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歴史の教訓

アーネスト・メイ著『歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか』(原著1973年、邦訳1977年。私が読んだのは、2004年、岩波現代文庫)を、紹介します。外交の古典とも言うべき本ですから、お読みになった方も多いでしょう。文庫本になって、読みやすくなりました。
この本の主旨は、外交政策形成者は、現在の問題を処理するときに、よく過去の事例からの類推を行う。しかし、その際に、しばしば間違って当てはめることです。第2次大戦、冷戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争を取り上げて、具体的に分析しています。それぞれ、アメリカ政府が、その参加(開始)、継続、終結に、決断を迫られました。
「なるほど、そのような別の選択肢もあったのか」と、考えさせられます。「歴史にifは無い」といわれます。たしかに、現時点からさかのぼると、ifはありません。時計の針を戻すことはできません。しかし、現時点で歴史を作っている責任者としては、別の選択肢(たくさんのif)を考えて、1つを選ぶ権限と責任があります。そこに、政治の重さ、政治家の責任(助言者の責任)があります。
詳しくは本を読んでいただくとして、本筋から離れますが、私が考えたことを書いておきます。
朝鮮戦争の場合です。第2次大戦後、南朝鮮を占領したアメリカですが、ソ連との関係で継続を主張する国務省に対して、陸軍は早期撤退を考えていました。シベリアや中国での作戦には、朝鮮半島を迂回し、直接に空爆をかければ、敵が半島を支配していても価値がないという説明です(p85)。
途中の経過を省略しますが、アメリカも同意して、国連で全占領軍の朝鮮からの撤退が採択されます。1949年6月には、アメリカ占領軍は朝鮮から撤退します。1950年5月時点で、ソ連が朝鮮を侵略する可能性があるとしても、アメリカは軍事力を用いないというのが政策でした。
しかし、6月24日に北朝鮮軍が南に侵攻したとき、アメリカは国連の決議を手に入れ(ソ連がたまたま欠席していました)、北朝鮮との戦闘に入ります(p98)。
有名なジョージ・ケナンは後に、国連が「形式的には内戦であったものを(国連の管轄事項として)承認したこと」に驚いています(ちなみに、彼は当時、国務省で3番目に重要な人物だったそうですが、電話のない農場で週末を過ごしていました)。
・・大体アメリカ政府が、国連安全保障理事会の取るべき行動をそこで提案する必要はかならずしもなかった。アメリカはもはや占領統治国ではなったのだから、朝鮮を守る特別の責任など持ってはいなかった・・(p106)
アメリカが事前の方針とは異なり、戦争に入ったことには、国際的に威信を示すことのほか、トルーマン大統領が選挙対策(支持率アップ)のために決断したという説もあります。ここは、本を読んでください。
事前の方針通りに進んだら、かなりの確率で朝鮮半島は北朝鮮の支配下に入ったでしょう。若いときに、先輩が言った言葉を、覚えています。「釜山まで赤旗が立ったら、日本の社会や政治は変わっただろう。戦争の放棄や非武装中立などを、お気楽に言っていられないだろう」。1990年代前半、初めて韓国を訪れたとき、ソウルの金浦空港ロビーに自動小銃を構えた兵士が立っていました。たぶん徴兵された若者でしょう。北と対峙している韓国を実感し、隣国なのに大きく違うことを学びました。
この本は、9月4日に「責任者は何と戦うか、その5。議会と世論」で引用しています。その後、書こうとして放ってありました。もっとも私の本業は公務員なので、この「日記兼副業」の怠慢は許しましょう。飲まなけりゃ、もっと書けるのに。
肝冷斎も、ぶつぶつ言う割には、毎日せっせと書き連ねています。しかも、もう一つページを書き続けているのです。

新しい東北、先導モデル事業

「新しい東北」の「先導モデル事業」を66件選定し、発表しました(報道)。
東北地方は発災前から人口減少、高齢化、産業の空洞化等の課題を抱えています。単に現状復旧するのではなく、震災復興を契機として、こうした課題を解決し、我が国や世界のモデルとなるような「新しい東北」の創造に取り組んでいます。幅広い担い手(企業、大学、NPO等)による先導的な取組を加速するため、モデル事業を選定して支援するものです。
新しい東北」には、3つの事業が含まれています。この「先導モデル事業」、「人材プラットフォーム」と「投資プラットフォーム」です。

