投稿者アーカイブ:岡本全勝

人は信頼で動く

2026年3月8日   岡本全勝

2月19日の日経新聞夕刊、「私のリーダー論」、木村皓一・ミキハウス社の「人は恐怖より信頼で動く」から。

・・・「ミキハウス」ブランドで子供服を製造・販売する三起商行。創業者の木村皓一社長(80)は一代で国内外に200店舗を構える高級ブランドを育て上げた。6月には1971年(昭和46年)の創業以来初となる社長交代を控えるなど、世代交代を進める・・・

―社長を竹田欣克取締役に譲り、自身は会長に就任します。竹田氏に何か伝えたいことはありますか。
「経営者の役割ですね。野球の監督と一緒で、選手(社員)の技量をどれだけ引き出すかということです。大谷翔平さんみたいにホームランを打って投げるといった選手の立場から、皆が力を出すように気を配るコーチの方に徐々に仕事が変わってくるということでしょうか」

―「上に立つ者はコミュニケーション能力がないといけない」と普段から話されています。
「やっぱりコミュニケーションを取って、信頼し合わんと何にも進みません。上から命令するだけでは、そんなんだめですよ。部下は信頼されていると感じたときに初めて、気持ちを込めて仕事に取り組むのです」
「今でも月1〜2回、大阪府八尾市の本社のホールに社員を集めて『木村ラウンジ』という交流会を開いてます。上の者からコミュニケーションを取っていかないとあきません。隣り合って語り、本音を出し合うことで、信頼関係を築くきっかけができます」

―上司が部下に「あれやれ。これやれ」と一方的に命令する会社もたくさんある気がしますが。
「それだとやらへんと思います。僕が部下だったらそんなん言われたら働きませんもん。北風よりも太陽という見方もありますが、まさにその通りです。うちは昔からそうでして、風でビュンビュン吹き飛ばすより、あったかい太陽で包む感じですな」
「怒られないから環境に甘えて『このままでいいや』と思う人もいるかもしれません。でもそんなんおって当たり前です。それは仕方がないし、普通です」
「だいたいみんな向き、不向きがあって、自分が得意な部署にパッとはまったらとてもよく働くと思いますよ。だけど運悪く不得手な部署に入ってしまうと、一生懸命頑張ってても結果が出えへんから、見た目は下がっているように見えてしまいます。これはもうしょうがないです。社員全員それぞれにぴったり合ったポストを用意するなんてことはできないのですから」

―恐怖では人は動かせないと。
「恐怖心を与えるとか良くないですよね。それよりも信頼したり、尊敬したりしている人からの言葉だと『あの人のためにやりたい』となります。その方が仕事の成功率は高くなると思います。リーダーは絶対に信頼されることが必要です。『あの人といたら安心』とか、そういうのがすごい大事なんです。裏切られたりしたことはありますかって? いやいや、なんぼでもありますよ。別にそれはそれでいいと思います」

―若いころから自然にそう思っていましたか。何かきっかけは。
「僕はかつて小児まひで足が思うように動かんかったんですよ。この経験が大きいと思います。小学校の行き帰りはずっと車椅子だったんです。途中には坂もありました。同級生も含めてみんなが車椅子を押してくれないと学校なんか通えません。コミュニケーションとか信頼関係とか大事にせんとやっぱり1人では生きていけんのです。小さいときから自然に教えられたというか、学んだというか」

―「人間関係は相手が8で自分は2でいい」というのが信条だそうですね。
「僕は小さいときに8以上の恩恵を受けてきましたが、何も返せていません。9対1か10対0くらいでみんなやってくれました。借りた側は、なんかお返しせんとあかんと思っているわけです。そういう心の部分って大事やな、と。5対5なら、その後の人間関係の発展もないかもしれません。コンビニに行って買い物するのと同じです」
「だけど、取り分で自分が2で相手が8だったら『ちょっと木村に世話になったな。あいつええやっちゃな』となります。まずトラブルにはなりません。相手に付け込まれるかもしれませんが、それでいいんです。欲張る必要はないんです」

政府の大規模財政支出を伴う産業政策

2026年3月7日   岡本全勝

2月20日に行われた、高市首相の施政方針演説、「2 経済力(1)国内投資促進のための「責任ある積極財政」」の中に、次のような文章があります。

「世界を見渡せば、政府が一歩前に出て、官民が手を取り合って重要な社会課題の解決を目指す新たな産業政策が大きな潮流となり、各国政府は、大規模かつ長期的な財政支出を伴う産業政策を展開しています。
世界が産業政策の大競争時代にある中、我が国として、経済成長を実現するために必要な財政出動をためらうべきではありません。」

若者の報道不信に応える

2026年3月7日   岡本全勝

2月20日の朝日新聞オピニオン欄、藤村厚夫さんの「若者に信頼される報道スタイルを」から。

・・・若者にニュースがどう見えているかを、米国の10代を対象にして探った衝撃的な調査結果がある(「ニュースリテラシープロジェクト」2025年11月)。報告書によれば、10代(13~18歳・756人を対象)の8割以上がニュース(メディア)に否定的な感情をいだいている(前年の調査では7割近くが「意図的な偏向を加えている」とも見ている)。さらに、報道機関やジャーナリストらの振る舞いを「文脈を外れて写真や動画を切りとっている」(60%)、「情報提供に対価や便宜を与える」(51%)、「引用などの細部を粉飾する」(50%)などと見ていることもわかった。若者のニュースへの不信感はこのように深いのだ。

