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日立製作所で講演、企業への期待

今日は、日本を代表する、いえ世界的な大企業に呼んでいただき、幹部の前で「復興の現状と課題」をお話ししました。
大変な打撃を受けた東北のインフラやサービスが、企業の努力によって、すごい早さで復旧したこと、また1年前にはサプライチェーンの寸断で悲観的だった日本経済が急速に回復したことについて、お礼を言いました。そして、復旧が進んでいない地域は、津波被害地と原発事故被害地域であること、これらの復旧には時間がかかることを説明しました。
このホームページでも書いていますが、地域の復興には、インフラ復旧だけでなく、サービスの再開、働く場の復旧が必要です。これらは、行政だけでは達成できず、企業の貢献が必要です。
ただし、被災地において大企業に、一律に復興への協力をお願いすることは、効果的ではありません。誤解を恐れずに、次のようなことを、お話ししました。
1 特に被害を受けた東北3県の人口や経済規模は、日本全体の約5%でです。もちろんこの地域の復興に協力いただきたいのですが、この地域の生産額を2倍にするよりは、残りの95%の地域の生産を10%増加させる方が、日本全体の経済が大きくなります。そして、その「上がり」を、東北につぎ込んでほしいのです。
2 東北3県でも、新幹線と高速道路の走っている内陸部の回復が早いです。また、労働力や諸条件も、沿岸部に比べ優位です。例えば、大きな津波被害を受けた岩手県沿岸部は、盛岡から片道で2時間から2時間半かかります。条件は決して良くないです。関東地方、東北の便利な地域、そして不便な地域と、それぞれ条件が違うので、それに応じた協力をお願いしたいのです。

企業チームによる復興支援

凸版印刷が、「共創造する復興推進プロジェクト研究会」を立ち上げてくださいました。
企画書には、次のようなことが書かれています。
「・・企業の支援活動についても、現地のニーズに対しミスマッチが生まれている、事業活動との両立が難しくなってきている、1社単独での活動に限界が見えはじめるなどの課題が出てきています。こうした状況をふまえ、多様なノウハウ・技術を持つ企業群と、現地のニーズを捉えるNPO、まちづくりの推進主体である自治体が課題や目標を共有し「共創造」することでプロジェクトを起こし、復興のスピードアップに貢献すること、あわせて復興課題・社会的課題の解決と、企業の経済的価値を両立させる事業を創造していくことを目的とします・・」
メンバーには、住宅会社、銀行、コンビニなど様々な業種の企業が参加してくださっています。ありがとうございます。復興の現場は、行政だけでなく様々な主体による「実験の場」だと思います。この企画も新しい試みとして、復興庁も協力していきます。

産業復興への支援

今日10月26日、復興予備費の使用(1,200億円)を、閣議決定しました。経済危機対応などの予備費使用(3,700億円)に含まれています。
内訳は、福島の企業立地補助金402億円と、中小企業復興のためのグループ補助金801億円です。それぞれ現行制度が評判良く、予算が足らなくなったので、被災地から予算追加の強い要望が出ていたものです。福島の立地補助金は、現行予算額1,700億円に402億円を追加するので、合計2,102億円になります。中小企業のグループ補助金は、現行予算額2,003億円に801億円を追加するので、合計2,804億円になります。
今回の大震災の復興過程で、これまでとの違いは、政府が産業復興に力を入れていることです。阪神淡路大震災では、このような予算はなく、またその必要も小さかったのです。
結構大きな金額ですが、インフラ復旧の予算額に比べれば、そんなに多額にはなりません。そして、これらの企業が、雇用の場を作り、まちの賑わいを作ってくれます。その効果は、大きいのです。いつも指摘しているように、暮らしの再開とまちの復旧には、インフラ復旧とともに、サービスの再開と働く場の復興が必要なのです。「道路は出来たけど、住民は失業中」では、暮らしの再開にはなりません。
「官は、経済には介入しない方が良い」という原則は、そのような条件がそろっている場所で通じる原則です。民の暮らしを成り立たせることは、政治の大きな役割です。

意見が違う者の間の同調と理解

平田オリザ著『わかり合えないことから―コミュニケーション能力とは何か』(2012年、講談社現代新書)を読みました。表題にあるように、最近コミュニケーション能力が求められるけれども、わかり合うとはそんなに簡単なことではないことが、書かれています。
私流に理解すると、次のような主張です。
100人いれば、100人それぞれ考え方に違いがあります。いえ、2人でも、考え方が違います。夫婦の間ですら、嗜好に違いがあるのですから。洋食が好きか、和食が好きかとか。
その違いを無視して、相手のことをすべて理解しようとするのは、無理です。すべて理解する、あるいは理解してもらうのは、相手またはその集団に「同一化」「同調」することです。かつての、日本のムラ社会や会社への同調です。自己主張を殺して、大勢に従います。あるいは、奥さんの言うことに異論を唱えず、「服従すること」です(笑い)。
中高年の管理職が若者に求めるコミュニケーション能力は、実は「俺が言わなくても察してくれよ」「場の空気を読んで、反対意見を言うなよ」という、組織への同調です。意見が異なるものの間での、コミュニケーションではありません。
平田さんの主張に関しては、このHPでも取り上げました。「会話と対話と論戦と」(2012年7月14日の記事)。

私が考えるコミュニケーション能力とは、まず、自分の考えや好き嫌いを発言することです。黙っていて、「察してくれ」は、永年一緒に暮らしている夫婦でも難しい場合があります。次に、相手の主張を聞くことです。それを聞かずに、先回りして準備しても、間違っている場合があります。そしてお互いの意見を言い合った後、ここは同意するが、そこは同意できないということを、お互いに認識することでしょう。その後に、どちらの主張に合わせるかは、力関係によって決まります。会社では、部下は上司の意見に従い(いやなら辞める)、夫婦の場合は、夫が妻に従います。通常は。

大学入試は何のため

10月23日の日経新聞1面連載「大学開国」は、「入試は変わるか」でした。
・・多くの生徒が難関大に進む高校から、現行入試への疑問の声が相次ぐ背景には、時代が求める能力と入試で測られる力のズレがある。
「高校の国際化の障害は入試だ」。埼玉県立浦和高の関根郁夫校長は言う。英国のパブリックスクール(私立名門校)と交換留学協定を結ぶ同校。過去6人の生徒が渡英し、全員がケンブリッジなど英有力大学に進んだ。
課題は、受け入れだ。英国生徒の来日は、2008年度が最後。「高校の授業は、日本の大学にしか通用しない入試対策が中心。生徒同士の議論などが少なく、海外の高校生にはつまらない」と同校長。知識の活用力も問う入試への転換を提言する・・
う~ん。国内で勝負するか、世界で勝負するかのズレですね。