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政策研究大学院で講義

今日は夕方から、政策研究大学院大学で講義。日本の行政の成果と課題を、お話ししました。院生の方、しかも地方公務員の方が多いので、話しやすかったです。
これからの時代は、これまでの延長ではダメです。新しい発想で考えてもらうために、極端に物事を単純化してお話しし、議論を吹きかけました。学生の方は、戸惑われたかもわかりません。
しかし、そんなに非現実的なことを、話しているつもりはありません。駐車違反の摘発業務や刑務所が、民間委託される時代です。命を預かる医者の多くが民間人で、教育の多くを私学が担っているのです。「これまで官(公務員)がやっていたから」という思考は、捨てて考えましょう。
何人かの受講生から、感想と質問を送っていただきましたが、返事は明日以降にします。しばらくお待ち下さい。

2011.01.12

今日は午後から、慶應義塾大学法学部で講義。もう、あと1回で終わりです。時間が経つのは、早いですね。授業は順調に進み、現在の大きな課題である「財政再建」を、お話ししました。もちろんこれは、地方財政だけで解決できる問題でなく、国家財政と併せ改革しなければならない問題です。
講義はそれを含めて、現在の日本の経済・社会・政治の問題まで説明しました。
なお、今日の授業で言及した齊藤誠・一橋大学教授の本は、「競争の作法」(2010年、ちくま新書)です。また、平成23年度の地方税収の見込み地方財政対策の詳しい内容は、総務省のホームページを見てください。
ところで、今日は学生が増えて、配付資料が足らなくなりました。合わせて配付している前回資料も、足らなくなりました。これについては、次回配付します。

産業別従事者数の推移

1月10日の日経新聞経済面「三度目の軌跡、データで見る」に、わかりやすいグラフが出ていました。1950年代から現在までの、産業別従事者数の推移です。
農林業が、1,500万人から260万人に大きく低下しました。製造業は、700万人から増加し、1964年に農林業を抜きました。1992年には 1,569万人とピークに達し、その後減少し、約3分の2の1,000万人程度にまで減っています。建設業は200万人から、経済成長とともに増加しまし たが、最も多かったのはバブル崩壊後の公共事業拡大期です。1997年に685万人に達しましたが、その後は公共事業の削減もあり、500万人程度に減っ ています。
卸・小売業、飲食店は、700万人程度から増加し、1996年に1,463万人と製造業を抜きました。その後、少し減っています。医療・福祉は600万人で、建設業を抜きました。
このように言葉で書くとわかりにくいですが、記事に出ているグラフはわかりやすいです。日本経済や産業の移り変わりが、一目瞭然です。

社会の制度・インフラの輸出

1月9日の朝日新聞経済欄で、韓国がカンボジアやラオスで、証券取引所の売り込みをしていることを伝えていました。市場経済の重要なインフラである証券取引の仕組みを、教えるのです。
新興国にとって、もの作りを輸入するだけでなく、経済や社会の制度・インフラを輸入することも重要です。日本も明治以来、たくさんの制度を欧米から輸入しました。典型が、法律や行政の仕組みです。
日本も先進国になったので、アジアなどの新興国のお手伝いをすることが、期待されています。法務省が、カンボジアなどでの法整備に協力していることが有名です(参考文献、松尾弘著『良い統治と法の支配-開発法学の挑戦』(2009年、日本評論社)など)。また、JICA(国際協力機構)が、いろんな技術援助をしています。
少し視野を転じて、先進国を含めた世界への社会インフラの貢献となると、あまり思いつきません。かつて、日本が先進国に「輸出」した法律の例として、迷惑メール防止法を教えてもらったことがあります。アメリカの国会議員が、日本に勉強に来たのです。他に、何かありますかね。

省庁再編10年

2001年1月6日に新府省が発足して、10年になりました。早いものですね。私は当時、省庁改革本部でこの仕事に携わっていて、5年か10年のうちには、もう一度省庁再編(大規模なものでなく、見直し)が行われるだろうと、予測していました。

国家行政機能をどう大括りにするかは、「家の間取り」の問題であり、時代の変化に応じて、また運用してみて都合が悪ければ変えるだけのことです(拙著「省庁改革の現場から」p192)。民間企業でも、地方自治体でも、しょっちゅう改変を行っています。国にあっては、この10年間を振り返ると、大きな再編は行われませんでした。主な変更は、次の通りです。
防衛庁が、防衛省になりました。公正取引委員会が、総務省から内閣府に移りました。内閣府に、食品安全委員会と、消費者庁ができました。総務省の郵政事業庁が、郵政公社を経て、民営化されました。厚生労働省の社会保険庁が、解体されました。農林水産省の食糧庁が、廃止されました。国土交通省に、観光庁と運輸安全委員会が設置されました。
これだけ見ても、社会の変化がわかりますね。このほか内閣府にいくつかの委員会が作られ、各省での局や部の改変もあります(一覧表があればよいのですが、見つけることができませんでした。現在の組織図)。
省庁改革の内容は、省庁再編だけでなく、内閣官房や内閣府の強化(政治主導の強化)、行政機能と組織の減量、独立行政法人制度の創設、政策評価と情報公開でした。いずれも、かたちとしては達成しました。しかし、省庁改革が目指したものは、「この国のかたち」の再構築でした。省庁改革を設計した行政改革会議の「最終報告」(1997年12月)は、次のようなことを掲げています。
日本国民のエネルギーが白熱し、眩いばかりの光彩を放った半世紀が過ぎ、それに適合的であった戦後型行政システムを改める必要がある。それは、行政の改革であると同時に、国民が統治の客体という立場に慣れ、行政に依存しがちであった「この国の在り方」の改革である。
このような目標は、省庁再編だけでは達成できません。最終報告が述べているように、「この国のかたち」の再構築は、行政改革のみによって成し遂げられるものではなく、経済構造改革、財政・社会保障改革、教育改革など、社会・経済システムの全面的転換が必要なのです。
その後、地方分権改革、規制改革、司法改革などいくつかの改革が進み、進みつつありますが、なお道半ばです。この文章の最初で、省庁組織が部分的に改変されていることも紹介しました(私が考える日本の構造改革の体系図は「行政改革の分類」のページの「構造改革体系図」を、近年の行政改革の鳥瞰図は、同じページの「行政改革の分類」をご覧下さい)。
このような、部分的改革を積み重ねることも必要ですが、あらためて、次なる改革の全体像を示す必要があるでしょう。それは、統一された哲学と、いくつかの改革の優先順位と工程表です。もちろん、これには大きなエネルギーが必要です。