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新しい東北、先導モデル事例

「新しい東北」先導モデル事業の一つに、「保育所を活用した生活不活発病防止食事受け取り事業」があります。復興推進委員会に出した「資料1-1」では、p44です。高齢者の自宅へ食事(弁当)を配達して支援する事業は、多くの地域で行われています。今回の事業は、宅配するのではなく、保育園まで食事を取りに来てもらうのです。それによって、家に閉じこもることなく外出してもらう、そして幼児と交わってもらうことを狙っています。これは、日本栄養士会等の提案です11月11日に岩手県野田村で行われた例は、岩手日報で取り上げられました。11月12日付け「仮設高齢者と温かお昼ご飯 野田村保育所」。

原発避難区域、住民意向調査

復興庁では、福島県と町村と一緒に、原発事故で避難区域になっている町村の住民に、帰還の意向などを調査しています。
福島県双葉町と大熊町の住民への調査で、「戻らない」と答えた人が去年より10ポイントほど減り、50%台になりました(NHKニュース)。これまでは3分の2の人が戻らないと答えていましたが、半分強に減ったのです。その理由として、復興の構想を示したことや、大熊町では復興拠点の整備が始まるなどによって、住民の意識が変わったのではないかと推測しています。もっとも、帰還すると答えた人は1割強で、厳しい現実に変わりはありません。

国会、復興特委の活動

報道によると、世間では衆議院の解散が取りざたされています。復興庁は、そんなこととはお構いなしです。17日月曜日には、衆議院復興特別委員会が、宮城県と福島県の2班に分かれて現地視察に行きます。参議院では、復興特別委員会が開かれ質疑があります。
ということで、金曜夜は、職員が作ってくれた委員会質問の答弁案を確認しています。また、視察に同行する予定でしたが、無理なので、別の職員を派遣します。

豊かな社会が生むリスク

11月20日の朝日新聞、神里達博さんの「月刊安心新聞。不安の源、豊かさを求めた末のリスク」から
・・いつの頃からか私たちは、新聞を開くと不安になるようになった。この夏以降だけでも、目を疑うような記事がいくつも思い出される。
住宅街が土石流にのみ込まれ、行楽客でにぎわう火山も噴火した。動機不明の犯罪が多発し、近隣諸国との不協和音も収まる気配がない。景気回復の実感は庶民に届かぬまま、国の借金だけは増え続ける。夏にはデングがやってきて、さらには、ずっと凶悪なエボラが越境の機会をうかがっている。
これらは、ジャンルも異なるし、深刻さもまちまちだが、いずれも私たちに不安を引き起こすことだけは間違いない。そんな気がかりなニュースが絶え間なく届けられる毎日。いやもちろん、それは新聞に限らない。およそ現代のメディアは、「安心」とは縁遠い存在なのだ・・
・・社会が変化していく理由は、単純ではない。だからどんな説明をしてみても、言葉はどこかしっくりこない。それでもあえて文字にしてみるならば、不安の大本の原因は、私たちの生きる世界が、複雑に絡み合い過ぎたこと、といえまいか・・
・・しかし、物質的に豊かになってくると、人は徐々に新しいモノを望まなくなる。それよりも、獲得した幸せが失われることを、恐れるようになる。築いた富が奪われる可能性、キャリアや名誉を失う可能性、自分や子孫の健康が損なわれる可能性、そういう「リスク」に注目が集まるようになってくる。そうやって不安なニュースも増えていくのだ。
このように、豊かさを求めた結果新たなリスクが生じ、また豊かであるがゆえにリスクが気になる、そういう現代社会のありようを、ドイツの社会学者ベックは「リスク社会」と名付けた・・

私は、拙稿連載「社会のリスクの変化と行政の役割」月刊『地方財務』(ぎょうせい)で、現代社会のリスクを論じました。特に、第3章(2011年1月号)で、「新しいリスクはなぜ生まれるのか-豊かさの影」では、次のような項目を立てました。そして、科学技術の発達が新しいリスクを生むだけでなく、豊かな社会が新しいリスクを生むことを指摘しました。
1 新しいリスクとは何か
2 科学技術が生む新しいリスク
3 豊かな社会の新しいリスク
なお、この連載は、2011年4月号で中断しています。リスクを論じる立場から、その対応と復興に従事する立場になって、時間がとれなくなったのです。

イデオロギーが持つ怖さ

読売新聞「編集委員が迫る」11月7日は、佐瀬昌盛・防衛大学校名誉教授の「冷戦終結25年」でした。戦後日本で、マルクス主義が大きな影響力を持ったことについて。先生は、1961年のベルリンの壁建設開始直後に、ベルリンに留学されました。
・・ベルリン留学から帰り、NATOの研究を志したところ、学界からは白眼視された。NATOは米帝国主義の組織だから研究すること自体がけしからん、というわけだ。防衛大学校の教官に決まると、既に決まっていたある出版社の全集の執筆者から外された。
世界は東西冷戦だったが、日本は国内で冷戦を戦ったと言える。西欧諸国にもマルクス主義者はいたが少数派だった。知識人が二分されたのは、日本だけだ。
知識人の中で中道という考え方は人気がなかった。冷戦が終わりマルクス主義の権威は地に落ちたが、相変わらず白黒の二分法の考えで、中道嫌いは今も続いている。中道とは左右を足して2で割った考えではなく、それ自体の独立した価値がある。言い換えれば、人間性の洞察に基づく健全な常識のことだ。21世紀にこそ、中道が根づいて欲しい・・