今日は、復興大臣のお供をして、福島県いわき市に行ってきました。原発事故で避難を余儀なくされている双葉郡8町村住民の、完全賠償を求める決起集会です。会場の大学講堂は、大勢の人で満員でした。記事によると1,400人です。
参加した人たちも役場も、町村の外に避難しています。避難先からバスを仕立てて、やってこられました。この方々の物心両面でのご苦労を思うと、まことに申し訳ないです。
壇上からの訴えは、早期の除染と放射線量の開示、早期の完全賠償、町の復興計画の提示などでした。これらが示されないと、見通しが立たず、身の振り方が決められないのです。
岡本全勝 のすべての投稿
復興関係法案審議
今日、参議院復興特別委員会で、復興特区法案が可決されました。来週、参議院本会議で採決され、成立する見込みです。また、衆議院復興特別委員会では、復興庁設置法案が審議に入りました。
牛肉自由化でどう変わったか
11月30日の朝日新聞、TPPに関する連載が、「牛肉自由化でどう変わった?」を載せていました。1991年に牛肉の輸入自由化が行われました。それまで、国が輸入枠を決めていましたが、その枠が取り払われ、関税をかけることになりました。初めは70%という高い税率でしたが、現在は38.5%です。
1990年に23万2千戸あった肉牛農家は、2010年には7万4千戸と、3分の1になりました。ところが、牛肉生産量は、55万トンから51万トンへとわずかに減っただけ。占有率も、5割から4割に下がっただけです。
なぜ生き残ったか。それは和牛の特産地のブランド化と、農家の大規模化です。200頭以上の大規模農家は、全国に2千戸あまり。農家数ではたった3%ですが、彼らが全頭数の半分である140万頭を飼っています。
効率化と高付加価値化ですね。
被災者向けハンドブック
明治の地方制度改革
松元崇・内閣府官房長が、『山縣有朋の挫折、誰がための地方自治改革』(2011年、日本経済新聞出版社)を出版されました。
明治維新の後、日本の地方制度をつくったのは、山縣有朋です。明治憲法は伊藤博文が中心になってつくりました。二人が分担して、国政と地方政治の骨格をつくったのです。その際に、憲法に先んじて、地方制度がつくられました。地方政治の安定なくして国政の安定がないと、認識されていたのです。
明治政府がつくった地方自治制度が安定的に運営され、その後、発展する条件もあったのに、なぜ分権運動が挫折したか。この本では、山縣の変身に一つの原因を求めています。日露戦争に備えるため、地租増税が行われ、地方の財源が国に吸い上げられたことが、地方自治の発展を阻害したというのです。
もっともこの本では、その点にだけ焦点を当てるのではなく、江戸時代から太平洋戦争、戦後改革までに及んでいます。そして、江戸時代の「地方自治」が良く機能し、それがあったからこそ明治維新が達成できたこと、 関東大震災によって分権が挫折したことなど、単なる制度改革を追うのではなく、社会経済条件と関連づけた分析が書かれています。興味深く勉強になります。
松元官房長には、私も内閣府勤務の時にお仕えしましたが、お忙しい勤務の後でこれだけの本を書かれることに、脱帽です。ちなみに、注が約100ページあり、参考文献が100冊近く載っています。松元さんは旧大蔵省出身です。主計官の時に、地方財政に関心を持たれたとのことです。