民間人の被災地派遣応援の仕組み

今日、被災地への民間からの人材派遣を応援する仕組み(人材プラットフォーム)を正式に立ち上げました。「ワーク・フォー(Work For)東北」という名前です(記者発表資料報道)。
被災地に人を送る手法としては、既に、自治体から自治体への応援や、民間人を国家公務員に採用して送る手法を行っています。被災地を応援したい民間企業や民間人と、技能を持った人材を求めている被災地とをつなぐことは、NPOや経済団体が行っています。今回、この部分について復興庁が乗り出し、その「つなぎ」を支援しようというものです。派遣先としては、自治体だけでなく、観光協会やまちづくり会社など公共性のある団体も含まれています。
Work For 東北のサイトを見ていただくと、概要や実例が載っています。
・・当社では今回の派遣の意味を、CSRやビジネスにつなげることよりも、社員育成の機会として捉えています。もちろん新しく地域と関係を築けるのは具体的メリットですが、一番はさまざまな人とのコミュニケーションの中で答えのない課題に挑戦することによる、1人の社員の人間的な成長に期待しています。
課題に対してまず「変えられる」「解決できる」と前向きに捉え、実現のためにあらゆる手段を考える人材。意見の違うさまざまな人と協力してやり遂げられる人材。このような人材が、企業風土を醸成し、最終的にはイノベーションとしてビジネスに活かされる形で返ってくるのだと思います・・(派遣してくださった企業の声)。
・・すぐに直面したのは、東京や民間企業との様々な違いでした。以前は目標とするターゲット数字は明確で、実施にあたってはスピード感が強く求められた。ビジネスの判断の多くは数字をベースにできました。ただしここでの仕事は、進むべき道も明確にしきれないところがあるし、見ている町の未来は5年10年先のもの。コミュニティとしてさまざまな人間関係もあります。どちらが良いというのではなく、文化が違う。一律にビジネスのしくみを持ってくるのではなく、いかに双方がフィットする形で復興を前に進められるのか、大きなチャレンジです・・(派遣された職員の声)。
説明会のお知らせはこちら。企業向け個人向け
発災直後は、避難所の支援とかがれきの片付けとか、比較的単純作業が多く、経験のないボランティアも有用でした。しかし、まちづくりを支援するなどになると、ある程度の技能や経験を持った人で、継続的に仕事をしてもらう必要があります。「行ってみたら、思っていたこととは違う仕事をさせられた」などという問題も起きます。被災地が求める人材と、送りたい人材をマッチさせることが重要になります。
NPOの力を借りつつ、行政が乗り出すという、これまでにない試みです。人の募集と応募は、これまではハローワークや紹介会社の仕事でした。これらではうまくいっていない、また少し違った手法を、試みます。

天網恢恢疎にして

「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉を、ご存じですか。私は、小学生の時に父親から聞いて、当時は意味はよく分からないままに、頭に残りました。その後、この言葉の意味は学習しましたが、社会人になって、この言葉が使われる場面に、いくつか違った局面があることに気づきました。
1つは、泥棒が、結局は捕まるという、勧善懲悪の場面です。神様は見ているのです。これが原義です。
もう一つは、がんばっている職員が報われず、うまく立ち回っている他の同僚が出世する局面です。この場合は、「神様、真実を見てください」という願望です。
私は、「最後は、神様が見ていてくださる」、あるいは、棺桶に入ったときに、神様に対して、「私は、正しいと思う道を選びました」と申告できるように、この言葉を信じています。(2013年10月2日)

昨日の記事「天網恢々疎にして」について、読者から、次のような便りがありました。
「天網は疏(疎)で、たまに漏らしてくださることもあります。そのおかげで、私は助かっているのかも知れません」と。
なるほど、そのような場合もあるのですね(笑い)。他方で、その網にひっかかって、天を恨んでいる人もおられるのでしょう。

復興計画の見直し

9月26日の毎日新聞に、「防潮堤の3割、基準より低く」という記事が出ていました(古くなってすみません)。
・・東日本大震災の津波で防潮堤が壊れた岩手、宮城、福島3県計420地区のうち、約29%に当たる120地区で、当初各県が定めた基準より低い堤防が整備されていることが毎日新聞社のまとめで分かった・・。
これは、記事の中でも説明されているように、住民からの景観悪化や漁業への影響を懸念して見直しを求めたり、住宅が高台に移転するので高い堤防は不要との意見を取り入れて、計画を見なおしたからです。市町村役場が提案して、住民が受け入れた事例もあります。
「行政は、一度計画を作ったら、なかなか変更しない」という批判がありますが、東日本大震災からの復興では、できるだけ柔軟に見なおすことを心がけています。市町村にも、お願いをしています。
当初はいささか混乱した中で計画を作ったこと、役場や住民が議論を重ねるうちに計画が変わることがあるからです。貴重な国民の税金を使っているので、後で「無駄だった」と言われることのないようにすることは当然です。