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混乱する日本の自由主義

22日の朝日新聞「けいざいノート」小林慶一郎さんの「政治と経済政策」から。
・・市場の競争機能を高め、市場の力を尊重し活用しながら不公正をなくしていこうとする自由主義的な人々と、市場ルールに介入してゆがめることに躊躇せず、財政資金の再分配で政治をしようとする人々が、与党にも野党にも混在している。時代の状況によって政治の方向が大きく流されるのは、こうした思想的混在によって政党の意志を明示的に統一できないからではないのだろうか・・
自由主義とは、為政者(政治家や官僚)の理性や能力には限界がある、という謙虚な認識から出発する。為政者の理性には限界があるから、個々の国民が、市場で自由に生活を立てるしかない。そのためには、市場をできる限りフェアで自由なものにするしかない、というのが自由主義的思想の筋道だ・・

三連休

3連休、いかがお過ごしですか。東京は、20日の夜に嵐が来ましたが、それ以外は良い天気でした。しかも最初の2日間は、とても暖かでした。風はきつかったですが。
天気が良く暖かなので、非常参集訓練を兼ねて、自転車で、消防大学校まで行ってきました。交通機関が使えない時の訓練です。わが家からは、10キロメートルほどの距離です。風景を見たり、地図を見たり、きょろきょろしながら、片道1時間でした。もちろん本番では、これほどすいすいとは走れないでしょう。
木蓮やコブシが、白い花を咲かせています。遠くからでも、目立ちます。桜は、つぼみが膨らんでいます。東京でも開花したそうです。来週は、お花見ですかね。

大学院への出講準備

日本大学法学部大学院からお誘いをいただき、4月から講義に行くことになりました。役所の兼業許可も下りたので、週末から、その準備に本格的に取り組んでいます。もっとも、参加する学生が集まらない時は、開講しません。毎週土曜日の2限目に、入れてもらいました。春学期は危機管理論で、秋学期は公共経営論です。
毎週末に講義に行くのは、結構な負担です。気ままな読書も、できなくなります。しかし、このようなきっかけや負荷がないと、なかなか勉強がまとまりません。講義を持つのは、1年半ぶりです。かつて行った東大や慶応大学の授業を思い出しながら、授業の準備をしています。準備には、全体の概要を決める、13回に割り振る、各回の講義ノートを作る、各回の配付資料とレジュメを作る、といった作業が必要です。
危機管理論は、教えるのは初めてなので、準備が大変です。骨格はすでに何回か講演したり、原稿にしたので(未公刊)、それを基にします。しかし、13回ほどしゃべるには、内容を増やし、データや資料をそろえなければなりません。配付資料づくりも、結構大変なのです。これまでに読んだ本や買った本を読み返したり、資料を原典に当たったりしているうちに、関係する本や見ておきたいテーマが出てきて、どんどん好奇心は広がります。うーん、困ったものだ。
内容については、災害などの際の自治体の危機管理実務を中心にするのではなく、行政の変化や行政の在り方を講義しようと考えています。狭い意味の危機管理ではなく、社会のリスクの変質と行政の変化がテーマです。
私はこれまで、県庁、自治省、総務省、官邸で、いろんなリスクを見てきました。ありがたい経験をさせてもらいました。今は消防大学校で、消防防災などを勉強させてもらっています。その経験を、社会に還元したいと思っています。

中間権力の重要性

3月17日付け朝日新聞「報道と人権委員会」が、政治資金規正法違反事件について検察の捜査とメディアが批判を受けたことに関して、議論していました。その発言の中から。
長谷部恭男東大教授:権力は一元的であるべきか、多元的であるべきかという点について、人々の思いが一元化の方向に流れている。司法・検察やメディアを、民主的な正統性を与えられた権力とは違った中間権力と位置付け、多元的にバランスを取るのが良き社会というイメージがあったが、総選挙で政権が交代した後、権力の正統性は一元的に政府、政権に集中すべきだという危険な声が広がっている。国政選挙に勝つための「政治」と、国民の利益や国益を実現して維持するための「統治」が混同されている・・

その時代の意味

歴史書の表題をみていると、うまい表現だなあと、感心するものがあります。例えば、講談社の「日本の歴史」シリーズ(2002年頃発刊、講談社学術文庫に収録中)には、次のような本があります。
「文明としての江戸システム」「維新の構想と展開」「明治人の力量」「日本はどこへ行くのか」など。単に「××時代の歴史」といった表題と違い、視角が鮮やかで、その時代の特徴を一言で切り取っています。もちろん、視角がはっきりしているということは、その他の見方を切り捨てているということですが。
これらの表現に触発されて、現在の日本はどれだけの構想を持ち、力量を持っているのか、考えさせられます。また、後世の人から、どのような時代であったと評価されるのか、これまた想像してみます。
その他、講談社の「興亡の世界史」シリーズ(現在刊行中)には、「大英帝国という経験」「東南アジア 多文明世界の発見」「モンゴル帝国と長いその後」などもあります。これらも「なるほどね」と、思います。東京大学出版会の「新しい世界史」シリーズ(1987年頃)の「支配の代償 英帝国の崩壊と「帝国意識」」なども、表題だけで歴史の見方が変わりますね。