岡本全勝 のすべての投稿

官僚機構、その場限りの対処、縦割りの弊害

松本三和夫著『構造災―科学技術社会に潜む危機』(2012年、岩波新書)に、「その場限りの想定を基にした対処療法の増殖の危険性」を取り上げたか所があります(p128)。日本における原子力発電を導入する当初のことです。放射線による障害防止に関する、各省の対応が紹介されています。

・・1955年10月16日、総理官邸で開催された超党派による原子力合同委員会で、・・放射性物質取締法案要綱が議論され、・・各省の見解が提示された。
厚生省は、X線などによる放射線障害の防止の問題と抱き合わせにして、医療法の中で扱いたいとする。通商産業省は、特殊危険物たとえば特殊高圧ガスの取り扱いに関する基準でじゅうぶん扱えるという見解を提示する。
労働省は、保健の問題も保安の問題も廃棄の問題も、いずれも労働基準法で扱えるという見解を提示する。人事院は、鉱石の粉じんの問題などに照らして、粉じんを集めた廃棄物の処理が必要との見解を提示する。文部省は、最終的には放射性物質の研究も使用も文部省で一括して行いたいとする。
・・関係各省が、みずからの所管担当業務のなかに放射線障害の防止の問題をとりこもうとする姿勢が見て取れよう。ここで重要なのは、その際に放射線障害は、X線、特殊高圧ガス、保健、鉱石の粉じんといった、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定して理解されている点だ・・その結果、放射線障害防止法案は、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定した対処療法として法案化され・・1957年6月10日に成立する・・

その場限りの対処と、各省の縦割りの弊害が、現れています。各省、特に各課に割り振られると、担当者は自らの所掌範囲内でしか答えが書けません。すると、「前例にあることはできる」「前例の拡大解釈の範囲内ならできる」=「それ以外はできない」となります。この答えをそのまま、内閣官房に提出すると、上のような結果になります。
このような弊害をどう防ぐか。また各省にまたがる課題を、どのように統合するか。担当窓口の一本化と、対処として漏れ落ちがないかをみる必要があるのです。
ただし、課題ごとに組織を新設するわけにもいきません。既存の組織と人員を活用しつつ、新たな視点で「統合する」。それが必要なのです。

平櫛田中展

今朝、NHK日曜美術館で紹介していたのを見て、小平市の平櫛田中彫刻美術館へ、行ってきました。そう遠くないところに、こんな良い美術館があるとは、知りませんでした。中央線の国分寺駅から西武線に乗り換えて一駅。そこから歩いて10分でした。東京近郊にお住まいの方は、必見ですよ。
平櫛田中の旧宅を保存し、その横に展示館を建ててあります。横を玉川上水が流れ、前は一橋大学(小平キャンパス)の住宅街です。今は、大きな回顧展をやっています。
平櫛田中といえば、国立劇場のロビーにある、鏡獅子が有名です。この美術館には、4分の1のものが飾られています。
ところで、広くて立派なご自宅ですが、98歳の時に建てて、107歳で亡くなるまで住まわれたとのこと。また、あと30年分の彫刻の材を、用意しておられたのだそうです。色紙に書かれたモットーは、「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」。
まだ50代のはな垂れ小僧として、反省。

日中韓の間の摩擦

朝日新聞、9月28日オピニオン欄、橋本治さんの「『みんな』の時代」から。
・・「国民」という括りが、日本人の中から遠くなっているように思う。竹島や尖閣諸島の問題で、韓国や中国は「国民的な怒り」を爆発させているが、今の日本にそういうものはない。韓国や中国のやり方に対して怒る人はもちろんいるだろうけれど、多くの人は彼の国の反日行動を見て、「あの人たちは、なんであんなに怒っているんだろう?」と、そのメンタリティを不思議に思うのではないだろうか。どうしてかと言えば、そのような行動をとる習慣も、そのようなことをしてしまうメンタリティも、日本人はいつの間にかなくしているからだ・・
「平和ぼけ」と言われてしまえば確かにそうだが、それを言う前に考えるべきことがある。それは、いつの間にか日本人が「自分たちは日本国の国民だ」という考えをしなくなっていることである。日本人が日本人であることを意識するのは、外国に行って帰って来てラーメンを食った瞬間くらいのものになっているのかもしれない。日本人の多くは、「日本国民の一人」と思うよりも、「自分はみんなの中の一人だ」と思いたいのだろう・・

同じく28日の朝日新聞、村上春樹さんの「魂の行き来する道筋」から。
・・尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている・・
この20年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた・・
一部だけを紹介しているので、原文をお読みください。

