秋の3連休

3連休、皆さんはどのように過ごされましたか。多くの地方で、天気にも恵まれたようです。我が家のアサガオは、まだいくつか花をつけています。

私は、孫の都合で少ししか遊んでもらえず、新型コロナウイルス予防接種もしたので(翌日は結構だるい)、おとなしくしていました。
おかげで、連載「公共を創る」の原稿執筆に、集中することができました。この先の構成がまとまらず、困っていたのです。書いては読み返し、加筆することを繰り返しました。早朝から取り組むと、頭がさえていて進みます。午後は、だめですねえ。
まあまあ満足できる形になりました。右筆に見てもらいます。また、鋭い指摘があるでしょう。一人で悩んでいるより、一人で満足しているより、良いものができあがります。

肝冷斎は、野球観戦(こんな時期にやっているのだ)と、現地調査に精を出しているようです。

政治の情報化

10月3日の朝日新聞夕刊で、野口陽記者が「データ化に遅れ 政治資金、分析可能な公開を」を取り上げていました。

・・・自民党派閥の裏金作りは、遅くとも十数年前から続いてきた。発覚したのは、政治資金収支報告書の記載漏れを「しんぶん赤旗日曜版」が報じたからだ。
報告書は全ての政治団体が公開を義務づけられている。派閥のパーティー券を買った団体が購入額を報告書に記した一方、派閥側は販売収入を記載していないケースが多くあったのだ。
もっと使いやすい公開制度なら、不正はより早く見つかったのではないか。米国留学時に現地の制度を見た経験から、そう思う・・・
・・・日本でも国や地方がウェブで報告書を公開しているが、米国に比べると状況は大きく遅れている。
「格差」の要因は公表データの形式の違いだ。米国は、ウェブ上でテキストの検索や数字の集計などの処理ができる「機械可読」の形式だ。日本では、ほとんどの政治団体が機械可読なデータで報告書を作るが、提出する段階で紙にしたり、国などがウェブ公開の際にPDF画像にしたりする。そのため機械可読でなくなり、処理がしづらい・・・
・・・見直しは難しいことではない。報告書を機械可読なデータのまま1カ所に集め、最低限の加工だけ施して公開すればいい・・・

他方で、9月23日の読売新聞東京版は、「墨田区議会「改革度」なぜ1位? AI駆使 情報公開徹底」を伝えていました。
2022年に政務調査費を着服する事件が起き、それへの反省から、区民への説明や区政の透明化を進めたとのことです(読売新聞のウエッブで出てこないので、リンクを張ることができません)。

タクシー運転手の思い出

9月26日の朝日新聞投書欄「ひととき」に、「父を誇りに思う」という話が載っていました。
・・・横浜で一人暮らしをする80歳の父が、個人タクシーを廃業した。沖永良部島から出てきて神戸で働いていた時、亡き母との結婚が決まり、横浜に来たのが24歳。二種免許を持っているならと勧められ、タクシー会社に就職した。
カーナビなんてない時代、右も左も分からない新米ドライバーを支えてくれたのは乗客のみなさんだった。「運転手さん、次の信号、右折ね」など、道案内してくれた上にチップまでくれた、いい時代だったと父は懐かしむ・・・

これを読んで、思い出しました。私が25歳の時だったと思います、自治省の駆け出しの頃の出来事です。上司が、仕事が終わった頃(終わったと言うより、その日の一区切りがついたと言うべきでしょうか)、新宿に飲みに連れて行ってくださいました。
自治省の建物の前で、タクシーを拾います。私が助手席に座って、運転手さんに行き先を告げます。霞ヶ関から新宿ですから、そんな難しい経路ではありません。運転手さんが、道路地図帳を開き始めました。40年前は、カーナビゲーションがありませんでした。
「運転手さん、行き方がわからへんの?」と聞くと、「ええ、まだ東京で仕事を始めたばかりで、不慣れなんです」とのこと。「私が教えるから、出発して」と促しました。道案内しながら、事情を聞きました。

全:よくそれで、タクシー運転手が務まるねえ。
運:そうなんです。この間まで神戸でやっていたのですが、東京に出てきました。
全:試験があるでしょう。
運:ええ。試験官が乗って、行き先を告げられ、うまく行けるかどうか試験があります。2回不合格で、これでだめなら神戸に帰ろうと思っていたんですが。3回目は知っているところが出て、受かったのです。
全:よかったねえ。がんばってね。

斜陽の経済大国

9月23日の朝日新聞オピニオン欄に、原真人・編集委員の「斜陽の経済大国 身の丈にあった社会設計、考える時」が載っていました。

・・・日本人は世界のなかで相対的に貧しくなった。国民の豊かさを示す代表的な指標である1人当たり国内総生産(GDP)のランキングからも落ち目なのは明らかだ。
2000年に2位だった順位は第2次安倍政権のころになると円安が進んで20位台まで下がり、23年にはついに過去半世紀で最低の34位となった。これではもはや「世界屈指の豊かな国」とは言えそうもない。
この7月、円は一時1ドル=162円近くまで下がり、37年半ぶりの円安水準となった。その後140円台まで戻したが、コロナショック前の水準には届かない。底流にあるのは世界の中の日本の相対的な地位低下だろう。

日本経済の戦後80年は二つに分けられる。高みをめざして上り続けた時代と、ゆっくりと下りゆく今に続く時代だ。
前半は「日本の奇跡」と呼ばれる飛躍的な戦後復興に始まり、高度成長を経て80年代後半のバブル経済まで。その勃興ぶりを象徴するトピックは折々にあった。
68年、日本はGNP(国民総生産)で当時の西ドイツを抜き西側で第2位に躍り出た。79年、米国の社会学者エズラ・ボーゲルが日本的経営などを分析した著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世界的ベストセラーとなった。
そのころ日本の産業政策や経営は、アジアの途上国にとっての発展モデルだった・・・