海の向こうの話だと思っていてはいけない。電通が24年に実施した調査で、高校生・大学生にとって「信頼できる情報源は、ほとんどない(信頼できる情報源だと思っている割合は、SNSを含めたほぼすべてのメディアが10%前後)」との結果が出た(電通マクロミルインサイト・若者まるわかり調査)。
内訳では、テレビ番組(ニュース)への信頼は31・1%と格別に高いものの、X、ユーチューブ、インスタグラムの情報より「新聞記事」は信頼が低く、11・1%にとどまる。国内でもニュース不信は深いと見るべきだ。

ニュースを報ずる側にできることはなにか。先にあげた米国の調査で、10代の若者が「改善すべき点」を回答している。「正直であること/事実を正しく伝えること」(283人)、「偏向の最小化/バランスの改善」(138人)が1位と2位にあがっている。続く「ポジティブ(前向き)な報道」と「重要な出来事の発信」がいずれも19人と大差があることから、ファクト(事実)への希求と偏向への危惧という対をなす命題が飛び抜けて大きい。
この現状を知れば、「報道をこれまで以上に正確に行っていく」では済まされない。若者の求めに応えるニュースの「創り方」と「語り方」が必要だし、そんな報道スタイルの実践を若者が見えるようにしなければならない。

「事実を伝える」「偏向の排除」を明示する報道スタイルの開発では、米国での試みが参考になる。まず、新興メディア・セマフォーの事例を紹介しよう。セマフォーでは、客観情報に絞って伝える「ニュース」、記者の視点や意見を伝える「ビュー」、注目すべきポイントなど、小見出しを付したセクションを設けて見せる。ニュースの読解を手助けするという意義もあるだろうが、「事実」と「意見」の違いを読者が理解して読み取れる効果が期待できる。執筆する側にも、「ニュース=事実」セクションでは事実に徹した記述を促されるはずだ。「だれが(述べたのか)」も明示せずに「との指摘もある」などとしたり、匿名コメントを乱発したりするような主観の押しつけにつながるスタイルは消滅を迫られる・・・

事後に人を論じ、局外に人を論ず

2026年3月6日   岡本全勝

毎日難解な古典漢文解説を続けている肝冷斎、時には私たちにもわかりやすい題材を取り上げてくれます。3月1日は「事後に人を論じ、局外に人を論ず」でした。時代と場所が違っても、人の性癖は変わらず、それを戒める人がいることも変わらないようです。

人多事後論人、局外論人。
(人多く事後に人を論じ、局外に人を論ず)
みなさんは、よく事が終わってから、それに関わった人のことを論(あげつら)う。あるいはその事件の外から、それに関わった人のことを論っている。

事後論人、毎将知人説得極愚、局外論人、毎将難事説得極易。
(事後に人を論ずるは、つねに知人を将(ひ)いて極めて愚なるを説き得、局外に人を論ずるは、つねに難事を将いて極めて易なるを説き得ん)
事が終わってから関わった人を論ずるなら、つねに知恵ある人を極めて愚か者だったと評することができ、事件の外から関わった人を論ずるなら、つねに困難な事案を極めて簡単なことだと評することができるわけだ。

政権への委任拡大 空洞化する民主政治

2026年3月6日   岡本全勝

2月18日の朝日新聞夕刊、藤原帰一教授の「政権への委任拡大 空洞化する民主政治」から。

・・・日本に限った現象ではない。かつてアルゼンチン出身の政治学者ギジェルモ・オドンネルは、多元的民主主義の条件を備えながら権力のチェック・アンド・バランスが失われてしまった政治体制の類型として、「委任型民主主義」という概念を提起した。ラテンアメリカ諸国で民主化が進展していると信じられていた時代のなかにあって、民主政治の発展は当然のものではないと指摘したのである。
オドンネルがこの概念を提起した1994年から30年が経ち、委任型民主主義、すなわち民主政治の外見のもとにおける政府への委任と権力の集中はラテンアメリカなどの新興民主主義国ばかりでなく、欧州や米国においても政治の日常になってしまった。ナチス・ドイツにおける全権委任法のような授権法を経ることがなくても民主政治は空洞化するのである。

日本の政治ではもともと行政権力に委任された権力の幅が大きい。政権与党と野党との間において公平・公正な競争が制度的に保障されてきたと言うこともできない。そして2026年総選挙によって、政府への委任がこれまでになくひろがるだろう。私は日本が独裁に向かっているとはまだ思わないが、チェック・アンド・バランスと政治的競合がこれまでになく弱体化することは避けられないと考える。

では、なぜ高市首相が支持を集めたのだろうか。フランスの政治学者ベルナール・マナンは、主著「代表制統治の諸原理」(初版は1995年刊行)において欧州における代議制は民主主義の一形態としてではなく、本来は民主主義とは異なるはずの貴族支配と結びつくことで生まれたことを論じ、代表制民主主義の誕生を、その内部の緊張を含めて多元的に考察した。
その主著の終章で、マナンは観客民主主義という独特な概念を提起している。かつての選挙研究は有権者の社会的・経済的・文化的背景によって政治的選好を説明できたが、現在では社会・経済・文化的背景が変わらなくとも選挙結果が変わるようになった。それを説明する要因としてマナンが注目したのが、政治におけるパーソナリティーの役割の拡大だった。政治家は有権者に直接呼びかけ、世論はイベントやコミュニケーション戦略によって左右され、コミュニケーションのエキスパートが政治活動家や政党の官僚に代わる役割を果たすのである。

観客民主主義といっても、観客が政治を左右するわけではない。選挙における選択のイニシアチブは有権者ではなく政治家が握っているからである。観客民主主義における有権者は自分の利益や心情を政治に伝える主体ではなく、政治家がコミュニケーションによって操作する客体に過ぎない。代表制民主主義における政治権力への委任はさらに拡大することになる・・・