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レインボーハウス、震災遺児孤児の心のケア

先日、岩手県に視察に行きました(9月29日の記事)。その際に、陸前高田市のレインボーハウスに、おじゃましました。
この施設は、昨年できました。レインボーハウスは、親を亡くした子どもたちのケアをしてくださる施設です。あしなが育英会が運営しています。あしなが育英会は交通事故遺児が有名ですが、震災遺児孤児のケアもしてくださっています(仙台、石巻、陸前高田)。財源は寄付金です。

1か月に3日程度、子どもたちが(親も)集まり、職員(お兄さんやお姉さん)が話を聞いたり遊んでくれます。このような施設は、建物を見ても機能はわからず、かといって活動中はおじゃまになります。当然、私の視察した日はお休みの日で、別の用途に活用されていました。

行政でも、遺児孤児には財政支援をし、学校でもカウンセリングをしています。親を亡くした心の傷は大きく、また子どもはそれをうまく伝えることができません。学校には行くが、保健室で過ごす子どももいます。
行政の手が回っていない分野を、NPOが支えてくれています。この子たちの相手をして話を聞くことは、難しいことです。スタッフは専門訓練を受けています。「当時まだ赤ちゃんで、親の死の意味がわからなかった子どもが、4年経ってだんだん意味がわかるようになってくる」という指摘は重かったです。
このような活動を、行政がどのように連携を取り支援協力するか。課題です。学校(教育委員会)は「学校の外のことだ」と言うでしょうし、市長部局には担当組織がないでしょう。

被災地での人手不足

被災地では、人手不足が課題になっています。それにも、いくつかの種類があります。
まず、役場職員が不足しています。他の自治体から応援職員がたくさん入っているのですが、これも限界があります。市町村が任期付き採用で増やしていますが、必要数全員を集めることができません。応募者が少なく、特に建設関係の技術者は企業と取り合いになっています。
次に、医療、介護、保育の現場です。復興が進み、住民が戻ってくるので、これら施設を再開しています。ところが、従業員を確保できないので、施設はあるのに受け入れることができないのです。例えば10月3日の福島民報は、保育園の待機児童が急増したことを伝えています。特に、南相馬市については、次のように書いています。
・・・避難区域を抱える南相馬市は住民の帰還が進む一方で、保育所や保育士の不足が続いていることが影響したとみている。同市では、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で6つの公立保育園のうち、開所しているのは3園のみ。来年度中に1園を再開させる考えだが、担当者は「震災から4年半が過ぎて住民の帰還はさらに加速するとみられ、待機児童は今後も増える可能性がある」と危機感を募らせる・・・
先日、南相馬市長にお会いしたときも、この保育所のほか、老人保健施設や病院の「空きベッド」(ベッドはあるけど、職員不足で受け入れることができない)を訴えておられました。
もう一つ、産業従事者が集まらないのです。被災地では水産加工施設など働く場が復旧し、また野菜工場など新しい産業もできています。ところが、従業員が集まらないのです。通常は、「働く場がないので、過疎になる。だから産業振興や企業誘致をする」です。被災地では、逆のことが起こっています。「外国人労働者を入れよう」という声もあります。それも必要でしょうが、都会に出て行く若者に戻ってきて欲しいです。「若者が戻ってくる魅力ある町つくり」が必要ですが、これは一筋縄ではいきません。

充実した毎日

今日10月4日日曜日、遂に休日出勤を敢行。誉めた話ではないです、はい。先週は、昨日も入れて4日も出張。机の上に書類が山になっています。急ぎのものは処理してあるのですが、1週間ごとに片付けないと、あとが大変なので。
2つ抱えている原稿は、一つは連載なので、割り切りながら進捗。もう一つは共著なのですが、これは書きたいことが次々と出てきて、一進「二退」です。執筆の時間を確保するためには、異業種交流会を早めに切り上げる、新幹線中で頑張る、家での晩酌もそこそこにする。よって、今週末も、充実した休日でした。

勢力均衡や覇権でない国際秩序・その2

引き続き、ジョン・アイケンベリー教授の主張です。
リベラルで民主主義的な世界秩序は、戦勝国アメリカが主導したものです。それは、いくつかの原則によって成り立っています。
1つは、経済の開放性です。1930年代のイギリス、ドイツ、日本によるブロック経済と世界経済の崩壊を、再び起こさないためです。平和で安定的な世界秩序のために、経済の開放性は必須だとアメリカは考えました。
2つめは、西側政治経済秩序を共同で管理するという原則です。これも、1930年代の経験から学びました。一国による押しつけや、相互の敵対的競争ではなく、制度やルールを作り、参加各国によって共同管理するのです。
教授はまだいくつかの原則を挙げていますが、ここでは主要な2つを紹介しておきます。

そして教授は、戦後アメリカの国際的なパワーは、一方的な力の行使ではなかったと主張します。
すなわち、リベラルで民主主義的な世界秩序は、西側各国の参加による共同の管理によって成り立っています。制度やルールづくりがアメリカによって主導されたのは事実ですが、多国間の条約による安全保障と貿易、多くの国が参加するいくつもの国際機関によって成り立つこの秩序は、大国にとっては「面倒くさい」ことです。小さな国も、超大国アメリカと一応は対等の立場に立って、交渉します。
しかし、超大国がその力を背景に一方的に押しつける秩序は、相手国に不安と不満を生みます。それよりは、双方の合意による秩序は、強固です。戦後、圧倒的はパワーを持ったアメリカは、使おうとすればできたパワーを抑制し、西側各国を安心させ、味方につけたのです。
勢力均衡や覇権主義でない、共同管理の秩序であり、ルールによる支配です。そのルールを、参加各国が作ります。小さな国にも、発言権があります。もちろん、すべて平等ではなく、大国が拒否権を持ったりします。この手続きには、手間暇がかかります。
武力や経済力による「力の押しつけ」ではなく、「制度や場」による権力です。スーザン・ストレンジが提唱した「関係的権力」と「構造的権力」と、同様の見方です。
権力が一元化した「世界政府」がない、主権国家の集まりである現在の世界政治では、これが最良の策なのでしょう。

とこで、この本では、日本とドイツは「半主権的な限定的大国」と位置づけられています。NATOや日米安保条約によって、この2国は、国際条約の下で行動や軍備に制限を受けます。それによって、戦前のような軍国主義・冒険主義に走ることを防いでいます。
その見返りとして、アメリカは両国の防衛を一部肩代わりし、安全を保障します。それは日本とドイツにとってのメリットだけでなく、アメリカとともに、日独の周辺国にも安全をもたらします。そのような見方もあるということですね。

今日は、郡山市

今日は、郡山市へ出張。地域活性化センターと共催で、「地域に飛び出す公務員と地域おこし協力隊・集落支援員・復興支援員の集い」を開きました。そこで、少しお話しするためです。地域おこしを支援する「人の派遣」を、総務省が行っています。地域おこし協力隊、集落支援員。民間人を地方に送り、その経費を地方交付税で支援します。
復興庁でも、生活相談員のほか、復興支援員をこの仕組みを使って送っています。また、ワーク・フォー・東北で専門家を送る仲立ちをしています。
発表者の中に、福島県田村市の避難指示が解除された都路地区で頑張っている2人もいました。今日の会合でも、支援員たちの熱い熱意と、人脈の広さや広げ方に感心しました。田舎の町でよそ者が入って活性化をする。これは、簡単なことではありません。その壁を打ち破っている若い人たちに、エールを送ります。
ところで、今週は岩手県に2日、会津若松市、郡山市と合計4日出張でした。