・・・私の記者人生は、日本経済が絶頂期を迎えていた80年代なかばに始まった。その後はバブル崩壊、金融危機という激動の時代となる。やがて人口減少と高齢化を伴いながら低成長・低インフレ・低金利が長引く時代となった。
私も含め多くの日本人が勘違いをしたまま、「下る時代」を迎えてしまったのかもしれない。ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされ、世界第2位の経済がずっと続くという根拠なき楽観に支配されていた。政府も企業もそうした感覚にとらわれ、時代認識や自己評価を誤ってきた・・・
・・・12年末に発足した第2次安倍政権は「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げ、財政や金融政策を広げるアベノミクスを始めた。そこで取り戻そうとしたのはどんな日本だったのか。
バブル絶頂期の経済的繁栄や産業競争力を、当たり前のことのように受け止めてきた国民は少なくない。それが身の丈以上の経済や社会保障を求める背景にあった。政治は要望に応えようとし、マスメディアの大勢もそれが当然であるかのように報じた。
その発想が生み出したキーワードが「失われた10年」や「失われた20年」だったのではなかったか。アベノミクスの思想もその延長線上にある。
日本の社会保障は「世界で最も豊かな国」としてのサービス水準が求められてきた。90年度からの33年間でGDPは3割しか増えていないのに、年金や医療など社会保障給付費は3倍近くにふくらんでいる。十分な財政の裏付けがないのに予算は右肩上がりだ。
与野党とも増税のような有権者に嫌われる政策は避けがちだった。その結果が1300兆円にのぼる国と地方の長期債務であり、国債を日銀が買い支える状況だ。世界最悪の借金財政の責任は政治や財務省だけでなく、国民も問われねばならない。
1億2千万人の人口に合わせて整備されたインフラを今後維持していくだけでも大きな負担だ。防衛費や子育て予算を増やす計画もある。人口減少社会の日本がどれもこれもと巨額歳出を続けていくのは限界が来ている・・・

・・・ 斜陽の経済大国にも強みはあるし、生きる道もある。安全で清潔な街、発着時間が正確な交通機関、きめ細かい配慮が行き届いたサービス。世界最多の三つ星レストランに代表される食のレベルの高さ。四季折々の自然に恵まれた観光資源も、海外からうらやましがられる資産である。
製造業の競争力が全体的に後退したといっても、分野ごとには世界で存在感を持ち続ける企業がたくさんある。
こうした強みが経済の活気につながらないのは、ひとえに国内消費の弱さゆえだろう。家計金融資産が約2200兆円にまで積み上がったこととも無縁ではない。資産が増えるのは悪いことではないが、お金が人々のために使われず眠ったままになっているという側面もあるからだ。
もし約2200兆円の1%でも消費に回れば、日本の経済成長率は一気に底上げされる。それには家計金融資産の6割以上を持つシニア層にお金を使ってもらうことが重要だ。
シニア層は老後の暮らしの不安から財布のひもを締めてきた。行動を変えるには、安全網としての社会保障に対する信頼を取り戻すことが欠かせない・・・

一つずつ、物事は片付く

恒例の「ぼやき」です。深刻ではないので、笑いながら読んでください。
8日間も日本を留守にした報いもあり、仕事に追われています。市町村職員中央研修所の仕事は職員たちが計画的に進めてくれるので、私は相談に乗ることと了解することです。
忙しいのは、「副業」の方です。原稿と講義の準備に、追われているのです。なぜか、かつてより、それに取られる時間が増え、追いかけられている気がします。原因は何かと考えました。

1つ。月に3回の連載は、しんどい。
紙面では、1行(22字)×20行×3段+1行(22字)×28行×3段×3ページ≒6800字。400字詰め原稿用紙に換算すると、6800÷400字=17枚。毎週、よく書き続けているものです。随筆なら、もう少しお気楽に書けるのでしょうが。

2つ。同時に、分野の違うことをいくつも処理していることです。
連載では日本の行政を考えています。最近の講義では、外国の方に東日本大震災の経験や日本の行政を話します。国内では、公務員育成、管理職の役割、行政の変化、災害復興など。もう一つ、若手研究者に私の経験を話す会に呼ばれているのですが、これが意外とやっかいです。すっかり忘れているのです。
人間の頭は、同時に二つのことを考えることができません。これら雑多なことを同時並行で処理しようとすると、頭が機能を停止します。

3つ。いくつも仕掛品を抱えていると、精神衛生上、よくありません。
いくつも未完成があるので、「あれはどうしよう」「これで間に合うかな」と心配が募ります。つくづく、自分が小心者だと思います。
副業(執筆や講演)は、部下職員がいない「一人親方」「個人営業」です。組織として取り組んでいたら、部下と一緒に仕事をして、その進捗管理をしておれば良いのですが。骨子を考え、関係資料を集め、形にする。労力がかかります。で、うまく電子データにできないときは、職員に手伝ってもらっています。

いつも同じことを言っています。ところが、「完璧ではないけど、締め切りが来たから80点でも提出しよう」と提出すると、気が楽になります。後で見直して、加筆することもありますが。
これまで、締め切りに間に合わなかったことがないのです。もちろん、不完全な文章に手を入れてくれる「右筆」や編集長・校閲さんのおかげでもあります。
すると、この「ぼやき」の話は、いつも「一つずつ片付ければ進む」「完璧でなくても進む」という結論になります。「明るい公務員講座」に書いたことですね。