい・・・会社にとっても大事なプロジェクトであり、最初のキックオフ会議には、会長、社長も出席した。
その席で意見を募ると、驚いたことに机の後方に座る若手からどんどん手が挙がり、具体的な提案が飛び出してくる。開発の第一線に携わる彼らの意見は的確で、それをその場で次々に採用して開発日程や新製品の骨格が固まっていく。見ていてほれぼれするようなスピード感だった。
これが日立製作所なら、こんな展開にはまずならない。会長、社長の出る会議で若手が意見を言うことはほとんどなく、机の後ろに座って上層部が話すことを黙々とメモするのが関の山。「意見を言って、それが自分の上司の意見と違ったら具合悪い」と自制するのだ。
こうした経験を通じて、外から会社を見ることの重要性を痛感するようになった。日立という組織の中では当たり前の常識が、一歩外に出ると非常識に変わる・・・
・・・日立製作所とは違う企業文化に身を置くことで、経営者としての幅が広がるのだ。「純粋培養」を尊ぶ時代は終わったと思う・・
原文をお読みください。
かつて、河原春郎ケンウッド会長の話を紹介したことを、思い出しました(2007年12月15日の記事)。
・・・面白いたとえがあります。入社して「煙突」の中をはい上がり、社長や役員になって煙突を抜けパッと視界が広がる。自分は金箔をつけて出てきたと思っても、外から見ると煤だった。そんなギャップがある・・

「41年間東芝に勤めた生え抜きなのに、なぜそのギャップが生まれなかったのですか」との問いには、
・・・僕は会社では「エイリアン」でしたから(笑い)。28歳でGEに行き、「世界とはこういうもんだ」と思って帰ってきて20年、「あいつは変だ」といわれ続けた・・

今週も終わりました。仕事は終わらず

あっという間に、明日は土曜日。といっても、今週は水曜日まで連休でしたから、木金曜日の2日しか営業日はありませんでした(実は、水曜日も仕事をしたので、3日働きました)。
今日は、18時に異業種交流会を設営してあったので、「17時40分に退社するぞ」と宣言しておきました。17:30ごろ、上着も着て帽子もかぶって、出かける準備をしていたら、部下が軍団で攻めてきました。
復興10年計画のうち、今年度で前期の5か年(平成23~27年度)が終わります。そこで、復興庁では、来年度以降の5か年計画を検討中です。昨日は、大臣のお供をして、総理に検討状況を説明に行ってきました。マスコミで報道されているとおりです。その作業の報告に、来てくれたのです。
「残念やったねえ・・。本日の営業は終了したわ」と言ったのですが。そうはいかずに、10分だけ営業時間を延長。資料をすべて見る時間がないので、「明日見ておくわ」と言うと、ニコニコと「好きなだけ手を入れてください」との返事。それを狙ってきたな! K審議官、E参事官、H参事官、I企画官、T補佐・・・もっとも、私が「こんな資料、欲しいんや」と指示を出したのが、今朝でしたから、原因は私にあります。う~ん、職員は勤務時間中に仕事をして、私は時間外に仕事をするのですね。理想的かつ麗しい関係です(苦笑)。

東宮へのご進講、2

産経新聞の「皇室ウイークリー」5月2日に、名前が出ていたそうです。ある人に教えてもらいました。
・・・皇太子ご夫妻は4月27日、東宮御所で復興庁の岡本全勝事務次官から進講を受け、東日本大震災の発生から4年を迎えた中での被災者支援▽復興まちづくり▽産業再生▽原発事故後の風評被害対策-などについて聞かれた・・・

東宮へのご進講

今日27日は、東宮御所で、皇太子殿下・妃殿下に、ご進講する機会をいただきました。両殿下には、これまでもたびたび被災地の視察や慰問にお出かけいただき、被災者を励ましていただいています。そのお礼も、申し上げました。この4年間に何ができたか、このあと何が残っているか、いま何が課題かを、お話ししました。資料は、何度か打ち合わせて、職員が、現場の状況がわかる写真付きの、わかりやすいものを用意してくれました。
両殿下とも、ご関心が深く、またよくご存じで、何度か「これは○○ですね」と、ご指摘をいただきました。発災直後の対応についても話が及び、当時の私の仕事や判断なども、ご説明しました。
帰ってきたら、職員曰く「殿下の前でも、関西弁でしゃべったのですか?」。う~ん、本人は少々緊張していましたが、たぶん日常使っている言葉で、しゃべったのでしょうね(苦笑)。

春爛漫、でも忙しい

昨日の土曜日と今日の日曜日と、日本列島は天気のよいところが多かったようです。春を楽しみに、お出かけになった方も、多いのではないでしょうか。肝冷斎も、ぶつぶつ言いながらも、野球観戦をはしごしているようです。
私は、例によって仕事と書類が片付かず、せっせとお仕事。いくつも引き受けた講演も迫ってきて、レジュメや資料作りを急がなければなりません。テーマを広げると、いろいろと考えたり、資料を集める必要があります。それはそれで、考えを整理するよい機会なのですが。
今朝、ある大学の先生に電子メールで質問したら、すぐに返事が返ってきました。私のことを棚に上げて、「日曜朝も、家族サービスせずに、パソコンの前におられるのですか?」と返信したら、「家族からは冷たい視線をあびております…」とのこと(苦笑と同情)。
事務次官になっても、新年度にそして発災から5年目になっても、忙しさは相変わらずです。秘書や部下職員に「私が忙しいのは、君たちが悪いからだ」と言うと、返事がなく、顔に「次官が自分で、忙しくしているのでしょ」と書いてあります。その通りです。
でも、復興大臣は、今日日曜日から1泊2日で、岩手県被災地視察です。大臣は火曜と金曜日に閣議があり、他の日も国会の委員会での答弁、衆議院議員として本会議への出席があり、国会開会中はどうしても視察が週末になるのです。復興庁は、そのような役所なのです。