カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

立ち止まって考える

また、あっという間に1週間が終わり、7月も終わって、今日は8月3日。毎日、昼も夜も忙しく、仕事も進んでいるのですが。立ち止まって振り返ると、「はて、今月は何をしたっけ」と、直ちには成果が頭に浮かびません。
私は、しばしば部下に、「長い説明は不要なので、3つだけ言ってくれ」と、要点だけを求めます。他人にはそれを求めておきながら、我が身を振り返ると、整理できていません。
さらに、部下には、「3か月、6か月、1年という期間で、仕事の計画を立て、成果を計ってくれ」と言っているのに・・。
今日は土曜日。職場でゆっくりと、たまった書類の片付けをしつつ、手帳を見ながら、1か月を振り返りました。ところが、毎日の仕事をいくら細かく見ても、1か月間の成果は出てきません。手帳では、1か月や半年の仕事について、計画を立て、結果を評価することはできないのです。
拙著『新地方自治入門-行政の現在と未来』で、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルの考えを借りて、私たちの生活時間を、「短い時間」「中くらいの時間」「長い時間」の3つの次元で考えるべきだと、述べました(p254)。毎日忙しくしている仕事と、1か月で行った主な仕事と、半年間の成果は、別の次元・別の種類のものなのです。
復興庁では、7月は、2日に官邸で復興推進会議を開きました。その場で、与党から追加提言をもらい、他方で「新しい東北の創造」の方針を説明しました。今月は、この2つの課題を進めました
住宅やインフラの復旧は、着実に進んでいます。担当班が、工程表を見直してくれました。29日には、総理に、石巻市で完成し入居したばかりの住宅を見てもらいました。
とは言いつつ、復旧は被災現場で行われ、それぞれの課題については各参事官ががんばってくれています。私の仕事は、彼らの相談に乗ることと、全体の段取りを考えることです。「これだけのことを達成した」とは、言いにくい職務です。
庁内では、霞ヶ関での人事異動とともに、たくさんの職員の異動がありました。新しく来た職員には、オリエンテーションが必要です。また、昨今のソーシャルメディアの利用方法や情報管理については、全職員に注意喚起や研修も必要です。復興庁は出先を入れて450人の組織ですが、組織となると、このような「職員管理」も必要になります。
他方で、各省の幹部の知人が、おおぜい退職し、挨拶に来てくださいました。寂しいことです。

夜の残業から早朝勤務への転換

2日の日経新聞が、伊藤忠商事が、社員の労働時間を朝方にシフトさせ、残業を減らすための賃金制度を導入すると、伝えていました。時間外手当の割増率を、夕方以降の残業より、早朝勤務の方が高くなるように、見なおすのだそうです。
公務員もそうですが、夜に残業したら残業手当が付くのですが(管理職はつきません)、早朝に時間外勤務をしても、手当は付きません。伊藤忠の新しい制度は、よい試みですね。さらに、夜10時以降の深夜残業を禁止し、完全消灯するのだそうです。
課題は、社員が自宅に仕事を持ち帰る「サービス残業」への対応だとも、書かれています。
霞が関の公務員の場合は、仕事量の多さの他に、国会待機という「退庁できない仕組み(慣習)」があるので、これが大きな課題です。

会社の消耗品?

先日、日比野大和証券社長が、若いときに泊まり込みで仕事をして、「会社の備品」と呼ばれたことを、紹介しました。私も若いときに泊まり込んだのですが、「自治省の備品」とは呼ばれなかったと書きました。読者から、反応がありました。
「自治省の消耗品と呼ばれなくて、よかったですね」と(苦笑)。確かに、戦前の日本陸軍では、備品は大切に扱われ、兵隊は消耗品と考えられていたという説もあります。
でも、彼も曰く「若いときは、なぜあのように、仕事がおもしろかったのでしょうか」。その彼も、職場で出世しているのですが。上に立つと、しんどいことが多いです。無我夢中で与えられた仕事をしているときは、満足感があるのでしょうね。上に立つと、悩むことが多くなります。

会社の備品?

日経新聞7月27日夕刊「こころの玉手箱」、日比野隆司・大和証券グループ本社社長の回顧から。
・・社長室での初仕事は、内外全拠点の幹部社員が集まる会議の資料作りだった・・社長室での仕事は、書類作りに尽きた。限られた時間の中で報告事項をまとめ、役員や監督官庁などに出す。文章を書くのはもともと嫌いではないが、筆力はここで大いに鍛えられた。
主任から課長代理になったばかりの私は、社長室でも最年少、次から次へと仕事が降っている。会社に泊まり込みもしょっちゅうで、いつしか私は口の悪い先輩から、「会社の備品」と呼ばれるようになった・・
私も、職場に泊まり込みを続けた、若い時を思い出します。2週間分の着替えを持って、泊まり込んでいました。1週間、一度もビルを出なかった記録を作ったり。夜になったら、近鉄バッファローズのユニフォームに着替えて仕事していました。さすがにこれは、上司に「教育的指導」を受けました。
「自治省の備品」とは、呼ばれませんでしたが。毎日、終電間近になると(タクシー券は貴重でした)、主任さん(庶務担当補佐)が、「みんな早く帰れよ~。全勝君は泊まるだろうから、よろしくね」と言って、帰って行かれました。当時は、ちっとも苦痛では、ありませんでした。

難しい判断をする基準

「全勝さんは、ある難しいことを判断し、決断するときに、何を基準にしていますか」と、問われることがあります。私は、次のように、答えています。
私が、難しい判断をする場合に、視点は3つあります。過去、現在、未来です。
1つは、過去の事例であり、歴史です。前例があるなら、それを参考にするべきです。もちろん、その前例通りにしろ、というわけではありません。
ある事案には、そこに至る歴史があります。いろんないきさつと関係者との関わりの結果、ここまで来ているはずです。だいたい、私のところに持ち込まれるのは、関係者の間でもめた案件ですから。それを無視して、白地で判断することは無謀です。
また、専門家がいるのなら、その人の意見を聞いてみるべきです。
第2は、現在であり、部外者です。すなわち、周りの人が、私の結論をどう思うかです。私が正しいと思っても、国会議員やマスコミなどが、「なるほど」と思ってくれないと、収まりません。上司と部下とで、「これくらいが、よいですね」といっても、外部の人が納得しないと、意味がありません。
もちろん、それらの人におもねる、ということではありません。官僚ですから、筋は通す必要があります。
第3は、未来です。未来の人が、どう評価するか。将来の子どもたちに、どのような説明ができるかです。
筋を通す場合、それが正しいかどうか。それは、未来の人たちが評価します。10年後や20年後の人たちに、「私は、このような理由で、このような判断をした」と、説明できるかどうかです。
これは、次のような表現をする場合も、あります。
岡本全勝Aの斜め後ろに、岡本全勝Bがいて、Aに向かって「おまえ、そんなことを言ってよいのか」と、牽制するのです。難しい判断の時は、一人になって、この3つを頭の中で「体操」します。
かつて、このホームページでも、書いたことがあるはずなのですが、検索しても見つからないので、書いておきます。最近も、そのような事態があったので。