所在不明の高齢者

9月29日の朝日新聞東京西部版に、杉並区の所在不明高齢者実態が載っていました。区の調査は、75歳以上の区民5万4千人のうち、介護認定を受けていない人や介護サービスを受けていない人1万8千人を訪問調査した結果です。
昨年7月から、民生委員、看護師、ケアマネージャーを動員し、訪問調査をしました。電話でも面接でも本人確認できなかったケースについて、今年4月から区の職員が直接調べに入ったそうです。その結果、5人の方の所在がわからなくなっていました。年齢は76歳から94歳です。5人の住所には、それぞれ息子や娘、知人と名乗る人が住んでいますが、「どこに行ったかわからない」といった回答です。う~ん。
区の調査は、福祉の需要を開拓するのが目的でした。行方不明高齢者の調査ではありません。よって、年金をいつまで受給していたか、事件性はないのかなどは、わかりません。
問題はこれからです。
区は、良い調査をしたと思います。2万人近くの人が、介護サービスや医療を受けていないことは、大きな問題です(ちなみに杉並区の人口は54万人、65歳以上人口は10万人です)。75歳以上で、健康な人ばかりとは思えません。制度はできているが、漏れ落ちている人がいるのです。
もう一つは、次のような問題です。一人の高齢者にいくつかのサービスや制度(年金、介護、医療、住民基本台帳などなど)が関わっています。しかし、一人の人に対し、これらの制度をまとめて、包括的に見る仕組みがありません。健全な人なら良いのですが、弱者には制度がばらばらに担当するのではなく、できれば一人の人・一つの窓口が効果的です。これは、高齢者だけでなく、引きこもりの若者対策などでも同じです。
私の提唱している「国民生活省構想」は、この視点も入れたものです。サービス提供者側でなく、受ける社会的弱者から考えようとする仕組みです。

シビリアンコントロール、専門集団の機能と管理

危機で試される制度と組織」、サミュエル・ハンチントン著『軍人と国家』(9月26日の記事)の続きです。

ハンチントン(ハンティントン)教授は、『文明の衝突』などで有名です。1927年生まれで、『軍人と国家』は1957年に出版されています。ということは、20代の若さで、この本を書かれたのですね。
実は、北岡伸一先生の『官僚制としての日本陸軍』(2012年、筑摩書房)のあとがきに、『軍人と国家』が紹介されていたので、読み始めました。あとがきには、次のように紹介されています。
「かつてサミュエル・ハンティントンは、しばしば類似した性格を持つとされる日本の軍隊とドイツの軍隊を比較して、実は両者の差はきわめて大きいと指摘したことがある。ドイツはプロフェッショナリズムによって特徴づけられるのに対し、日本の陸軍はその欠如によって際立っているというところが、そのポイントだった・・」
『軍人と国家』では、「第5章 ドイツと日本におけるシビル・ミリタリー・リレーションズの実際」で分析されています。北岡先生の本を読んでいる途中なのに、ハンティントンの本に手を出すという、私のいつもの悪い癖です。もっとも、北岡先生の本に手を出したのは、先生のファンであることととともに、日本の軍隊がなぜ国を滅ぼしそして自らの軍隊を滅ぼしたか、広い意味での官僚機構の一つとして軍隊組織がなぜ失敗したのかに関心があるからです。
国を守るべき軍隊が、戦争を引き起こし、さらに拡大し、結果として国を滅ぼした上に、自らの組織(軍隊)を消滅させたのです。

私のライフワークの一つは、官僚制です。官僚制を内側からどう改革するか、そして、日本の政治行政や社会の中でどのように位置づけ機能させるかを、考え続けています。
官僚制の欠点を改革するには、官僚機構の改革(内なる改革)とともに、政治との関係や社会の中での位置づけ(外との関係見直し)という視点が、必要です。その点で、『軍人国家』は、きわめて有用です。
「機能的に見て、いかに合理的なシビル・ミリタリー・リレーションズも、その国の大多数の国民の作り出すイデオロギー的環境と無関係には存在し得ないことを、ハンチントンの分析は明確に示している」(訳者まえがき)のです。
すなわち、シビル・ミリタリー・リレーションズを体系的に分析する際の基本的構成要素として、「政府における軍事組織のフォーマルで構造的な地位」「全体としての政治および社会に対する軍人グループのインフォーマルな役割と影響力」「軍人グループと非軍人グループのイデオロギーの性格」を挙げ、「これらの要素のうちどれか一つが変化すれば、かならず他の要素にも変化を引き起こす・・」(著者まえがき)のです。
著者は、この文章に引き続いて、次のようにも書いています。「たとえば、日本やドイツの将校団にみられるイデオロギーの差違は、それぞれの社会で彼らが行使した権威と影響力の差違、並びにそれぞれの社会のイデオロギー的局面の差違に直接関連していた・・」。

いつも繰り返しているように、「日本の官僚制が優秀と評価された後、この20年で評判を落としたこと。これは、日本の官僚が変わったというより、社会が変わっているのに官僚が変わっていないことに原因がある」というのが、私の主張です。